岡山県瀬戸内市 築山古墳〜広高山〜高山+日本一のだがし売場



- GPS
- 03:33
- 距離
- 5.3km
- 登り
- 246m
- 下り
- 240m
コースタイム
- 山行
- 2:42
- 休憩
- 0:48
- 合計
- 3:30
歩行距離5.5km、歩行時間2時間40分、歩行数9,400歩、消費カロリー1,160Kcal
天候 | 晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2019年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
また、美和神社随身門<写真17>南に広い駐車スペースがあります。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
高山城展望台<写真27>から高山北西尾根下山ルートは、登山道ではありません。特に最初は足元が崩れやすく、ネズの葉<写真31>などが刺さることもあり、歩き難いのであまりお勧めできません。 それ以外はよく整備された登山道やアスファルト道です。一部、ロープのある岩盤がありますが、滑りにくく問題ありません。 高山城展望台<写真27>から高山北西尾根下山ルートは、登山道ではありません。 高山頂上<写真25,26>から西北西に道があったので、下山道があるのだろうと思い、進んでみると、高山城展望台<写真27>がありました。木の枝をかき分けると北に道がありましたが、北東にどんどん行ってしまいました。頂上に戻ってしまいそうだったので、展望台まで引き返しました。 とりあえず北西尾根を下ろうと木の枝をかき分けて下山を開始しました。崩れやすい斜面には小石がゴロゴロしており、木々が比較的密集して生えています。転んでも木の根元に引っかかって滑落せずにすみそうですが、連れは怖がって片手で周辺の枝をつかんだままもう一方でかき分けようとしていました。下りが苦手な連れには厳しいルートだったようです。上りのほうが時間がかからなかったでしょう。 標高150m辺りからシダヤブを避けて北西に進むと、木の枝はあまり邪魔にならなくなり、次第に道らしくなってきました。 標高130m近くまで下ると、木の枝に白いものが刺してありました。テープかと思いきや、なぜか細長く切られたティッシュペーパーでした(*_*;乾いていたので、つい最近のものだろうと思います。ここからは明らかに道で崩れやすくはなくなり、足元の小石もそのうちなくなりました。 標高105m辺りから高さ40cm程のシダが生えていましたが、踏み跡があり足元は見えるのでそのまま下りました。シダがなくなると道がわかりにくくなってきたので、木の間をぬうように適当に進みました。幸い、かき分けなくてもすみ、最後はほぼ平坦な林の中を抜け、楽にアスファルト道に出られました。 その他、コース状況の詳細は、周辺情報下欄の添付ファイルで確認できます。なお、肝心の高山北西尾根ヤブコギ下山ルートの一部が消えていますが、地図のGPSログは大丈夫です。 |
その他周辺情報 | 須恵古代館<写真01>前の県道39号線を東北東に数百メートル進んだところに「日本一のだがし売場」<写真37〜40>があります。駄菓子やおもちゃなど懐かしい商品が税込み10円単位で売られており、幅広い年齢層の客でにぎわっています。1月20日(日)には「もったいない広場」にて賞味期限が近い商品の安売りイベントが行われます。 |
ファイル |
(更新時刻:2019/01/15 20:39)
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写真
岡山県指定史跡で5世紀後半から6世紀前半のものと考えられている前方後円墳です。現地案内板では、全長82mとなっていますが、115mとしている資料もあります。昭和61年の調査で後円部に周溝が確認されたそうなので、溝を含めると長くなるということなのかもしれません。説明板のある辺りから見ると、前方後円墳のくびれがよくわかります。
後円部には阿蘇山の凝灰岩でできた家形石棺が露出しています。ふたの一部が割れて隙間ができていますが、ほぼ原形をとどめています。出土した鏡や武具は東京国立博物館にありますが、須恵古代館<写真01>で一部の写真<写真35>を見ることができます。
この鳥居は、以前は須恵古代館<写真01>の少し北東の県道39号線沿いに設置されていました。ちょうど冬至の日の太陽が三和ノ峰(広高山<写真10〜12>の古称)から昇るように見える位置です。昭和50年の道路拡張工事に伴い、鳥居はここに移転し、太陽の復活と五穀豊穣を祈る冬至祭も行われていません。
美和神社<写真13〜18>の東にあるサザラシ1号墳の周辺地図によれば、ちょうどこの辺りに「さいのかみ」があります。詳細はわかりませんが、道祖神のようです。参拝者の道中の安全を祈願したのでしょう。
