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ヤマレコ

記録ID: 1273979 全員に公開 ハイキング京都・北摂

修学院離宮+曼殊院門跡、鷺森神社

日程 2017年09月29日(金) [日帰り]
メンバー , その他メンバー1人
アクセス
利用交通機関
バス
市バス1日乗車券を利用
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地図/標高グラフ


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コースタイム [注]

日帰り
山行
4時間23分
休憩
0分
合計
4時間23分
Sスタート地点08:0212:25ゴール地点G
コースタイムの見方:
歩行時間
到着時刻通過点の地名出発時刻
過去天気図(気象庁) 2017年09月の天気図 [pdf]

写真

はじめての修学院離宮
この順番に歩きました♫
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はじめての修学院離宮
この順番に歩きました♫
1
パンフ2
【問題】
江戸初期・天皇で、学問・文芸に造詣が深く、譲位後自ら計画・設計して修学院離宮を造営したのは?
【問題】
江戸初期の代表的山荘・修学院離宮を造営したのは誰?
【問題】
後水尾上皇は、自らの隠棲の地を定め、プランを練って(?)を造営した。
【問題】
万治2(1659)年、修学院離宮を訪れた(?)は、日記『隔蓂記(カクメイキ)』に「御庭の滝風景凡そ眼を驚かせ、肝胆に徹するものなり」と記した。
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パンフ2
【問題】
江戸初期・天皇で、学問・文芸に造詣が深く、譲位後自ら計画・設計して修学院離宮を造営したのは?
【問題】
江戸初期の代表的山荘・修学院離宮を造営したのは誰?
【問題】
後水尾上皇は、自らの隠棲の地を定め、プランを練って(?)を造営した。
【問題】
万治2(1659)年、修学院離宮を訪れた(?)は、日記『隔蓂記(カクメイキ)』に「御庭の滝風景凡そ眼を驚かせ、肝胆に徹するものなり」と記した。
1
下離宮・寿月観
2017年09月29日 09:08撮影 by Canon PowerShot SX710 HS, Canon
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下離宮・寿月観
1
隣雲亭からの風景
2017年09月29日 09:47撮影 by Canon PowerShot SX710 HS, Canon
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隣雲亭からの風景
2
パノラマでも撮ってみました
2017年09月29日 09:52撮影 by TG-630 , OLYMPUS IMAGING CORP.
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パノラマでも撮ってみました
1
苔が綺麗♫
蛇もいました(^_^;)
2017年09月29日 10:04撮影 by Canon PowerShot SX710 HS, Canon
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苔が綺麗♫
蛇もいました(^_^;)
2
修学院の中には畑も田んぼもあります♫
近所の方が入られているとか・・・。
2017年09月29日 10:13撮影 by TG-630 , OLYMPUS IMAGING CORP.
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修学院の中には畑も田んぼもあります♫
近所の方が入られているとか・・・。
1
お昼までには早い。
ちょこっと散歩
はじめて曼殊院へ入りました
2017年09月29日 11:00撮影 by Canon PowerShot SX710 HS, Canon
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お昼までには早い。
ちょこっと散歩
はじめて曼殊院へ入りました
1
紅葉にはチト早すぎますが・・・。
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紅葉にはチト早すぎますが・・・。
1
境内は写真撮影禁止(^_^;)
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境内は写真撮影禁止(^_^;)
1
ここだけは例外
【パンフ】
庭園(名勝庭園指定)遠州好みの枯山水である。
庭の芯に滝石があり、白砂の水が流れ出て、滝の前の水分石からひろがり、鶴島と亀島とがある。鶴島には五葉の松(樹令約四百年)があって、鶴をかたどっている。松の根元にはキリシタン燈籠があり、クルス燈籠又は曼殊院燈籠と呼ばれる。亀島には、もと地に這う亀の形をした松があった。庭園右前方の霧島つつじは、五月の初旬、紅に映えて見事である。この枯山水は、禅的なものと王朝風のものとが結合して、日本的に展開した庭園として定評がある。
2017年09月29日 11:24撮影 by Canon PowerShot SX710 HS, Canon
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ここだけは例外
【パンフ】
庭園(名勝庭園指定)遠州好みの枯山水である。
庭の芯に滝石があり、白砂の水が流れ出て、滝の前の水分石からひろがり、鶴島と亀島とがある。鶴島には五葉の松(樹令約四百年)があって、鶴をかたどっている。松の根元にはキリシタン燈籠があり、クルス燈籠又は曼殊院燈籠と呼ばれる。亀島には、もと地に這う亀の形をした松があった。庭園右前方の霧島つつじは、五月の初旬、紅に映えて見事である。この枯山水は、禅的なものと王朝風のものとが結合して、日本的に展開した庭園として定評がある。
1
【問題】
「寺院」「その通称名」の組合せで誤りは?
(ア)曼殊院・椿寺
(イ)華厳寺・鈴虫寺
(ウ)勝持寺・花の寺
(エ)石像寺・釘抜地蔵(クギヌキジゾウ)

