5月25日(木)福井・鯖江の弥生墳墓と出現期古墳


- GPS
- 16:00
- 距離
- 40.7km
- 登り
- 410m
- 下り
- 388m
コースタイム
天候 | くもり時々雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 タクシー
自転車
|
写真
兜山古墳は後期の70mの大円墳でその後後期に20mの前方後円墳があり、系譜を継ぐ首長とみられている
感想
福井の宿舎から朝雨が地の空にチャリはあきらめ、タクシーで足羽山古墳群に向かう。山頂古墳は継体大王の墓とされるが4〜5世紀の大円墳で時期が異なる。この地方の大豪族の墓か?
「明治16年、山頂古墳上に、「継体天皇像」が建てられ、その工事の際に石棺が発見されたが、既に盗掘を受けており破壊されていた。
昭和23年、福井地震で継体天皇像が破壊され、その復元工事に先立ち発掘調査された。」
山頂古墳
直径21〜25m・高さ3mの円墳と見られているが、下の部分を加えて、 直径57〜60m・高さ7mの円墳という説もある。
長さ3mの竪穴式石室内に笏谷石製の刳抜式の舟形石棺が安置されていた。
石棺の外面に直弧文を線刻し、中に石枕をつくりつけている。
棺内から琴柱型石製品と管玉が出土した。
三角縁神獣鏡2面が出土したとの伝えもあるが現存していない。
4世紀後半から5世紀初めの築造(北村さんちの遺跡巡りHPより)
次に稲荷山古墳はもっとも古い4世紀の物らしいが、今は平和記念塔が立っていて消滅している。その周辺には小さな円墳が残され、さらに進むと饅頭山古墳に下る道がある。かなり下ると古墳に出た。なるほど
饅頭のような丸い形、
「饅頭山1号墳は 東西28m・南北26mの円墳2段築成で南側にテラスがある。
埋葬施設は石棺直葬と推定されている。(石棺片が出土)
鉄刀・鉄鏃・短甲・冑などの武具類の破片が出土
5世紀中ごろの築造と推定されている。」(同HP)
次に同じタクシーで小羽山3号墳に向かう
清水ペディアによれば、
「小羽山30号墓は、出っ張りにある長方形の墓で、四隅突出方墳丘墓と呼ばれるものです。突出部を含めた大きさは33mあり、巨大な弥生時代の王墓です。内部には3.3mの箱型木棺が安置され、鉄剣と多数の首飾りの玉が出土しています。墓の造られた時代は2世紀の初め頃です。北陸地方では、たいへん珍しい古墳です。」
とある。
清水は今は福井市だが合併前は清水町で周囲に多数の弥生墳墓〜古墳群がある。
次に清水郷土歴史館に向かう前に手前にある御城山古墳に立ち寄る。入れそうな斜面を見つけて竹藪をよじ登るが、藪がひどく、前方後円形はわからない。墳丁にもそれらしき面影はなく中世は山城になっていたという。
清水ペディアによれば
「 お城山古墳(御城山古墳・旧後山古墳 おしろやまこふん)は、志津川が平野に流れ出た所の右岸、後山と呼ばれる独立丘(標高51m)の上にあり、墳形は前方後円墳です。」
何とか藪山を下山して清水郷土資料館に向かう。
清水は今は福井市だが合併前は清水町で周囲に多数の弥生墳墓〜古墳群がある。
清水郷土歴史館に向かう前に手前にある御城山古墳に立ち寄る。入れそうな斜面を見つけて竹藪をよじ登るが、藪がひどく、前方後円形はわからない。墳丁にもそれらしき面影はなく中世は山城になっていたという。
何とか藪山を下山して清水郷土資料館に向かう。ここには周辺の古墳、墳墓群出土品や縄文遺跡の出土土器など多数の展示があった。貴重な遺物展示を見ることができた。
10時半過ぎ、タクシーで福井駅に戻り、チャリを借りて11:30、福井市立郷土歴史博物館に向かう。福井市内の縄文時代から近世までの考古資料や歴史資料が展示され、貴重だ。主として足羽山古墳群などの古墳出土品や弥生遺跡ん出土品を中心に見学。12時過ぎに館を出て福井駅前でチャリ返却し、12時40分の勝山永平寺線の電車で鯖永平寺駅に向かう。13時半前に到着し、あらかじめ連絡して待ち合わせていた四季の森文化館の学芸員の方に軽トラで手繰ヶ城山古墳と文化館を案内していただく。深謝。
駅から林道を登って20分弱で古墳入り口に到着、墳丘に上る。手繰ヶ城山古墳は、
『全長約130m、北陸最大級の前方後円墳。後円部径約80m・高さ約18m、前方部幅約60m・高さ約10m、2段築成で葺石・埴輪を備える。くびれ部南側には造出しが設けられ、その東側に陪塚1基が存在する。未発掘のため詳細は不明だが、地中レーダ探査によって後円部墳頂に石棺が存在することが確認されている。4世紀後半の築造。国指定史跡(松岡古墳群)、1977(昭和52)年指定。」(古墳マップ)
墳丁からは福井市内を一望できる。次に四季の森文化館に移動、聞いたこともない施設だったが、実は、
