楢山峠(町興しの山)
- GPS
- 02:17
- 距離
- 5.6km
- 登り
- 197m
- 下り
- 208m
コースタイム
- 山行
- 1:50
- 休憩
- 0:30
- 合計
- 2:20
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
楢山峠が復活した、という新聞の記事を読んでから数年経った。地元の方々が地域おこしの一環として整備したという記事だった。そのうちに行ってみようと思っていたら、ツリーハウスが出来たという記事が載った。峠とツリーハウスの取り合わせは聞いたことが無い。事前に申し込めば使用可能とあった。泊まるつもりは無いが興味津々、先日の飯士山の帰り道にも楢山峠が話題になった。思いたったが吉日。早速出かける。
事前にナビで目的地をセットしておかなければ、と思ったのだが怠ってしまった。土地勘はあるつもりだったのだが、さっぱりわからない。地元の人に聞きながらの運転となった。ところが通り越してしまって、さっき走っていた方向へ向かっていた。守門村出身の山友は、旧守門村は日本一広い村だった、という。確かに広い。公会堂の脇に車を停めて歩き始めようとすると、おじさんが話しかけてきた。「真平へ行くなら真っ直ぐ行けばいい。一時間くらいだ」と親切だ。「車はここでいいですか」と聞くと、登山口に駐車場が有ると教えてくれた。山の人は概して皆親切である。
沢合に切られた道を進む。田植えが終わったばかりだ。青々とした苗が秋になれば黄金の穂に変わるのだ。楽しみなことであろう。ただ、茫々と萱の生い茂る元田圃と思われる土地も沢山ある。子供のころ親戚の家に田植えの手伝いに行ったときのことを思いだした。トラクター等と言うものは見たこともなく、馬で田起こしや代掻きをしていた時代だ。子供だった私は、昼の弁当運びくらいしか出来ないが、老若男女力を合わせてやったものである。
杉の林が続き「皇太子殿下御成婚記念の森」と書かれた標柱がある。今年出かけた、裏磐梯の桜峠の桜は、愛子様生誕記念で整備されたが、皇室の慶事には全国に御祝い金が下賜されるのだろうか。左手へ山道に入る。ヒメサユリが一輪咲いていた。小さな背丈でほんとに一輪だけ咲いている。ヒメサユリは、ぽつりぽつりと咲いていて、急がず休んで行きなさい、と言わんばかりである。ヒメサユリの群落は無い。エゴノキの花の盛りは過ぎたが、オオカメノキ等が咲く。木々の間から粟ヶ岳等の遠望を楽しむこともできる。総じてなだらかな道である。
平らな広場に出るとツリーハウスがある。真新しいハウスである。樹上のハウスとは珍しい。これまで見た記憶は無い。しっかりした作りだ。管理者に連絡して泊まることもできる。新聞記事によれば有料である。道は広い道となり先へと続いていている。重機の通った道のようである。ゴルフ場の管理用の施設、多分配水施設思われる建造物もある。三角点は見つけることが出来なかった。笹藪で倒伏した笹が多く、戦意喪失。私は三角点おたくではないので即撤退。ツリーハウスからの展望が気になり、登ろうとしたら上の方に「立ち入り禁止」の看板が見えた。ここに居るのは私一人。こっそり登っても知る人はいない。1分も有ればと思ったが「天知る地知る我知る」の例えもある。潔くあきらめて下山する。
降り口付近の地質が特異だ。地肌が露出していていつ滑り出してもおかしくない、と感じてしまう地形だ。さらに円礫が露出している。ということは、ここはもともと川底や海岸だった可能性が有る。悠久の地質の生成にも思いが至る。エゴノキの花に見とれ、道を進むと原野と化した田んぼが出てくる。山間地の水稲栽培の現状は、厳しいのだな〜、と思わざるを得ない。ぶらぶら道を辿ると、田植えの終わった田んぼの中で何かが一斉に動いた。良く見るとオタマジャクシだった。移りゆく自然の中でも、小さきものの命が連綿と受け続けられている。衝撃的といっても過言でないほどの発見。
ブラブラ歩いて行くと直ぐに登山口となった。時間が早かったので高城経由で袴腰山へ登ることにした。あちらのヒメサユリはどうだろうか。期待を込めて袴腰へと車を走らせる。
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