記録ID: 1718277
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ハイキング
関東
甲州街道 府中〜日野
2019年01月27日(日) [日帰り]


体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 04:02
- 距離
- 14.9km
- 登り
- 20m
- 下り
- 1m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2019年01月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
現府中街道に合流して折り返し。
府中街道を北に向かうラインは、鎌倉街道上ノ道 永山-新小平 https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-947285.html で歩いている
府中街道を北に向かうラインは、鎌倉街道上ノ道 永山-新小平 https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-947285.html で歩いている
番場宿
「番場宿と称するようになったのは寛永十三年(一六三六)のことといわれています」
「もともとの番場宿はハケ沿いの甲州古街道筋にありましたが新街道の設置(慶安頃=一六四八〜五二)に伴って移転したものです」
慶長年間:甲州街道開設/石田の渡しルート
寛永:甲州古街道筋に番場宿
慶安:新街道設置/満願寺の渡しルート。番場宿新街道筋に移転
貞享:日野の渡しルートに
ストレートに解釈すると、
甲州街道開設時は、大國魂神社西で崖線を降りずにハケ沿いを通っており、それ沿いに番場宿が出来、満願寺の渡しルート時に台地上に移転
府中本町から分梅までは、現鎌倉街道を通っていない理屈に
「番場宿と称するようになったのは寛永十三年(一六三六)のことといわれています」
「もともとの番場宿はハケ沿いの甲州古街道筋にありましたが新街道の設置(慶安頃=一六四八〜五二)に伴って移転したものです」
慶長年間:甲州街道開設/石田の渡しルート
寛永:甲州古街道筋に番場宿
慶安:新街道設置/満願寺の渡しルート。番場宿新街道筋に移転
貞享:日野の渡しルートに
ストレートに解釈すると、
甲州街道開設時は、大國魂神社西で崖線を降りずにハケ沿いを通っており、それ沿いに番場宿が出来、満願寺の渡しルート時に台地上に移転
府中本町から分梅までは、現鎌倉街道を通っていない理屈に
(府中市美好町)
美好町三丁目西交差点
鎌倉街道(多摩センター〜西国分寺) https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1124618.html と交差
美好町三丁目西交差点
鎌倉街道(多摩センター〜西国分寺) https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1124618.html と交差
由来書
「甲州街道は往古水田地帯を通過していた。その古街道が廃され現在の街道と家並みが出来たのは十七世紀中ば、慶安から寛文の頃であった」
この地点より南方、日本電気府中事業場内に一里塚跡があるので、この辺りでは当初甲州街道はハケ道ではない
「甲州街道は往古水田地帯を通過していた。その古街道が廃され現在の街道と家並みが出来たのは十七世紀中ば、慶安から寛文の頃であった」
この地点より南方、日本電気府中事業場内に一里塚跡があるので、この辺りでは当初甲州街道はハケ道ではない
谷保天満宮前の下り坂を下りきった辺り。
現都道の左手は低地になっている。
元来の坂はもっと急であったのかと撮っているが、この部分現道の右に旧道がある。おそらくそちらが旧甲州街道。(ルートミス)
現都道の左手は低地になっている。
元来の坂はもっと急であったのかと撮っているが、この部分現道の右に旧道がある。おそらくそちらが旧甲州街道。(ルートミス)
(国立市青柳)
左折すると、満願寺の渡し跡。
旧々甲州街道 https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1712457.html の線と結ぶ為に左折して入る
左折すると、満願寺の渡し跡。
旧々甲州街道 https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1712457.html の線と結ぶ為に左折して入る
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