北区一条西大路東入・地蔵院を通称・椿寺(ツバキデラ)と言う。
僧・行基の創建で、
本堂前に五色八重散椿(ゴシキヤエノチリツバキ)がある。

曼殊院は、
曼殊院門跡の通称である。

▼よって答えは、(ア)の組合せが誤り。
2017年09月29日 12:05撮影 by Canon PowerShot SX710 HS, Canon
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【問題】
「寺院」「その通称名」の組合せで誤りは?
(ア)曼殊院・椿寺
(イ)華厳寺・鈴虫寺
(ウ)勝持寺・花の寺
(エ)石像寺・釘抜地蔵(クギヌキジゾウ)

北区一条西大路東入・地蔵院を通称・椿寺(ツバキデラ)と言う。
僧・行基の創建で、
本堂前に五色八重散椿(ゴシキヤエノチリツバキ)がある。

曼殊院は、
曼殊院門跡の通称である。

▼よって答えは、(ア)の組合せが誤り。
1
【問題】
天台宗の門跡寺院(もんぜきじいん)で、「黄不動」の通称で知られる「不動明王」(国宝)をもつ寺院はどこか。
2017年09月29日 12:05撮影 by Canon PowerShot SX710 HS, Canon
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【問題】
天台宗の門跡寺院(もんぜきじいん)で、「黄不動」の通称で知られる「不動明王」(国宝)をもつ寺院はどこか。
1
バス停に行くまでに
鷺森神社・・・。
2017年09月29日 12:14撮影 by Canon PowerShot SX710 HS, Canon
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バス停に行くまでに
鷺森神社・・・。
1
石に手をふれました♫
2017年09月29日 12:16撮影 by Canon PowerShot SX710 HS, Canon
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石に手をふれました♫
2

感想/記録

前から行ってみたいとは思っていたのですが・・・。
なんとなくハードルが高くて(^_^;)
strasseさんのレコを見てその気になりました♫

意外や意外♫
桂離宮、仙洞御所は予約でいっぱいですが
修学院離宮は簡単に予約が取れました。
写真は自由に撮れますがツアーの形をとっているので
自ずから制限があり、満足の写真は撮れませんでした(^_^;)
気に入ったので紅葉の時期に改めて行ってみようと思います。

見学が終わったあと曼殊院門跡へ入りました♫
はじめてです(^_^;)

