西宮道と大阪からきた有馬道との追分からスタート。現在は住宅が連なっていますが昔は田畑ばかりの場所でした。
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西宮道と大阪からきた有馬道との追分からスタート。現在は住宅が連なっていますが昔は田畑ばかりの場所でした。
左手に六甲山の東の端を見ながら進みます。右の池は昔からあるもので古地図にも描かれています。
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左手に六甲山の東の端を見ながら進みます。右の池は昔からあるもので古地図にも描かれています。
JR福知山線の下を潜ります。左へ。開業当時の煉瓦造りの橋脚の遺構が残っています。
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JR福知山線の下を潜ります。左へ。開業当時の煉瓦造りの橋脚の遺構が残っています。
武庫川を対岸に渡ります。かつては渡しが右手の道路橋沿いにあったといいます。
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武庫川を対岸に渡ります。かつては渡しが右手の道路橋沿いにあったといいます。
対岸の信号で右へ。直進しても生瀬へ抜けることが出来ますが明治道になります。
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対岸の信号で右へ。直進しても生瀬へ抜けることが出来ますが明治道になります。
左上へと上っていきます。道路建設の影響で若干変わっていますがここが江戸時代の生瀬宿への入口です。
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左上へと上っていきます。道路建設の影響で若干変わっていますがここが江戸時代の生瀬宿への入口です。
生瀬宿。江戸時代は荷物継立ての宿駅として繁栄して多くの運送業者が居住していました。昔ながらの妻入建築の民家は阪神淡路大震災で一気に数が減ってしまっています。
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3/31 6:47
生瀬宿。江戸時代は荷物継立ての宿駅として繁栄して多くの運送業者が居住していました。昔ながらの妻入建築の民家は阪神淡路大震災で一気に数が減ってしまっています。
生瀬宿の西の端。生瀬は河岸段丘の上に発達した村なので武庫川沿いの立地にも関わらず水利が悪かったので支流である太多田川の上流から水路で水を引いてきたそうです。
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3/31 6:58
生瀬宿の西の端。生瀬は河岸段丘の上に発達した村なので武庫川沿いの立地にも関わらず水利が悪かったので支流である太多田川の上流から水路で水を引いてきたそうです。
生瀬駅。開業当初は有馬口駅と呼ばれ有馬温泉へ行く多くの人がこの駅を利用していました。そのため江戸時代以降も宿場は賑わっていたのですが長続きはせず交通体系などの変化から衰退していきます。
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3/31 6:59
生瀬駅。開業当初は有馬口駅と呼ばれ有馬温泉へ行く多くの人がこの駅を利用していました。そのため江戸時代以降も宿場は賑わっていたのですが長続きはせず交通体系などの変化から衰退していきます。
JR福知山線をくぐります。かつては洞門の前から右へ踏切で抜けていたようです(向こう側に痕跡あり)
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JR福知山線をくぐります。かつては洞門の前から右へ踏切で抜けていたようです(向こう側に痕跡あり)
左へ。国道176号と合流します。
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左へ。国道176号と合流します。
国道176号といえば平行する中国自動車道が大渋滞の時はこちらも阿鼻叫喚になることで有名です。
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3/31 7:05
国道176号といえば平行する中国自動車道が大渋滞の時はこちらも阿鼻叫喚になることで有名です。
信号の先で太多田川を渡ります。
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信号の先で太多田川を渡ります。
太多田川橋付近は現在工事中。渡った先で左へ。ここには道標があります。
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太多田川橋付近は現在工事中。渡った先で左へ。ここには道標があります。
「右 三田道」「左 有馬道」大阪市南区の文字があるので明治初期以降のもの。
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「右 三田道」「左 有馬道」大阪市南区の文字があるので明治初期以降のもの。
JR福知山線の旧橋脚。
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JR福知山線の旧橋脚。
ここから県道沿いに進みます。歩道はほとんどないのでご注意ください。
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ここから県道沿いに進みます。歩道はほとんどないのでご注意ください。
太多田川を横に眺めながら。勾配自体は大変緩やかです。昔からよく使われていた街道であるのも納得できます。
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3/31 7:15
太多田川を横に眺めながら。勾配自体は大変緩やかです。昔からよく使われていた街道であるのも納得できます。
ただ江戸時代の状況はというと有馬温泉への湯治客が頻繁に往来するにも関わらず道らしき道はなく岩がごろごろした太多田川の河原・瀬を通る道筋だったようです。特に生瀬から船坂までの一里の間は太多田川の川瀬を右に左に行ったりきたりだったので「四十八飛び」あるい「四十八ヶ瀬」と呼ばれていました。
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3/31 7:20