三和ノ峰は広高山の古称です。「奥津磐座」と称する磐座(いわくら)で、美和神社の本殿<写真14>が建立されて遷座されるまで、御神体として崇められていました。側の説明板によれば、周辺には小石が敷き詰められていたそうですが、西側はかなり落ちてしまったとのことです。周辺には低いササが生えており、全体像はよく見えませんでした。
7世紀頃に奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社から勧請したといわれている神社です。ご祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)です。秋の大祭には瀬戸内市長船町東須恵と西須恵の祷主と神職および従者数名が、牛窓町の海岸(埋め立て以前は邑久町尻海の海岸)で潮ごりをとり、身を清めて尻海の広高神社へ酒・米など供えます。その関係で、境内には広高神社の遥拝所<写真16>があります。
慶安元年(1648)の記録に神輿(みこし)3基、流鏑馬(やぶさめ)に参加する馬3頭との記述があるそうで、かつては盛大な祭りが行われていたようです。その頃にはここに神輿蔵があったのかもしれません。
広高神社は、元々、瀬戸内市邑久町尻海にある岸壁に祀られた才崎宮というお宮でした。現在は周辺が埋め立てられ住宅地の中になっており、現地から若宮八幡宮の境内に遷座されているそうです。美和神社の秋の大祭では広高神社に幣帛(へいはく)が奉献されます。
向かって右に豊磐間戸神(とよいわまどのかみ)、左に奇磐間戸神(くしいわまどのかみ)が鎮座しています。この西側には流鏑馬(やぶさめ)の説明板がありました。神社周辺に馬場があり、3月に祭りが行われていましたが、江戸時代初期以降に廃止されたそうです。
小豆島展望
随身門<写真17>の南側は開けており、広い駐車スペースやベンチがあります。地元の初日の出スポットだそうです。南東に小豆島、その手前に前島が見えました。この東側のベンチから動画も撮りました。
随身門<写真17>の西側から延びる高山城ルートは木の間道ですが、この少し北から周辺の桂山や高山<写真25,26>が見えました。この写真では、手前左が小豆島を展望できる岩盤のある150m峰、中央奥に高山<写真25,26>が見えています。何度も見ているうちに気になって予定を変更して高山に向かいました。
やせ尾根はこの少し東から360度見渡せるようになりました。この岩場の上からパノラマ動画を撮りました。ちょうど左に高山<写真25,26>、右に桂山が見えています。ここを過ぎるとまた木の間道で、しばらく展望は効きませんでした。
最後に岩が埋まった道を動画を撮りながら上ると、岩の上に高山城址のプレートがありました。高山城は、岡山県の埋蔵文化財地図では室町時代となっていますが、詳細は不明のようです。城主鳥山左馬尉についてもわかりませんでした。プレートの南東に石が人工的に並べられたようになっているのが気になりました。遺構なのでしょうか。
高山<写真25,26>から下山しようと西北西の道を進むと、展望台の案内板がありました。これは千町平野・飯井条里制跡が望めるという北東方面の景観です。残念ながら、長船町飯井(いい)地区は、木が茂ってよく見えず、その代わりに、南西方面の邑久(おく)町尾張周辺<写真28>が見えました。後でここからヤブコギで下山することになりました。
南西方面展望
展望台<写真27>より南西方面には、中央に岡山ブルーライン、左側に千町川が見えます。周辺のたんぼのあぜ道が直線でほぼ同じ幅に並んでいるのは、ここ邑久(おく)町尾張にも条里制の跡が残っているためでしょうか。1辺109m程の正方形に区画され条や里などの地番がつけられたたんぼを条里制水田といいます。班田収授の制度があった頃から、この辺りはたんぼだったのかもしれません。
&千町平野&高砂山
ヤブコギしながら、写真下方中央に見えている佐布池下池に向かって下山することにしました。中央には邑久(おく)町尾張の条里制跡らしききれいな直線のあぜ道<写真28>、奥には高砂山の南尾根の東側斜面が見えています。
須恵古代館<写真01>の展示品です。桂山・十二ヶ乢古墳群は、桂山の東麓、6基からなる古墳群で、現地に残っているのは1、2、4号墳のみです。これは、発掘調査で出土した家形須恵質陶棺です。壁に展示してある鏡の写真は築山古墳<写真02〜05>の出土品で、現在は東京国立博物館に収蔵されています。
これも須恵古代館<写真01>の展示品です。木鍋山遺跡は、瀬戸内市長船町土師(はじ)にある長船スポーツ公園から木鍋八幡宮境内にかけて広がっており、弥生時代や古墳時代の住居跡などが発掘されました。地名は土師ですが、出土品は黒っぽいので土師器ではなく須恵器のようです。その他には、新潟県の笹山遺跡から出土した火焔型土器や、長野県の棚畑遺跡の土偶(通称:縄文のビーナス)といった国宝の須恵質のレプリカなどがありました。
