多賀城址散策,南三陸町志津川を再訪、仙台で胃カメラ
- GPS
- 00:24
- 距離
- 1.4km
- 登り
- 23m
- 下り
- 19m
コースタイム
- 山行
- 0:22
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:22
天候 | 梅雨入りするも曇天,翌日は本降りでスキーの計画は頓挫 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
ほんとは日記の内容なのですが、多賀城址散策のログをつけて無理矢理記録にしあげました。笑ってご容赦ください。
■多賀城
仙台の青葉山城はつとに有名で観光整備もなされていて多くの人が訪れます。
仙台市の隣街、多賀城市には多賀城址(国の特別史跡に指定)がありますが、一般的な認知度は低いんでしょうね。
奈良朝から平安朝の頃の施設ですので、「城」といってももちろん天守閣も石垣もありません。
木柵と土塁で防御態勢をとった東北地方の役所、と言えば理解しやすいと思います。
ほぼ平坦な遺構しかありませんが、イマジネーションを働かす事さえできれば、そこここに平安時代の役人が闊歩し、小さな馬に飼い葉を与える埴輪みたいな格好をした軍人の姿が見えたりします。
歴史好きは安上がりです(笑)
■志津川の地
震災の翌年に80坪ほどの木造建築の依頼がありました。
遠方なので段取りが大変であり、インフラ復旧前で不便な事もあって正直なところ気乗りしなかったのですが、「話しがあったという事は縁があったという事」と思いたって初めて東北地方での、それも被災地での建築工事をしてきました。
志津川はテレビで何度も観たあの津波被害の土地です。
初めて訪れた時には言葉もなにも・・・。
訪問回数を重ねても慣れるという事は無くて、行くたびに悲しさと虚しさで胸がいっぱいになったものです。
今回、7年ぶりの訪問となりました。
最初に探したのは当時建設した建物です。高台の上で元気に稼働して、地域経済の復旧と街づくりに活躍しているようです。
次は旧防災庁舎。
防災無線のアナウンス担当のお嬢さんが波に飲み込まれるまで避難放送をした、あの建物の残骸です。
当時はここでお経と線香を供えるのが習慣でしたが、今回もそれが主目的です。
例の鉄骨造は見つかりましたが、どうも景色が違う。移転したのかな?
残念ながら周辺工事中のため近くに行くこともできないようです。
三三商店街で聞いたところ、建物の場所は変わっていないそうでした。
高い堤防などで景色が変わってしまったのですね。
7年ぶりに訪れた志津川の地。
人が住めない土地があったりして「途上感」は感じるのですが、涙は出さずにすみました。ホッとしました。
7年前から私の心の片隅に住み着いてしまった小さな喪失感も、何とかして消すべき時がきたのかもしれません。
■苦痛の無い胃カメラ(驚)
今回の旅のきっかけは胃カメラだったのです。
私は神経過敏です。経鼻カメラならば胃まではスルスルと入ってゆくのですが、胃に入った途端にもうダメです。
おかげで今までは睡眠剤で眠らせてもらってから内視鏡検査を受けていました。
仙台には内視鏡の権威がいて、初めて受診しました。
体に異物を挿入するのですから違和感は当然ありますが、痛みや吐き気、大きな苦しさが全くないのです
後ほどドクターにお聞きしたところ、ご自分でも胃カメラを飲んで、少しでも楽になる姿勢や呼吸法を研究されたそうです。
胃壁に余計な刺激を与えないように必要以上にカメラ操作を重ねるので腱鞘炎が治らないとも言われておりました。
「効果的な内視鏡検査を嫌う人が少しでも減るようにしてゆきたい」との言葉にプロフェッショナルを感じてきました。
■ああ、月山
仙台市内で一泊し、翌日は月山の東面を滑るつもりでした。
残念ながら梅雨入りしてしまい当該山域は本降り!