ただ江戸時代の状況はというと有馬温泉への湯治客が頻繁に往来するにも関わらず道らしき道はなく岩がごろごろした太多田川の河原・瀬を通る道筋だったようです。特に生瀬から船坂までの一里の間は太多田川の川瀬を右に左に行ったりきたりだったので「四十八飛び」あるい「四十八ヶ瀬」と呼ばれていました。
この時間だと交通量はかなり少なく快適に歩けました。県道は明治道ですが改良が続けられているので一部付替え箇所が見られます。
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3/31 7:30
この時間だと交通量はかなり少なく快適に歩けました。県道は明治道ですが改良が続けられているので一部付替え箇所が見られます。
県道は大きくヘアピンとなりますが旧道はそのまま真っすぐ進みます。ゲートがあるので自己責任で。ちなみにこの手前には知るべ岩(しるべいわ)があります。太閤さんが有馬入湯の際、旅人が座頭谷に迷い込んだのを聞いて岩に ”右ありま道”と刻んだと言われています。
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3/31 7:40
県道は大きくヘアピンとなりますが旧道はそのまま真っすぐ進みます。ゲートがあるので自己責任で。ちなみにこの手前には知るべ岩(しるべいわ)があります。太閤さんが有馬入湯の際、旅人が座頭谷に迷い込んだのを聞いて岩に ”右ありま道”と刻んだと言われています。
蓬莱峡。
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3/31 7:40
蓬莱峡。
旧道を進みます。これもおそらくは明治に作られた路盤でしょう。
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3/31 7:41
旧道を進みます。これもおそらくは明治に作られた路盤でしょう。
20系客車のブルートレインを使った宿(廃業)を横目に見ながら道なりに進みます。
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3/31 7:44
20系客車のブルートレインを使った宿(廃業)を横目に見ながら道なりに進みます。
突き当りに見えますが右手に右に巻く道筋が残っています。紛れもなく明治の旧道です。
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3/31 7:47
突き当りに見えますが右手に右に巻く道筋が残っています。紛れもなく明治の旧道です。
しっかりした路盤が残っています。
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3/31 7:49
しっかりした路盤が残っています。
道なりに進むと左上に県道のガードレールが見えてきます。
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3/31 7:51
道なりに進むと左上に県道のガードレールが見えてきます。
明治道の路盤はこの先も巻いて上っていますが今回は明治道探索ではないのでここを左上へ獣道を上って県道に合流しました。
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3/31 7:52
明治道の路盤はこの先も巻いて上っていますが今回は明治道探索ではないのでここを左上へ獣道を上って県道に合流しました。
蓬莱峡バス停付近。こちら側はフェンスが開いているので旧道入口がわかりやすいです。
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3/31 7:53
蓬莱峡バス停付近。こちら側はフェンスが開いているので旧道入口がわかりやすいです。
峡谷を巻いて進む道筋。
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3/31 7:59
峡谷を巻いて進む道筋。
やがて船坂地区に入ります。ここで四十八瀬と呼ばれた区間の終わり。ここで左に曲がって橋を渡るのが案内されている道筋ですが真っすぐ少し進めば左下へ”清水”へと下りる道があるので本来はこっちが正解なのではと思います。
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3/31 8:16
やがて船坂地区に入ります。ここで四十八瀬と呼ばれた区間の終わり。ここで左に曲がって橋を渡るのが案内されている道筋ですが真っすぐ少し進めば左下へ”清水”へと下りる道があるので本来はこっちが正解なのではと思います。
随分と細い水量になった太多田川。この水量なら四十八瀬も楽なんでしょうね。
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3/31 8:16
随分と細い水量になった太多田川。この水量なら四十八瀬も楽なんでしょうね。
船坂地区には湯山街道(有馬道のこと)の案内看板が豊富にあります。
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3/31 8:17
船坂地区には湯山街道(有馬道のこと)の案内看板が豊富にあります。
”清水”はこの日は枯れていました。三つに仕切られていて上流側から飲み水用、食器洗い用、野菜洗いと洗濯用になっています。
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3/31 8:18
”清水”はこの日は枯れていました。三つに仕切られていて上流側から飲み水用、食器洗い用、野菜洗いと洗濯用になっています。
船坂は今回の区間における主要な中継地として集落が形成されていました。集落内は平坦ではなく緩やかな坂が続いています。
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3/31 8:20
船坂は今回の区間における主要な中継地として集落が形成されていました。集落内は平坦ではなく緩やかな坂が続いています。
ここを右へ。直進は明治道です。
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3/31 8:21
ここを右へ。直進は明治道です。
再び川を渡ります。
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3/31 8:21
