記録ID: 1682485
全員に公開
雪山ハイキング
甲信越
櫛形山(中ノ沢尾根〜大沢尾根)、願文山〜大峰山(大沢林道に下山)、法印瀑
2018年12月22日(土) [日帰り]


体力度
4
1泊以上が適当
- GPS
- 06:10
- 距離
- 15.6km
- 登り
- 1,202m
- 下り
- 1,186m
コースタイム
天候 | 晴れのち曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2018年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
国道7号から櫛形ゴルフ倶楽部方面へ 途中に森林公園への案内看板があるのでそれに従って行く 願文山〜大峰山: 国道7号(JR金塚駅のあたり)から桜公園へ |
コース状況/ 危険箇所等 |
全般的に泥や溶けた雪で足場が悪い 櫛形山: 急な登りは滑りやすい 稜線上は積雪あり 願文山〜大峰山: 急で段が高い階段がある こちらも上のほうは積雪 チェリーヒュッテ〜大沢林道: 特にわかりにくい道はない 吉平観音の分岐から先は踏み跡薄め 〜法印瀑: 上のほうは深い谷沿いの狭い道 積雪がある際は危ない |
その他周辺情報 | 塩の湯 http://www.city.tainai.niigata.jp/sangyo/kanko/shionoyu.html |
写真
願文山の山頂
手前側の五輪塔は承久の乱で後鳥羽上皇側についた
酒匂家賢の墓
山頂の薄れて読めなくなっている看板には
史跡 願文山
承久3年(西暦1221年)、承久の乱のとき、藤原酒匂八郎家賢は、その所領であった願文山の城に拠って、鎌倉幕府方の加地の城主、佐々木太郎信実の西上をけん制しようとしたが、準備が整わずかえって佐々木氏に攻撃され、同年5月29日、一族郎党ことごとく討死した。
昭和3年、天皇からその功績をたたえられ、家賢公に正五位を贈られた。
昭和54年11月 加治川村教育委員会
と書かれている
(ネット上にある昔の写真からのテキスト起し)
手前側の五輪塔は承久の乱で後鳥羽上皇側についた
酒匂家賢の墓
山頂の薄れて読めなくなっている看板には
史跡 願文山
承久3年(西暦1221年)、承久の乱のとき、藤原酒匂八郎家賢は、その所領であった願文山の城に拠って、鎌倉幕府方の加地の城主、佐々木太郎信実の西上をけん制しようとしたが、準備が整わずかえって佐々木氏に攻撃され、同年5月29日、一族郎党ことごとく討死した。
昭和3年、天皇からその功績をたたえられ、家賢公に正五位を贈られた。
昭和54年11月 加治川村教育委員会
と書かれている
(ネット上にある昔の写真からのテキスト起し)
撮影機器:
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下
雨具
日よけ帽子
ゴム長
防寒ゴム手袋
予備靴ひも
ザック
行動食
非常食
飲料
ライター
コンパス
時計
タオル
ナイフ
カメラ
スマホ(GPSアプリ入り)
ヘッドランプ
予備電池
ストック
|
---|---|
備考 | 水は500ml持ち込みすべて消費 もう一本持ってきてもよかったかもしれない |
感想
当初の予定では櫛形山〜大峰山まで縦走するつもりだったが危ないと判断して、別々の登山口から登りなおす
若干のお茶を濁した感はあるが、やりたいことはだいたいやったのでよしとすべきか
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
訪問者数:790人
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する