10円ガムコーナー
須恵古代館<写真01>が昼食中につき一時休館だったので、先に立ち寄りました。お昼の12時半近かったのですが、第1駐車場(80台)はほぼ満車で第2駐車場(90台)もそこそこ停まっていました。税込み10円コーナーは、ガム、チョコレート菓子などジャンルごとに分けられていました。撮影自由です。撮った写真を動画で紹介しています。
シカダ駄菓子岡山店内部
懐かしい駄菓子の大人買いコーナー、最近のスーパーでも売られているお菓子のコーナー、飴細工の実演販売など、見ているだけでも楽しいです。シカダ駄菓子は、駄菓子屋の息子が主人公の漫画&アニメ『だがしかし』に登場する駄菓子屋だそうです。
おもちゃコーナー
射的コーナーなどおもちゃ売り場もあります。中身は開けてからのお楽しみのおもちゃを、かごに大量に入れて叱られている子供もいました。気持ちはわかります(*^^*)
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下(厚手)
防寒具
手袋(防水加工)
軍手
雨具
日よけ帽子とフード
雨用帽子
登山靴(防水加工)
靴ひも予備
サブザック
ザックカバー
地形図
コンパス
マップケース
筆記用具
携帯
時計(防水)
タオル
カメラ
飲料水(スポドリ&茶)
水筒(保温)
非常食(栄養補助食品)
スマホ(山使用可能)
eTrex30(GPSナビゲーター)
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感想
◆◇史跡の宝庫◇◆
今回訪問した瀬戸内市長船(おさふね)町の西須恵および東須恵は史跡の宝庫で、築山古墳をはじめ数百の古墳や須恵器窯跡があります。
築山古墳から南東に延びている美和神社への参道を登っていくと、広高山(166m峰)に出ます。かつては三和ノ峰と呼ばれ、奈良県の三輪山(みわやま)と同様に神体山として崇められてきました。
この広高山には神功皇后の愛馬「白鷹」に因んだ伝説があります。
牛窓の蕪崎(かぶらさき)に船で逗留中、誤って海に落ちた白鷹は泳いで北岸に渡り、そのまま山に駆け上がり息絶えました。住民は白鷹をこの山に手厚く葬りました。そこで「白鷹山」と呼ばれるようになり、後世、訛って「広高山」となったといわれています。頂上には「奥津磐座」と称する磐座(いわくら)があります。地図上には三角点しか記載されていませんが、由緒ある山です。
美和神社は広高山頂上より約100m程南西にあります。主祭神は大物主神で、同一の神をお祀りする奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社から7世紀前後に勧請したと伝えられています。
このように築山古墳から美和神社までは長船町随一のパワースポットです。
◆◇行きはよいよい帰りは…高山アドベンチャー◇◆
地図上には記載されていませんが、美和神社から高山までの道はよく整備されており、ビューポイントもいくつかありました。小豆島をはじめ瀬戸内海諸島や、桂山や熊山などの周辺の山々、そして、高山城展望台からは条里制跡が一望できるなど、景観を楽しむことができました。また、高山頂上付近は土塁や城址が遺っており、山城特有の地形を楽しむことができました。予定を変更し高山に行ってよかったです(^^♪
ところが、高山城展望台から西須恵に下りる道がはっきりしません。イチかバチかで下りていくと、案の定、ヤブにつかまりました(´・ω・`) 下りが苦手な連れが一番苦労するコンディションで、ここから後は迷路ゲームでした。踏み跡があったかと思うと、すぐにわからなくなるシチュエーションが続き、最終的には麓の寺村集落に脱出できました。高山山行は美和神社と高山を往復するのが無難でしょう。
◆◇日本一のだがし売場◇◆
須恵古代館を少しだけ北東に進むと、「日本一のだがし売場」があります。12時半というランチタイムだというのに、駄菓子を買いに100人以上の人が来ていました。写真や動画でも紹介していますように、駄菓子やおもちゃのワンダーランドです。見て回るだけで、2時間はつぶせそうです。子供よりも我々世代のほうがテンションが高かったような気もします(*^^*)
何百種類もある駄菓子から、昭和レトロを想起させる「あたり前田のクラッカー&クリケット」「都こんぶ」「ボンタンアメ」や、「うまい棒」シリーズ全種類の中からバラ売りの20種類、そして、瀬戸内市産の日本かぼちゃのあんを使った「備前名物ちびだんご」と、ここ何年も買ったことがない駄菓子をたくさん購入しました。この地域を訪れる時は必ず立ち寄るスポットになりそうです。
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