再び川を渡ります。
県道を横断します。
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3/31 8:22
県道を横断します。
細い道筋を進みます。案内看板は有り難いですね。
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3/31 8:22
細い道筋を進みます。案内看板は有り難いですね。
学校の校庭のような場所を横切ります。ちなみに船坂小学校は西宮市で最も歴史のある小学校で明治6年2月1日に善照寺本堂を仮校舎として開校しています。
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3/31 8:26
学校の校庭のような場所を横切ります。ちなみに船坂小学校は西宮市で最も歴史のある小学校で明治6年2月1日に善照寺本堂を仮校舎として開校しています。
工事中ですがバリケードがなかったのでそのまま進みました。
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3/31 8:27
工事中ですがバリケードがなかったのでそのまま進みました。
船坂を俯瞰。
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3/31 8:28
船坂を俯瞰。
坂を上った先。
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坂を上った先。
ここを左へ。
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ここを左へ。
狭い道はここに出てきます。右に折れて少し進んで左へ。
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狭い道はここに出てきます。右に折れて少し進んで左へ。
草道を進むとコンビニがある船坂交差点に出ます。
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草道を進むとコンビニがある船坂交差点に出ます。
ここから先はほぼ県道沿いを進みます。
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3/31 8:42
ここから先はほぼ県道沿いを進みます。
白水峡。
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白水峡。
木々がなければ圧巻でしょうね。道路に路肩がないので気づかずに通り過ぎる人が多そうです。
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木々がなければ圧巻でしょうね。道路に路肩がないので気づかずに通り過ぎる人が多そうです。
霊園前のバス停の先で左へ。少しだけ旧道が残っています。
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3/31 9:00
霊園前のバス停の先で左へ。少しだけ旧道が残っています。
旧道は川で寸断されているので引き返して県道に戻ります。
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旧道は川で寸断されているので引き返して県道に戻ります。
続いてこちらも旧道入口。
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続いてこちらも旧道入口。
25mほど藪道になっています。
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25mほど藪道になっています。
藪道を抜けて県道と合流。ちなみにこの他にも県道沿いには旧道の痕跡が至る所にありますが不鮮明な場所が多く路盤が脆いので探索を断念しています。
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藪道を抜けて県道と合流。ちなみにこの他にも県道沿いには旧道の痕跡が至る所にありますが不鮮明な場所が多く路盤が脆いので探索を断念しています。
芦有道路の出口を横切れば有馬温泉はすぐ。
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芦有道路の出口を横切れば有馬温泉はすぐ。
温泉街が見えてきました。この付近は杖捨坂。
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温泉街が見えてきました。この付近は杖捨坂。
橋を渡って右へ。
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橋を渡って右へ。
ここを左へ。観光客が増えてきます。有馬温泉内は古い絵図が多数残っているのはほぼ昔の道筋で歩くことができます。
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ここを左へ。観光客が増えてきます。有馬温泉内は古い絵図が多数残っているのはほぼ昔の道筋で歩くことができます。
「右六かう山へ、すぐ京大坂へ」
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「右六かう山へ、すぐ京大坂へ」
湯本坂と呼ばれる街道筋は古い家が残り街道情緒がいい感じです。
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湯本坂と呼ばれる街道筋は古い家が残り街道情緒がいい感じです。
夜は夜で素敵な雰囲気があります。
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夜は夜で素敵な雰囲気があります。
左手に金の湯(一乃湯、二之湯)を見ながらゴールへ。
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左手に金の湯(一乃湯、二之湯)を見ながらゴールへ。
突き当りがゴール。他方面への街道筋と合流しています。
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突き当りがゴール。他方面への街道筋と合流しています。
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