寄〜雨山峠〜玄倉
- GPS
- --:--
- 距離
- 15.4km
- 登り
- 766m
- 下り
- 713m
天候 | 晴れのち曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
玄倉16:06発 新松田駅行 |
コース状況/ 危険箇所等 |
寄〜雨山峠 水源の森管理棟前に草花や動物、登山道の情報あり(こちらに登山ポストもあります)。9/30時点で寄沢の水が多く、渡渉ができずに引き返したハイカーがあったらしい。 3回ほど渡渉があったが、濡れるのを気にしなければ10/1はそれほど深くもなく、水流も強くなかった。渡渉点付近にはルートを案内する黄色い看板が立てられている。※6月にいたずらされて?看板が倒されたり持ち去られたらしいが、再建されている。 真新しい鎖が張られており整備はされているが、足元は全体的にザレている。 ご存知のとおり、こちらのルートは沢「沿い」を歩くだけなく、ちょっとした渡渉が何回かあり、最後は完全に遡行(沢床を歩く)になるので、雨のときは要注意です。水流はちょろちょろだけど、まじかーって感じで面白かった。沢靴でいけばよかったなー。 ヒルはいませんでした。 雨山峠〜雨山橋(ユーシン方面) 雨山沢沿いに下降していくが、途中木道が落ちており、沢に下りる場所がある。こちらも全体的に湿ったザレ。 雨山橋〜玄倉 特に問題なし |
写真
感想
「丹沢今昔」の著者、奥野幸道さんがユーシンに通った道、雨山峠。いつか私もこの峠を越えてユーシンに入りたいと思っていた。
新松田発のバスはR246寄入り口の信号から北西に道を折れた。瞬く間に高度があがり左に見えていた川がはるか谷底を流れるようになる。ここは清津峡と呼ばれているらしい。工事現場が見え、新東名はこのあたりの山中も貫いていくようだ。そこからさらに走り終点の寄の集落についた。大倉ー塔ノ岳、鍋割山。それと大体同じような感覚でいた私は、寄の隔絶間に少し驚いた。寄には他に登山客の姿もなく、ゆっくりと淡々と時間がながれていた。完全にその存在を周囲の山々に隠されている、と思った。表丹沢に含まれると考えていい地域であるのに、喧騒とは無縁であった。(奥野さんは三廻部から中山峠を超え、寄に入っていたそうだ。行政区分では鍋割山の南尾根で東西に秦野と松田に分かれるというのも理由のひとつにありそうだ)
寄の大橋に向け、坂道をゆるゆると歩きはじめる。この日は集落の草刈の日だったようで住民総出で道端の草木を剪定していた。林道秦野峠線の起点や赤い寄大橋を過ぎ、水源の森にようやく入った。管理棟ではフィールドワークが開催されていて、参加者がなにか植物を覗き込んでいた。
水源の森は管理が行き届き、遊歩道が整備されている。途中までは登山道と兼用されている。渡渉が出てくるようになると、ここからがいよいよ峠越えの本番かなという気持ちになった。渡渉と言ってもこの日はたいした水量ではなかったように思う。とはいえ、飛び石するには不確かで私は思い切って水の中に入って渡った。目の前の山々にキレットのような凹みが見え、あそこが雨山峠かと思って眺める。
事前にヤマレコで記録を読んでいたし地形図も見ていたから、沢を歩くという理解はあったはずなのだけれど、峠の手前で実際に沢床を歩くことになったときは「これ完全に沢じゃん」と半笑いの声をあげてしまった。(もちろんこれが正規のルートである。)崩れてきたザレで埋まり気味ではあるが、ゆるやかな滑が続いている。この辺りでは両岸も狭まって完全に沢の詰めと同様の体だ。
きゃあきゃあ言いながら雨山峠に詰め上げた。大き目のベンチが設置されている。雨により地面が少しずつ掘られているのだろう、片側だけ足が高くなっており回り込んで腰をかけた。風が抜けていく。視界は木々にさえぎられているし、このベンチ以外ほとんど場所がない狭い峠だ。目の前の景色にかすかな違和感があった。この違和感の正体は帰宅後あきらかになる。
当初はここから檜岳や伊勢沢ノ頭、秦野峠方面へ向かう予定だったがすでに13時だった。寄のバス停から結構時間がかかった。この後とても稜線を歩き、バリエーションを降りる元気がない(苦笑)。一番楽であろうユーシン方面の雨山橋へ下ることにした。
