大聖寺・錦城山
- GPS
- 03:13
- 距離
- 11.7km
- 登り
- 159m
- 下り
- 151m
コースタイム
- 山行
- 2:44
- 休憩
- 0:29
- 合計
- 3:13
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
復路:JR北陸本線加賀温泉駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
錦城山の遊歩道は整備されているが一部草が覆っている |
写真
感想
大聖寺は嘗て加賀藩の支藩が置かれ前田氏が藩主を務めた。鎌倉時代に狩野氏によって錦城山に城が築かれた。戦略的意味もあり石堂山の北東麓にはお寺が集められている。大聖寺駅から線路沿いを南西に進み寺院群の入口に達し実性寺に到った。北国の感じの良いお寺で次の蓮光寺との間には何と葬儀場があった。民家を挟みながら6箇寺ほどあり北端には加賀神明宮があった。長い参道を持つ神社だが今日は横からすいっと入った。昭和34年までは「山下神社」を名乗っていたようで天照大神を祀る。境内には琴平神社、松尾神社、橋姫神社、そして山の上に白山神社がある。橋姫神社は、京都太秦から勧請したという。松尾神社も京都の酒の神様とゆかりがある。
熊坂川に架かる越前橋を渡ると川の両岸は桜並木で花の季節は凄いことになりそうだ。錦城小学校の横から山端に近づくと大聖寺城趾で先ず目に飛び込むのは巨大な忠魂碑、左側に大手の登山道があったが効率良く回るには北東側の登山口から入るのがよさそうで北側まで回って見たが斜面は険しく、道はありそうになく忠魂碑に戻ることにした。
戻る途中、旧大聖寺川沿いに江沼神社があり参拝した。境内には“長流亭”があり見学は要予約と書かれていた。案内板によると藩主の休息所として宝永6年(1709)に建てられたものだろう。大手の登山口に戻るとポストの中に案内図があり非常に参考になった。先ずは東丸に上がると展望が開け残雪を背負った白山や笈ヶ岳、大笠山を見ることができた。城地の縁を歩き鐘が丸に到った。北側は深い谷で津葉(つば)城趾を人工的に隔てている。西の丸、三の丸と進み南東端の戸次丸に足を伸ばした。「べっき」と読ませるようで織田信長の武将戸次(へつぎ)氏が築いたと伝わるが、信長の武将に別喜(べっき)氏という人もいて何か混乱が生じたのではないかと案内板にあった。引き返して二の丸から本丸に到ると一段高い所に櫓台跡があるが建物跡は確認されていないようだ。等高線を見る限り錦城山の最高点は本丸櫓台(65m’)ではなく鐘が丸(70m’)の位置のようだ。
馬出曲輪まで下ると展望が良く、加賀大観音が見えていた。此のまま大手登山道を下ると同じ道になってしまうので本丸に戻って搦手から下りた。忠霊塔裏の広い谷間に道があり広い平野部は城主の居館のエリアであったことから此処が大手だったのだろうか。
江沼神社の横から旧大聖寺川を渡り、深田久弥山の文化館に立ち寄った。300円の入館料を支払うと係りの人が案内してくれた。友人の息子が次男沢二氏の教え子だと云うと残念ながら昨年お父様と同じ脳梗塞かなんかで無くなられたと云う。深田久弥の絶筆の書「世界百名山」は41座まで収められこれが完成していれば世界的な名著になっていただろう、残念だと仰っていた。
大聖寺は特急が止まらないので隣の加賀温泉駅まで行かなければならない。時間もまだ大丈夫そうなので歩いて行くことにした。大聖寺川を渡ると加賀二宮菅生石部神社があり拝殿に近づくと怪我で腕を吊った少年と母親が長い時間神前に頭を垂れていた。田園地帯になりJR北陸本線が見えてくると北陸新幹線の高架橋がニョキニョキ立ちだし令和4年の開業が待たれる。
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