箱根旧街道


- GPS
- 05:25
- 距離
- 11.4km
- 登り
- 754m
- 下り
- 112m
コースタイム
- 山行
- 4:36
- 休憩
- 0:49
- 合計
- 5:25
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2018年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
よく整備されており、道標もしっかりしている。箱根湯本の町を抜けるところが少々わかりづらいかも。 |
写真
感想
本当は標準タイムの3割増の速さ。(0.2〜0.3はバグ?1.2〜1.3か。)
待ちに待った年末年始の休みである。いろいろあった2018年ももうすぐ終わるという12月29日に箱根に出かけた。しっかり登山するという選択肢もあったが、箱根に行くならいい温泉宿に泊まって高尚な美術館など巡りたいというリーダーの声に押され、今回は登山とは言いにくいが、「箱根旧街道を行く」と銘打って、1日目に箱根湯本から元箱根までの11.4kmを歩くコースとした。
今回は新宿出発である。新宿からは何と小田急のロマンスカーVSEのサルーンシートである。最近著しく「鉄ちゃん化」が進行しているリーダーは興奮が隠せないようだ。調べてみると、VSEとは、Vault Super Expressの略で、建築家がデザインしたらしい・・・、この話題に入ると山行記録ではなく、鉄道紀行になってしまうのでこの辺にしておこう。いずれにしても快適な1時間20分ほどのサルーンシートを楽しんだのち箱根湯本に到着した。ここでさらに我々は楽をするために大きな荷物は宅配サービスに預け、きわめて軽装で「山行」を始めた。靴も運動靴である。
箱根湯本からの歩き始めは車道である。商店街を抜け、橋を渡り、左に行くべきところを右に行き、最初からちょっと迷ってしまった。ああ情けない。それでも何とか「滝通温泉郷」という温泉宿が建ち並ぶ道を登っていくと、リーダーが目ざとく有名な箱根土産のお菓子の店、「湯もち本舗ちもと」見つけて立ち寄った。これは後程、休憩の時に食べてみたがとても美味しかった。ふわっとした餅に羊羹の刻んだものが入っている。もう少し詳しくレポートしたいが、それでは山行記録ではなく食レポになってしまうので止めておく。
それで車道をゆるゆると登っていくのだが、意外に交通量が多い。ほとんどが業務用車で、旅館に物資を運んでいるものと思われた。車に気を付けながら進み、何回か橋を渡り、ホテル南風荘が見えるあたりからは坂が急になり、地図には「旧東海道」とあるバス通りに出た。
我々はこのバス通りをさらに登っていく。緩やかな登りであるが、対向車にとっては下りでスピードを出してくるので少々怖いなと思った。道路に左側には時々箱根新道も見え隠れしていた。箱根新道への須雲川インター入口を過ぎ、鎖雲寺というお寺を過ぎると、須雲川自然探勝歩道の入り口に着いた。
そこから車道に別れを告げ、登山道っぽい道に入る。基本的には川に沿った道なので登り下りしながら緩やかに登り、一旦下って丸木橋を渡り、先ほどの旧東海道に出た。ここからすぐに割石坂という歩道に入るとすぐに「江戸時代の石畳」という看板があり、写真を撮ったりしたのだが、すぐに「ここまで」という看板が出ていて、「えー、これしかないのか」と思った。これが2回ぐらい続いて、またまた車道を渡り、今度はコケが美しい石段登りとなったのち、再々度旧街道に出ると、そこは畑宿の入り口である。そこで浜松屋という寄木細工のお店を見学させてもらった。NHKのブラタモリでもやっていたが、寄木細工の技はすごい。このような伝統技術を守っていくためには、お土産に何か買った方がいいのだろうけど、何も買わずに来てしまった。ごめんなさい。
そのまま、畑宿の通りを抜けると、飛竜の滝の方に行く道との分岐に出て、ちょうど公衆トイレがあったので利用させてもらった。トイレの中にいろいろ禁止事項が図示してあって、だいたい何が言いたいのか分かったのだが、その中に釣りをする人の絵が描いてあった。どういう意味なのだろう。まさか便器の中で釣りをする人はいないだろうし、単なるギャグか? 気になる。
我々は、石畳の旧街道を行き、しばらくすると再びバス通りに出て、ヘアピンカーブの急な車道を登っていく、西海子坂と言うらしい。ここは歩道が狭く、交通量が多くて危険である。ちょっと飽きてきたところで、左に入っていく階段があり、ああ、やっと怖い車道を離れられると思った。見ると看板があり、樫木坂とある。写真でもコメントしたが、いにしえの男性の詠んだ歌?には、「この坂が苦しくて、どんぐりほどの涙がこぼれる」という趣旨の記述があったと書いてある。確かにすごく急な階段だ。気を引き締めた我々ではあったが、さすがに「どんぐり」はオーバーだろう。それとも当時のどんぐりは今よりずっと小さかったのか? それとも歌詠み男性は超ひ弱だったのか? 仮に超ひ弱だったとしても「どんぐり」はないだろう。だから仮に筆者がこの山行記録でちょっとぐらいオーバーなことを書いたとしてもメンバーから非難されることはないのだ。
いずれにしても我々はバス通りをショートカットして直登する樫木坂に入り、見晴らし茶屋を横目に更に猿滑坂を上った。猿滑坂の立て看板には「猿猴といえどもたやすく登りえず」とある。猿猴(えんこう)とは聞きなれない言葉だ。猴はマカク属のサルを指すらしい。つまり猿猴はサルのことらしいが、木に登ることならともかく、坂道を登ることにサルを引き合いに出すのはどうだろう。どうせならカモシカとかの方がいいのではなかろうか。まあ、出典の新編相模国風土記稿に文句を言っても仕方ない。我々はサルではないが猿滑坂を登り切り、バス通りを横切り、今度は追い込み坂に入り、平坦になったところで甘酒茶屋に到着した。
当初の予定通り、そこでエネルギー補給をすることにした。甘酒と餅とおでんを注文した。いずれも大変美味しくいただきました。店内は外国人のお客さんが多いようであった。甘酒茶屋の裏に回り山行再開。箱根旧街道の石畳の道を行く。雪が降ったらしく、石畳の隙間部分が白くなってきれいな景色である。しばらく行ってまたまたまたバス通りを渡ったところで、杉並木の立派な石畳の道に入った。結構急な坂だが、気分のいい道だ。花粉がない限りは。
右に二子山が見える場所をいくつか通った。どれが二子山なのか今一つ確信が持てない。まだまだ勉強が必要である。このあたりが旧街道最高地点のはずで(830mぐらいらしい)、箱根八里の歌の文句が書いてある碑の脇を通り、いよいよ権現坂に出た。ここからは結構急な階段状の下り坂である。坂の途中から芦ノ湖が見え、ケンペル・バーニーの碑を見て、どんどん下って元箱根に到着した。元箱根では旧街道から一気に観光地の雰囲気になった。箱根にはいろいろな顔があるということなのだろう。元箱根は標高730mのようなので、箱根湯本からは、700mぐらい登って、最後に高が100m弱降りてきたことになるのだろうか。残念ながら富士山はちょっと雲に隠れているような状況だった。でも天気もよく楽しく街道歩きが出来た。この後、温泉を堪能したことはもちろんである。
以上
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