雨山橋への登山道も沢沿いとなっており、一部沢へ降りる箇所がある。寄沢と同様に滑床が続くが、寄沢より傾斜が急で暗い。こちらも両岸から崩れたザレでせっかくの滑が埋まりかけている。右岸に登山道が整備されており、途中には古いが立派な鉄の桟道が岩肌をへつっている。奥野さんの時代にはこの桟道はなかっただろうなと思いながら歩いているとあっけなく玄倉林道に出た。
玄倉林道は1947(S22)年の開通で、それまでは山神峠かこの雨山峠から玄倉・ユーシンに入っていたそうだ。現在は丹沢湖畔からすぐ車両通行止めになってしまい、9.5Kmほど歩かなければユーシンロッジにたどり着けない。にもかかわらず、ユーシンブルーを撮りに一眼片手に訪れる人の多いこと。ほんの数年前には見かけなかった客層である。(ちなみにその丹沢湖だってS53年に現れたのだ。)林道から白い石と青い水の美しい玄倉川本谷を眺めていると、ウォータースライダーによさそうなトイ状が見えた。さらにその下流に滝で合わさる沢が見え、なんともよい景色だ。ちかくのカーブから川原に降りられるロープがあったので伝って降りた。スライダーの釜部分は緑が濃くなっていて深そうだし、水が巻いていて圧を感じそうだ。盛夏に水遊びに来たらよさそうだな。そして二段の滝で出合う特徴的な沢、これはなんと言う沢なんだろう?(帰って調べるとここは有名な同角沢の出合だった。丹沢今昔の表紙!)ユーシンブルーを湛える玄倉ダムを過ぎ、以前遡行した本谷区間を懐かしく眺める。林道からは見えないが、モチコシ沢の大滝がまぶたに浮かんでくる。新青崩隧道は蛇行しているため途中で真っ暗になる区間があるのだが、相変わらず真っ暗で、変わっていないなあとなんだか妙にうれしいような気持ちになる。ゲートの直前まで車が入れたとか、以前小川谷を遡行したときはここに車を止めたとか、昔の記憶をたどりつつ立間大橋まで来た。そして車両通行止めとなってしまった今、ここから丹沢湖までは初めて「歩いて通る」区間となる。丹沢湖が見え始めバス停へと下っていくと、橋の左(小菅沢右岸)に昔のつり橋の橋脚が残っていた。対岸となるバス停側を見やるがそちらには橋脚は残っていない。コンクリート製で上部の鉄でできた部分は赤黒く錆びついている。ワイヤーなどは一切残なく橋脚だけが立っている。なぜだかつり橋の橋脚だということは一見してわかり、様子から相当古いものだとも思った。あれ、こんなところに橋脚なんてあったっけな?この道は何度も通ったことがあるし、この橋脚もおそらく何度も見ているはずだ。それなのに、意識に訴えかけられたのは今日が初めてだ。歩く速さで見なければ意識に残せない風景があるのかもしれない。
家に戻り、丹沢今昔を開いた。今日歩いた寄、ユーシン、玄倉のページを読む。するとS16年に壊れかけのつり橋を渡って玄黒の集落に入った、と奥野さんが書いていた。(※前述のとおりこの頃まだ玄黒林道はない)さらにS32年につり橋と玄倉の集落を写した写真があった。そこには私が昼間見た橋脚がしっかりと撮られていた。
さらにページをめくると、S17年1月に雨山峠で撮られた写真があった。そこには峠に腰を下ろし、富士山を眺める登山者の姿が映っていた。そうなのだ。私が雨山峠で感じた違和感の正体はこれだったのだ。この写真では雨山峠は開放的なのである。冬という季節のせいもあるかもしれないが、富士山が見通せるだけ高さもありひらけているのである。しかし今日の雨山峠はどうだっただろう。ほんの尾根の切れ間程度のスペースしかなく木々も鬱蒼として窮屈な場所だった。もしかして、雨山峠ルートの別の場所から撮ったのかとも一瞬思ったが、そんな場所はどこにもなかったはずだ。雨山峠がまるで違う場所になってしまったと感じられる理由を一晩考えてみた。もろく崩れやすい地質であるので、雨の浸食がどんどん峠を掘り下げているのだろうか。木々の葉が落ちれば枯れ枝の向こうに富士山が見えるのだろうか。私が雨山峠越えをしてみたいと思った理由のひとつがあの写真だったのに、そのこともすっかり忘れていた。
これまで何度も丹沢今昔を読んだ。しかしまだ新しい発見がある。どの説明も一文たりとも無駄なものはなく、どの写真も一枚たりとも無駄なものがない。改めて丹沢今昔のすごさを思い知った。
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