記録ID: 185895
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キャンプ等、その他
関東
【中2林間学校・新鹿沢】 地蔵峠 〜 烏帽子岳 〜 湯ノ丸山
1961年07月29日 〜
1961年07月30日


- GPS
- 33:50
- 距離
- 28.0km
- 登り
- 1,615m
- 下り
- 1,616m
コースタイム
1日目
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
23:36
0分
スタート地点
23:36
ゴール地点
7/29: 14:00 --- 16:00 「村上山」登山 -- (14:30) -- 希望者約40人で登山
7/30:鹿沢館(7:40) → 地蔵峠(9:40) → 烏帽子岳(11:00=11:45) → 湯ノ丸山(13:00=13:15)
→ 鹿沢館(15:30)
-- ☆★ 所要時間:7時間50分 ★☆ --
7/30:鹿沢館(7:40) → 地蔵峠(9:40) → 烏帽子岳(11:00=11:45) → 湯ノ丸山(13:00=13:15)
→ 鹿沢館(15:30)
-- ☆★ 所要時間:7時間50分 ★☆ --
天候 | 7/30:晴れ |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
◎ 当時の記録から、"原文のまま"を 抜粋。 5時に起きて、旅館の上の大地で 体操をした。 幅4m位の 道の悪いバス通りを、長い列を作って 「旧鹿沢」へ向かった。 そして、第一の休憩 「地蔵峠」に着いた。ここは、景色は良くない。 ここで、10人ぐらいは引き返し、あとは出発した。 だんだん景色が良くなってきたが、疲れてきた。 「湯ノ丸山」のはるか下を通って、「烏帽子岳」と「湯ノ丸山」の 分岐についた。 ここで、「烏帽子岳」と「湯ノ丸山」を登って帰る組と「湯ノ丸山」 だけ登って帰る組の二つに分かれた。 「烏帽子岳」の苦しい登りにさしかかったが、全員無事とおり越えた。 対山の「湯ノ丸山」を見ると、登っているのが粒のように点々とわかる。 やっと頂上に着いた。 対山の「湯ノ丸山」、その上に煙を吐いた浅間、遠く冨士、八ヶ岳、 アルプスなど、非常に美しい。 空には、無数のトンボがうるさく飛んでいる。旅館の弁当を食べた。 「湯ノ丸山」の登りで、落伍者も出てきた。疲れて誰も喋らない。 頂上に着いた。 ほとんどの人が水が無かったので、みんなとても喉が渇いた。 そして、水を求めて 旧鹿沢へ向かった。川で水を飲んだ。そして、 やっと旅館に着いた。 |
写真
撮影機器:
感想
◎ 私の年代は、いわゆる「団塊の世代」ですから、当時の中学校は
2学年13クラスもありまして、1クラスは "すし詰め学級"で、
52人位は居ました。
ですから、2学年650人以上 (50×13組)は 生徒がおりまして、
これをA班(7/26〜7/29),B班(7/29〜8/1)に分け、希望者が参加したのです。
◎ B班の参加者は 189人+教員十数名ですが、「ヤマレコ」では、
30人以上しか選べません。
◎ 林間学校の全日程は7/29〜8/1。(三泊四日)
内登山が 29日:「村上山」及び 30日:「地蔵峠 〜 烏帽子岳 〜
湯ノ丸山」
◎ 現存する記録から、古い順 (今から53年前) に「登録」をしております。
◎ 山登りも楽しかったですが、旅館での夜や、キャンプファイヤーの
様子が事細かに書かれており、自分ながらに こんなにも細かく記録を
残したのか?と感心してしまいました。
◎ 当時の写真は 勿論"白黒"で、 11枚の写真が納められています。
この中で、「烏帽子岳」への 石のガラガラした登りを、列を作って
登っている様子が写っていました。
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