「四季の森文化館は、永平寺町の歴史と文化を紹介する資料館です。その最大の魅力は何と言っても、大本山永平寺の傘松閣を忠実に復元した総檜造りの 旧傘松閣資料館です。別名「絵天井の間」とも呼ばれる大広間、華麗な花鳥絵も そのままに再現され、講演や研修など様々な文化活動に活用されています。」(永平寺町HP)
素晴らしい施設で、展示内容も興味深い。まず縄文土器棺墓と多数の人骨が発見された成仏木原町遺跡の出土品展示がすごい。聞いたこともない遺跡だったが実に興味深い。
[]成仏・木原町遺跡では、平成三年に農道整備事業にともなう事前発掘調査が実施され、晩期後半の良好な遺構や遺物が検出されている(天井康昭「成仏・木原町遺跡」『第七回発掘調査報告会資料』)。この時期の県内の遺跡としては最大の規模であり、三〇基以上検出された合口甕棺墓群(報告者は、合口土器棺墓としている)は特異な存在で注目される遺構である(写真18)。甕棺の中から人骨も検出されているようである。」(福井県史通史編・原始古代篇1)
次に松岡古墳群の出土埴輪などが収蔵スペースに並んでいた。「絵天井の間」はすごかった。再び永平寺駅まで送っていただき、お礼を言って鯖江駅に移動、16時過ぎ、タクシーで鯖江まなべの館で市内の考古資料を見る。施設には考古展示室のほか、鯖江藩関連資料やここが生地の近松門左衛門の部屋、同じく鯖江出身の著名なクリエーター、クリヨウジン部屋などがあるが時間がないので残念ながら考古資料だけを見る。
館を出て、少し先の市役所奥から長泉寺古墳群に登るも、尾根上の位置関係がよくわからず。長泉寺最大の67号前方後円墳は少し尾根上の先にあったらしい。残念。
あきらめて下山し、西山1号墳を見学、これや弥生末の方形の周溝墓低い墳丘がある。当時の有力者の墓らしい。次に西山公園内の道の駅でチャリを借り、王山古墳群に向かう。
17時を過ぎていたが何とか借りられ、17時20分頃王山古墳具に入り口に到着、入り口付近の最大の40号墳を見学、東西23.5m、南北21m、高さ3mのこの地域最古で最大の弥生墳墓でこの時期の首長のお墓だ。規模の大きい方形周溝墓だ。、
尾根上には多くの方形周溝墓が連なり、一当たり歩いてみたが方形周溝墓以外の姿は見えなかった。実は古墳も数十基あるらしいが姿はどこに?21号墳の上部には室町時代の墓域もあるらしく、古墳を再利用した墓域もあるという。
「王山は標高62メートルの小山で、弥生時代から古墳時代の古墳約50基が散在しています。中でももっとも古いのは、弥生時代後期(3世紀)のもので、墳丘墓(方形周溝墓)になっており、その規模は一辺が8メートルから12メートル、高さ1メートルから2メートルあります。集溝からは、東海や近畿地方の影響をうけた土器が出土しており、葬祭儀礼に関したものと思われます。」(鯖江市)
「 鯖江市の東側にある独立丘陵・王山(標高66m)に位置する古墳群である。山頂平坦部から山腹にかけて弥生時代から古墳時代の約54基の墳丘・古墳が存在し、当時の墓制の変遷が伺い知れる。
昭和40年(1965)および平成14年(2002)の調査結果より、丘陵の尾根筋には弥生時代を中心とした方形の墳墓が並び、出土品の中から尾張系や近江系の影響を受けた土器が出土しており、それら地域との何らかの関係があったと推測される。一方、丘陵の斜面には、古墳時代を中心とした円墳が認められている。」
王山古墳公園を5時半過ぎに出てチャリを返却し、西山公園から鯖江駅まで歩いて戻る。途中、誠照寺や家老屋敷門などの街並みを見学しながら駅に戻る。このコースは確かマナベの館の方に勧められた。18時15分過ぎに駅に戻り、次の目的地・宿泊地の敦賀駅に向かう。敦賀では福井名物B級グルメのソースかつ丼を食べて明日に備えた。
参考資料
1) 足羽山山頂古墳
明治16年、山頂古墳上に、「継体天皇像」が建てられ、その工事の際に石棺が発見されたが、既に盗掘を受けており破壊されていた。
昭和23年、福井地震で継体天皇像が破壊され、その復元工事に先立ち発掘調査された。
直径21〜25m・高さ3mの円墳と見られているが、下の部分を加えて、 直径57〜60m・高さ7mの円墳という説もある。
長さ3mの竪穴式石室内に笏谷石製の刳抜式の舟形石棺が安置されていた。
石棺の外面に直弧文を線刻し、中に石枕をつくりつけている。
棺内から琴柱型石製品と管玉が出土した。
三角縁神獣鏡2面が出土したとの伝えもあるが現存していない。
4世紀後半から5世紀初めの築造(北村さんちの遺跡巡りHPより)
次に稲荷山古墳はもっとも古い4世紀の物らしいが、今は平和記念塔が立っていて消滅している。その周辺には小さな円墳が残され、さらに進むと饅頭山古墳に下る道がある。かなり下ると古墳に出た。なるほど
