記録ID: 1795102
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ハイキング
赤城・榛名・荒船
桜満開の大胡城を囲む史跡めぐりコース
2019年04月13日(土) [日帰り]


体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 01:13
- 距離
- 5.3km
- 登り
- 32m
- 下り
- 24m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
http://www.jomorailway.com |
コース状況/ 危険箇所等 |
なし |
その他周辺情報 | JR前橋駅周辺にホテル、日帰り温泉あり |
写真
大胡宿道標
江戸時代、日光裏街道の宿場であった大胡は、赤城南麓の交通の要所でもあった。宿の中央四ツ門に文化6(1809)年に建てられた。道標には、「西・前橋・米野」「南・五料・伊勢崎」「北・日光・大間々」「東・文化6年6月」と刻まれている。五料とは利根川の五料河岸のあるところである。
江戸時代、日光裏街道の宿場であった大胡は、赤城南麓の交通の要所でもあった。宿の中央四ツ門に文化6(1809)年に建てられた。道標には、「西・前橋・米野」「南・五料・伊勢崎」「北・日光・大間々」「東・文化6年6月」と刻まれている。五料とは利根川の五料河岸のあるところである。
大胡城跡 見事な桜 満開
鎌倉幕府の御家人、大胡氏が築城した。後に天正18(1590)年牧野康成が城主となり、越後長岡移封後、前橋藩主酒井氏が城代を置き、酒井氏が姫路移封後、廃城となった。抜群の築城規模で保存状態も良く、赤城南麓を代表する城跡である。
鎌倉幕府の御家人、大胡氏が築城した。後に天正18(1590)年牧野康成が城主となり、越後長岡移封後、前橋藩主酒井氏が城代を置き、酒井氏が姫路移封後、廃城となった。抜群の築城規模で保存状態も良く、赤城南麓を代表する城跡である。
大胡神社 大胡城近戸曲輪にあり、城主大胡常陸介高繁が天正17(1589)年三夜沢赤城神社から勘請し、大胡城の守り神とした。昔は近戸神社といわれていたが明治42(1909)年に大胡地域すべての神社を合祀し、大胡神社と改称した。
金蔵院 山門
明治以前は金胎寺といい、元亀年間(1570~1573)祐慶上人が開山した。明治42(1909)年に大胡城内にあった玉蔵院や江木町にあった西方寺を合併し、寺号を金蔵院と改称した。
明治以前は金胎寺といい、元亀年間(1570~1573)祐慶上人が開山した。明治42(1909)年に大胡城内にあった玉蔵院や江木町にあった西方寺を合併し、寺号を金蔵院と改称した。
養林寺
天正18(1590)年大胡城主となった牧野氏が先の城主大胡氏の念仏道場の草庵跡と知って、この地に養林寺を建立した。またこの地は中世館跡であり、寺院裏手に堀跡がある。朱印地として幕府から100石を賜る。
天正18(1590)年大胡城主となった牧野氏が先の城主大胡氏の念仏道場の草庵跡と知って、この地に養林寺を建立した。またこの地は中世館跡であり、寺院裏手に堀跡がある。朱印地として幕府から100石を賜る。
長善寺
大胡城主 大胡太郎が開基。中世、赤城南麓滝窪町白草の地に創建された。弘治・永禄の頃(1555~1569)現在地へ移転されたという。山号の豊国山は豊臣秀頼から自筆の山号書を賜ったことに由来する。
大胡城主 大胡太郎が開基。中世、赤城南麓滝窪町白草の地に創建された。弘治・永禄の頃(1555~1569)現在地へ移転されたという。山号の豊国山は豊臣秀頼から自筆の山号書を賜ったことに由来する。
本応寺 山門
正応4(1291)年に鎌倉幕府執権、北条氏の御内人で、大胡を生国といわれる南条時光が大檀那となり、日蓮の弟子、日興を開山として創建された。明治6(1873)年大胡小学校がこの寺に設置された。
正応4(1291)年に鎌倉幕府執権、北条氏の御内人で、大胡を生国といわれる南条時光が大檀那となり、日蓮の弟子、日興を開山として創建された。明治6(1873)年大胡小学校がこの寺に設置された。
大胡電車庫 電車運転体験ツアーイベント中でした。
http://www.jomorailway.com/tour.html
http://www.jomorailway.com/tour.html
大胡電車庫
昭和3(1928)年開業の上毛電気鉄道の施設で、駅舎、車庫、変電所等が国の登録有形文化財に指定され、開場当初の姿をそのままに残しながら現在もなお使用されている。昭和の面影を残す駅舎や、トラス構造の車庫は貴重な建築物である。
大胡電車庫イベント時には、車庫内に入ることができる。
http://www.jomorailway.com/event.html
昭和3(1928)年開業の上毛電気鉄道の施設で、駅舎、車庫、変電所等が国の登録有形文化財に指定され、開場当初の姿をそのままに残しながら現在もなお使用されている。昭和の面影を残す駅舎や、トラス構造の車庫は貴重な建築物である。
大胡電車庫イベント時には、車庫内に入ることができる。
http://www.jomorailway.com/event.html
大胡電車庫イベント時には、車庫内に入ることができる。
http://www.jomorailway.com/event.html
地元観光ボランティアガイドによる「大胡城を囲む史跡めぐり」ツアー参加時のもの 5年前に撮影
http://www.jomorailway.com/event.html
地元観光ボランティアガイドによる「大胡城を囲む史跡めぐり」ツアー参加時のもの 5年前に撮影
長興寺
天正18(1590)年大胡城主の重鎮で後に伊勢崎藩主となった稲垣家の菩提寺。徳川家康より朱印地50石を与えられる。豊川稲荷を寺の鎮守としている。牧野家家老山本氏や前橋藩家老大河内氏などの墓もある。山門は嘉永6(1853)年に稲垣氏の寄進によって建てられたもの。
天正18(1590)年大胡城主の重鎮で後に伊勢崎藩主となった稲垣家の菩提寺。徳川家康より朱印地50石を与えられる。豊川稲荷を寺の鎮守としている。牧野家家老山本氏や前橋藩家老大河内氏などの墓もある。山門は嘉永6(1853)年に稲垣氏の寄進によって建てられたもの。
装備
個人装備 |
Tシャツ
ソフトシェル
ズボン
靴下
靴
サブザック
飲料
GPS
ガイド地図(ブック)
保険証
携帯
時計
サングラス
タオル
カメラ
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感想
大胡城を囲む史跡めぐりコースを、桜満開の中歩くことができました。前回は、5年前、地元観光ボランティアガイドによる「大胡城を囲む史跡めぐり」ツアーに参加して、桜の木々がたくさんあったので、桜が満開のころなら綺麗だろうなと思いながら参加しましていました。今回は、ツアーではなかったので、お寺さんの中は廻れませんでしが、桜満開の中、里山?まち歩きを小一時間で廻り、楽しむことができました。ぜひ、お寺での解説や大胡車庫の中をみたいという方は、桜は散ってしまっているかもしれませんが、上毛電鉄「春のイベント2019」に参加して楽しんでみてください。http://www.jomorailway.com/event.html
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