記録ID: 1124618
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ハイキング
関東
鎌倉街道(多摩センター〜西国分寺)
2017年05月03日(水) [日帰り]


体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 04:48
- 距離
- 15.5km
- 登り
- 63m
- 下り
- 75m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 4:28
- 休憩
- 0:21
- 合計
- 4:49
距離 15.5km
登り 77m
下り 75m
12:58
137分
スタート地点
15:15
15:16
5分
分倍河原古戦場碑
15:21
15:26
57分
コンビニ
16:23
16:38
34分
TSUTAYA休憩
17:12
0:00
35分
伝鎌倉街道/切通し
17:47
西国分寺駅
天候 | 晴れのち曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
西国分寺駅 |
その他周辺情報 | 旧鎌倉街道探索の旅 上道編 旧鎌倉街道探索の旅 I 上道・山ノ道編 (芳賀善次郎著) 東京古道探訪/荻窪圭 |
写真
(多摩市東寺方)
「東寺方(ひがしてらがた)は、東京都多摩市の大字。」
東寺方 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%AF%BA%E6%96%B9
「1889年4月1日 - 市制町村制施行により、関戸村・連光寺村・貝取村・乞田村・落合村・和田村・東寺方村・一ノ宮村の8ヶ村、および百草村・落川村両村の飛地が合併し多摩村となる」
多摩市 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E6%91%A9%E5%B8%82#.E6.AD.B4.E5.8F.B2
「東寺方(ひがしてらがた)は、東京都多摩市の大字。」
東寺方 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%AF%BA%E6%96%B9
「1889年4月1日 - 市制町村制施行により、関戸村・連光寺村・貝取村・乞田村・落合村・和田村・東寺方村・一ノ宮村の8ヶ村、および百草村・落川村両村の飛地が合併し多摩村となる」
多摩市 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E6%91%A9%E5%B8%82#.E6.AD.B4.E5.8F.B2
(府中市住吉町)
関戸橋を渡った地点は迅速測図ではまだ河原の中。
左へ進み迅速測図上のラインあたりから対岸を。
芳賀氏は、古道は関戸橋の東方を通っていた、している。
その延長線上の府中本町駅方向へ進む筋は以前歩いているので、関戸橋北からは、国分尼寺跡へのルートをとる。
関戸橋を渡った地点は迅速測図ではまだ河原の中。
左へ進み迅速測図上のラインあたりから対岸を。
芳賀氏は、古道は関戸橋の東方を通っていた、している。
その延長線上の府中本町駅方向へ進む筋は以前歩いているので、関戸橋北からは、国分尼寺跡へのルートをとる。
分倍河原古戦場碑
芳賀氏の探索時以降に移設された模様。
参考:川合章子の部屋:分倍河原古戦場跡:http://blog.livedoor.jp/hongxilong/archives/51899157.html
芳賀氏の探索時以降に移設された模様。
参考:川合章子の部屋:分倍河原古戦場跡:http://blog.livedoor.jp/hongxilong/archives/51899157.html
分梅(ぶばい)
まちねっと府中/分梅町http://machinetfuchu.com/machi/bubai/bubai.html
東京新聞:<地名編>分梅町(府中市) 時代は移り 風流な名に:東京通:東京情報・知る(TOKYO Web)http://www.tokyo-np.co.jp/tokyoguide/hold/tokyo-tu/CK2008053002100018.html
まちねっと府中/分梅町http://machinetfuchu.com/machi/bubai/bubai.html
東京新聞:<地名編>分梅町(府中市) 時代は移り 風流な名に:東京通:東京情報・知る(TOKYO Web)http://www.tokyo-np.co.jp/tokyoguide/hold/tokyo-tu/CK2008053002100018.html
(府中市美好町三丁目)
屋敷分(やしきぶん)
"1880年:市域中心部の4町(新宿町、本町、番場宿町、八幡宿町)と屋敷分村が合併して「府中駅」となる。"
府中市 (東京都) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%9C%E4%B8%AD%E5%B8%82_(%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD)#.E5.B9.B4.E8.A1.A8
屋敷分(やしきぶん)
"1880年:市域中心部の4町(新宿町、本町、番場宿町、八幡宿町)と屋敷分村が合併して「府中駅」となる。"
府中市 (東京都) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%9C%E4%B8%AD%E5%B8%82_(%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD)#.E5.B9.B4.E8.A1.A8
府中第四中にぶつかり古道消失
芳賀氏はこの裏側の現道に続く推定。
荻窪氏はこの裏側の現道から右/東にずれて、武蔵国文尼寺あたりまで消失と記述。
迅速測図と今昔Map on the web/明治41年測図を見ると現在の甲州街道と交差する道は、甲州街道と直交するようになっているが、(新)甲州街道以前の道は(旧)甲州街道から斜めに進んでいるので、(新)甲州街道より南から現道より右手にずれていると思われる。(すなわち旧道ラインはこの道より右手をやや右斜めに進んでいた)
右折(してすぐ左折)
芳賀氏はこの裏側の現道に続く推定。
荻窪氏はこの裏側の現道から右/東にずれて、武蔵国文尼寺あたりまで消失と記述。
迅速測図と今昔Map on the web/明治41年測図を見ると現在の甲州街道と交差する道は、甲州街道と直交するようになっているが、(新)甲州街道以前の道は(旧)甲州街道から斜めに進んでいるので、(新)甲州街道より南から現道より右手にずれていると思われる。(すなわち旧道ラインはこの道より右手をやや右斜めに進んでいた)
右折(してすぐ左折)
撮影機器:
感想
1.落川,東寺方経由の旧官道筋(復刻版:省略)
2.関戸から府中西回り(国分尼寺跡通過)
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