饅頭のような丸い形、
「饅頭山1号墳は 東西28m・南北26mの円墳2段築成で南側にテラスがある。
埋葬施設は石棺直葬と推定されている。(石棺片が出土)
鉄刀・鉄鏃・短甲・冑などの武具類の破片が出土
5世紀中ごろの築造と推定されている。」(同HP)
2)小羽山墳墓群
清水ペディアによれば、
「小羽山30号墓は、出っ張りにある長方形の墓で、四隅突出方墳丘墓と呼ばれるものです。突出部を含めた大きさは33mあり、巨大な弥生時代の王墓です。内部には3.3mの箱型木棺が安置され、鉄剣と多数の首飾りの玉が出土しています。墓の造られた時代は2世紀の初め頃です。北陸地方では、たいへん珍しい古墳です。」
とある。
3)御城山古墳
清水ペディアによれば
「 お城山古墳(御城山古墳・旧後山古墳 おしろやまこふん)は、志津川が平野に流れ出た所の右岸、後山と呼ばれる独立丘(標高51m)の上にあり、墳形は前方後円墳です。」
1.概要
お城山古墳は、清水総合支所の正面にある小さな丘陵の頂きに造られた前方後円墳で、全長44mあります。発掘されていないので造られた年代ははっきりしませんが、4世紀の末頃に造られたと考えられます。この古墳は、清水地域では一番大きいものです。
2.伝承
平安時代末に木曽義仲の家臣、今井兼平が後山に山城を築城したという伝承があります。現在、お城山古墳を主郭とする円郭式山城が確認されていますが、これは戦国時代のものと考えられています
長泉寺山古墳群の中で唯一の明確な前方後円墳で、最大規模を誇る。墳丘長約52m、後円部径約30m、高さ約7m、前方部幅約22m、同長24m、同高約2.2m、くびれ部幅約12m。標高70mの山頂に後円部をおき、前方部端は尾根を掘り切っている。後円部高と前方部高との比高差が約3.2mあり、かつ、前方部がバチ形に開くことから、前期の古墳と考えられている。未発掘につき埋葬施設・副葬品等の詳細は不明である。鯖江・神明両地区の中で最大の前方後円墳で、丹南地域で最古の前方後円墳の可能性が高く貴重な遺跡である。
3.その他
昭和26年、既に亡くなられた斉藤優氏によって発見され、昭和54年県文化財に指定されました。
清水総合支所前の独立丘陵で、前方後円墳。素人が看(み)ても形の整った立派な古墳です。
清水地域内の文化財としては、祖先が千数百年前からこの土地に住んだ何よりの証であり、大切に保存しなければなりません。
昭和47年、清水町(旧清水町。現在は福井市)文化財第1号として指定されました。
県埋蔵文化財調査センターの当時の次長、青木豊昭氏は、中世の城跡に利用された構図を書いておられますが、小規模ながら、大手(お城の表玄関)、からめ手(お城の裏玄関)、櫓(やぐら)、土塁(どるい)など、立派に整備されております。
大きさは、全長44メートル、高さ前方部(役場の方角)3メートル、後円部4メートルです。
大森の内田建一氏は、三留町、清水杉谷町、上天下町、下天下町、小羽町、風巻町、周辺に多くの古墳群があり、その中心地で弥生から古墳時代に集落が発達し、その集団を支配下においた首長墓と考えられ、特に上天下町や下天下町、風巻町両群と関係が深いのではないかと、云っておられます。」
4)長泉寺山古墳
《市指定》 平成24年4月27日
鯖江市小黒町・水落町・個人…
古墳時代前期(3世紀後半〜4世紀)
長泉寺山古墳群の中で唯一の明確な前方後円墳で、最大規模を誇る。墳丘長約52m、後円部径約30m、高さ約7m、前方部幅約22m、同長24m、同高約2.2m、くびれ部幅約12m。標高70mの山頂に後円部をおき、前方部端は尾根を掘り切っている。後円部高と前方部高との比高差が約3.2mあり、かつ、前方部がバチ形に開くことから、前期の古墳と考えられている。未発掘につき埋葬施設・副葬品等の詳細は不明である。鯖江・神明両地区の中で最大の前方後円墳で、丹南地域で最古の前方後円墳の可能性が高く貴重な遺跡である。
5)王山古墳群
鯖江市の東側にある独立丘陵・王山(標高66m)に位置する古墳群である。山頂平坦部から山腹にかけて弥生時代から古墳時代の約54基の墳丘・古墳が存在し、当時の墓制の変遷が伺い知れる。
昭和40年(1965)および平成14年(2002)の調査結果より、丘陵の尾根筋には弥生時代を中心とした方形の墳墓が並び、出土品の中から尾張系や近江系の影響を受けた土器が出土しており、それら地域との何らかの関係があったと推測される。一方、丘陵の斜面には、古墳時代を中心とした円墳が認められている。(福井県)
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