【テキスト】
修学院離宮(左京区修学院藪添町)
京都市北郊に後水尾上皇が造営した広大な山荘。幕府の朝廷圧迫政策を不満として寛永六年(一六二九)に退位した後水尾上皇は、隠棲の地を洛北に求めていた。
上皇は、聖護院宮の山荘の近くの長谷殿や顕子内親王の山荘の中の岩倉殿、また比叡山の借景で知られる円通寺の地に営まれた幡枝御所などに、女院としばしば御幸していた。退位から四半世紀を過ぎた承応四年(一六五五)、長谷殿に御幸していた上皇は、第一皇女梅宮(円照寺尼宮)が修学院村に営む草庵を訪れた折、その草庵にほど近い上皇の御茶屋隣雲亭のあたりをようやく適地と定め、山荘の造営を開始した。
山荘は万治二年(一六五九)にはほぼ完成したが、造営にあたっては、上皇自らがプランを練ったようだ。近衛予楽院の記録『カイキ』によると「御庭ノ一草一木二至ルマデ尽ク後水尾院ノ御製ナリ」しと記されている。それは「雛型ガ出来テ、草木ヲハジメ踏石、捨石二至ルマデ、皆ソレゾレニ土ニテ石形ヲコシラヘ、ソノ処二置テ見テ、恰好ヨキヤウニアソバシ」といわれるほど徹底したものであった(同前)。
現在は上中下と三ヵ所に茶屋があるが、当初は上の茶屋と下の茶屋の二ヵ所であった。今に残る天和年間(一六八一〜八四)の指図によると、上の茶屋には大堰堤が築造され、比叡山から流れ出る音羽川の渓流を引いた浴龍池があり、窮邃亭や隣雲亭などが配されている。この隣雲亭からは、今も京都市街が一望でき、修学院離宮を代表する絶景の地といえる。
また万治二年(一六五九)、山荘に招かれた鹿苑寺の鳳林承章は、日記『カクメイキ』のなかで「御庭の滝風景凡そ眼を驚かせ、肝胆に徹するものなり、二階の御亭隣月亭、寿月観所々の御飾、目を驚かすものなり」と記している。これは下の茶屋のことを記したものと考えられ、寿月観は上皇、女院が御幸した時の御座所であった。
一方、中の茶屋は当初から離宮内に造られていたのではなく、かつて同地にあった林丘寺内の楽只軒・客殿などの建物が、明治十九年(一八八六)林丘寺の移転に際し、そのまま同地に残されたため、離宮に取り込んだものであった。ちなみに楽只軒は寛文八年(一六六八)頃、後水尾上皇が第八皇女朱宮光子内親王の御所として造営したものであり、客殿は天和二年(一六八二)後水尾上皇の中宮東福門院の御所から奥御対面所を移築したものであった。
文政七年(一八二四)には徳川家斉の援助によって大規模な修理が加えられ、同年には光格上皇が御幸。その後、家斉が太政大臣に任ぜられたお礼として、修学院御幸の費用を提供したことから、上皇による御幸は以後も続けられた。なお後水尾上皇が、鹿苑寺の鳳林承章に命じて修学院離宮十境を選定させた。そのうちの七境菩提樹.寿月観.洗詩台.隣雲亭・窮遼亭・浴龍池・万松鳩は今も残る。
また修学院離宮内には、かつて修学院焼と呼ばれる御庭焼の窯があった。これは後水尾上皇が好みの品を焼かせたもの。寛文四年(一六六四)に窯開きの行われたことは記録によってわかるが、上皇の没後は使われなくなった。この窯は享保年問(一七一六〜三六)、霊元法皇によって再興されるが、その後ふたたび廃れ、明治十二年(一八七九)には五条坂の三代清水六兵衛の弟子が焼いたというが、不明な点が多い。

曼殊院(左京区一乗寺竹ノ内町)
本尊は阿弥陀如来。延暦年問(七八二〜八〇六)に最澄が比叡山に一堂を建立したことに始まる。そのあとを円仁が継いだ後、各所に移建されたが、明暦二年(一六五六)良尚法親王の時に現在地へ移転した。竹内門跡ともいわれ、文明年問(一四六九〜八七)に慈運(伏見宮貞常法親王の子)が入寺して以後、門跡寺院となった。天台宗五箇室門跡の一つ。桂離宮を作った八条宮智仁親王の子、良尚法親王によって作られた茶室が八窓席で、三畳台目の席。古田織部や小堀遠州の好みを取り入れ、貴族趣味を加味したもので、多数の窓による光の演出が見事である。書院前の枯山水庭園にある鶴島の松は樹齢四百年と伝え、根元に曼殊院型石燈籠が据えられている。小書院の縁先に置かれた手水鉢は「梟の手水鉢」と呼ばれ有名。書院庭園は国の名勝に指定されている。国宝として「黄不動」の通称で知られる「不動明王像」がある。

ブログは
http://blog.goo.ne.jp/corpus2247/e/dafd03671542ebf9e1a669a8845d81bc
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この記録へのコメント

登録日: 2011/12/16
投稿数: 943
2017/10/3 13:09
 円照寺
修学院離宮は、修学院村にあった円照寺近くに造営されたとあります。
円照寺は、奈良に移され、斑鳩の中宮寺、佐保路の法華寺と共に大和三門
跡として、奈良山村町にあります。
山辺の道(北編)を歩いたときに拝観はできませんでしたが、訪れたことが
あります。
意外と繋がっているものですね。
登録日: 2011/10/30
投稿数: 1720
2017/10/3 16:43
 Re: 円照寺
ありがとうございます。
Wikipediaで確認しました。
つながっているものですね。

わたしも・・・。
湯浅で熊野古道を歩いている時
施無畏寺で修行されたのは高山寺を開いた明恵上人であること、
勝楽寺?満願寺?の本堂は解体されて醍醐寺の本堂に移築されたということで
京都と湯浅の関係を知り湯浅が好きになりました。


















施無畏寺

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