ホテルで予定外の朝食を食べて自宅直帰となりました。ああ残念。
コメント
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おはようございます。
何で仙台で胃カメラ?と思いましたがそういういきさつが有ったのですね。
志津川の津波災害はユーチューブで何度も見ていたのですが建物に記された津波の高さに改めて驚き、恐怖を感じました・・。
https://www.youtube.com/watch?v=8vZR0Rq1Rfw
この期に及んでまだスキー滑走を画策していたとは・・、往生際の悪い
おはようございます。
そんなわけでして、健康と興味と追憶の東北ツアーでした。
メインイベントが不発で残念でしたが、これも我が身の不徳の結果と思っています。
ユーチューブありがとうございます。
久々に映像をみました。
やっぱりドキドキします。
一瞬のうちに人々の努力も怠惰も、悪事も善行も、全てが無に帰ってしまったのです。
しかし、再び生活を始めた人々を見てきて、生きる力は強いなと、改めて実感しました。
どうして?って思っていましたがそういう事情だったんですねー!
私もカメラは苦手で、派手に雄叫びあげちゃって、次に控えてる患者さんを恐怖に陥れるタイプで、今ではマウスピースをくわえただけで震えが出ます(-_-;
福島の立ち入り禁止区域には今も仕事仲間が出向しています。
令和は平穏に過ごせると良いですね(^ω^)
こんばんは。
Mさんも、やっぱり
マウスピースをはめられただけで心臓バクバクですよね。
何年も前ですが初めてやった時にはあまりに苦しくてとてもガマンできず、自分の手でカメラを引きずり出しましたよ
そのために以後は内視鏡には睡眠剤がセットになっていました
ところが今回はほとんど抵抗なく噴門を越えて十二指腸まで無事に診てもらえた
恐るべし、ト−ホクの医療技術
震災の傷跡が無くなるには相当な年月が必要でしょうし、ようやく傷跡がなくなった頃にはもう「喉元過ぎて」しまうのかもしれませんね。今回の被災地には教訓が残るでしょうけどね。
山遊びができるような平和な日々が一番です。
これからの新しい登山スタイルですね
恐れ入りました
さらにオプションが城址めぐり
仙台城ではなく多賀城址を選ぶとは渋すぎ
おはようございます。
楽しい東北ツアーでした。
多賀城跡は私の他に一組見掛けただけで静かです♪
海無し県で生まれ育つと、海辺に行った時には海鮮丼系統から逃れられませんね。
はじめまして、gankoyaさん。酒田のmatayannです。
志津川のことが書いてあったので ・・・
建築関係で三陸の復興に深く関わっていたんですね。 3.11の日、職場の3階でRCの柱が音を立てて揺れる恐怖は今も鮮明に覚えています。そして、停電、携帯のテレビに飛び込んできた、あの三陸沿岸を襲う大津波の映像。私も社会福祉協議会が運行するボランティアバスで毎月行っていましたが、行く度に涙せずには居られませんでした。その後は復興応援の積りで三陸旅行が年中行事となっています
ところで、沢山のお仲間と楽しく登ったり、滑ったりされているレコをいつも羨ましく拝見しています。地元の鳥海山や月山にも良く来られているようですし、去年、祓川で一緒に写真を撮らせていただいたエバ父さん・Оさんともお知り合いなんですね 私も定年退職を機に、東京在住の兄に誘われ、皆さんの様には行きませんが、二人で山スキー を楽しんでいます。月山の大雪城は残念でしたね これからもよろしくお願いします。
こんにちは。
何度も拍手いただいており、ありがとうございます。
どうやら同年齢のようですね。
一瞬にして全てを奪い去ってしまった巨大津波の爪痕は、人生の円熟期といってもいい世代の男にとっては「人生って一体なんなのだろう」という、絶望的な虚無感を味わわされる景観でした。当時の感情がずっと心の情景として残っていて、たまに涙ぐんでいました。
でも今回、7年ぶりですが訪問できて良かったですよ。
生きようとする人々の力は大きいですね!
私も(少々遠距離ですが)機会を作って再度海鮮丼を食べに行きましすよ♪
ところで、越後チームのお二人に会われていたのですね。
闊達で力強いターンをするエバ父さんと、物静かで流れるようなターンをするOさんコンビ。とてもかなわんな、と思いながらも目標にしている方たちです。
鳥海山は通えば通うほどに魅力的なお山ですので、体が動くうちは精力的に通いたいと思っております。どこかで遭遇したときには宜しくお願いいたします
ありがとうございました
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