記録ID: 160396
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ハイキング
霧島・開聞岳
開聞岳
1985年10月11日(金) [日帰り]
- GPS
- --:--
- 距離
- 11.0km
- 登り
- 881m
- 下り
- 869m
コースタイム
登山口8:40―10:43開聞岳11:40―13:10開聞駅
天候 | 晴れ。山頂付近はガス。 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
復路は開聞駅まで徒歩。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
道はよく歩かれているようで問題はなかった。一合目ごとに標識があった。 10月だったが、南国の山ということでセミがまだ鳴き、蒸し暑かった。 登山道は下の方はうっそうとした亜熱帯の樹林に包まれて眺めがない。南側に回るあたりからは樹相が変わって展望も開けてくるが、残念ながらこの日は山の上部が雲に包まれていて、池田湖や足元の海が見えたくらいで、期待していた屋久島などは見えなかった。 |
写真
感想
大学1年の秋、学校の秋休みを利用して九州の祖父母を訪れ、そのあと九州の名山めぐりを目的に開門岳、九重山、祖母山、霧島山を回った折の記録の第一弾です。
九州内の移動は九州全域の特急・急行・普通列車に乗り放題の周遊券を使っていましたが、学生の貧乏旅行のこと、東京から九州への往復は青春18切符を使って往復とも普通列車でしたし、山をめぐっている間も宿泊は無人小屋と夜行列車、駅寝を組み合わせて、宿泊には一円も使いませんでした。お風呂は職業別電話帳で「浴場」を探しました。夜行列車の少なくなった現在ではできない旅行です。
開門岳へは前日の夜博多から夜行列車で朝西鹿児島につき、そこから指宿枕崎線に乗り継ぎました。午後の電車で鹿児島に戻り、また夜行列車で翌日は九重山に向かいました。(九重山の記録はこちらをご参照ください)http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-160406.html
この山行で一つ覚えているのは、降りてきたときだったか、開聞駅の近くで昔ながらの葬列に遭遇したことです。昔の映画ですが、「八つ墓村」、最近では「おくりびと」にも出てきたような葬列で、ただ黒いばかりでなく意外に色彩豊かなのが珍しかったように覚えています。
当時はまだ戦後40年で、明治末年生まれもまだ70代。田舎には古い伝統が今よりもずっと濃厚に息づいていた時代でした。
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