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記録ID: 1890425
全員に公開
ハイキング
東海

飯田街道を歩く1(名古屋・平針〜伝馬町)

2019年06月13日(木) [日帰り]
 - 拍手
GPS
03:46
距離
15.5km
登り
50m
下り
63m

コースタイム

日帰り
山行
3:41
休憩
0:20
合計
4:01
8:06
25
平針・飯田街道・駿河街道分岐
8:31
0:00
12
天白橋
8:43
0:00
23
植田八幡社
9:06
0:00
37
塩竃神社
9:43
0:00
39
八事・興正寺
10:22
0:00
22
川名公園
10:44
0:00
5
塩付街道分岐
10:49
0:00
11
石仏街道分岐・地蔵
11:00
11:20
47
昼食
12:07
伝馬町通本町「札の辻」跡
天候 快晴 暑い
過去天気図(気象庁) 2019年06月の天気図
アクセス
利用交通機関:
電車
往 名古屋〜地下鉄〜平針
復 丸の内〜地下鉄〜名古屋
コース状況/
危険箇所等
問題なし
先日歩いた平針街道終着点・平針より伝馬町まで飯田街道(駿河街道)を歩く。飯田街道=伊奈路。駿河街道=岡崎街道。因みに三河や岡崎では「なごや道」。昔の旅人は行き先地名で街道を呼んだ。写真は飯田街道(正面左)と駿河街道(正面右)の平針分岐点。飯田街道は赤池で豊田への挙母街道と足助への伊那街道に分岐。
先日歩いた平針街道終着点・平針より伝馬町まで飯田街道(駿河街道)を歩く。飯田街道=伊奈路。駿河街道=岡崎街道。因みに三河や岡崎では「なごや道」。昔の旅人は行き先地名で街道を呼んだ。写真は飯田街道(正面左)と駿河街道(正面右)の平針分岐点。飯田街道は赤池で豊田への挙母街道と足助への伊那街道に分岐。
平針から伝馬町は飯田街道=駿河街道。駿河街道は江戸時代に名古屋駿河町(タワー東辺り)が起点・終点だった故の名称。「飯田街道」の名は明治以降の官製らしく起点は「伝馬町」。「岡崎街道」の名も官製で明治以降。写真は左が新道、右が旧道の平針宿。
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平針から伝馬町は飯田街道=駿河街道。駿河街道は江戸時代に名古屋駿河町(タワー東辺り)が起点・終点だった故の名称。「飯田街道」の名は明治以降の官製らしく起点は「伝馬町」。「岡崎街道」の名も官製で明治以降。写真は左が新道、右が旧道の平針宿。
旧道急坂を下る。雰囲気はあるが、新家屋が多い。あと数年経てば数軒の古民家も消滅しそう。中山道は幕府公道だが、飯田街道には関所や規制のない脇往還。その上、中山道通過地域の地理的要素を考慮すると、物資流通量が伊奈路(飯田街道)の方が増えても当然。伊奈路は中山道の3〜5倍ほどの荷物量。中山道宿場が交通量増加を嘆願して代官所に訴状を出すこともあった。
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旧道急坂を下る。雰囲気はあるが、新家屋が多い。あと数年経てば数軒の古民家も消滅しそう。中山道は幕府公道だが、飯田街道には関所や規制のない脇往還。その上、中山道通過地域の地理的要素を考慮すると、物資流通量が伊奈路(飯田街道)の方が増えても当然。伊奈路は中山道の3〜5倍ほどの荷物量。中山道宿場が交通量増加を嘆願して代官所に訴状を出すこともあった。
写真は平針西口交差点の原の道標地蔵。詳細は「平針街道を歩く」参照。荷物は名古屋からは「干魚・塩・茶・綿織物・瀬戸物・日用雑貨等」信州からは「木地椀・穀物・葉煙草・生糸・麻等」。
写真は平針西口交差点の原の道標地蔵。詳細は「平針街道を歩く」参照。荷物は名古屋からは「干魚・塩・茶・綿織物・瀬戸物・日用雑貨等」信州からは「木地椀・穀物・葉煙草・生糸・麻等」。
道沿いに時々見かける「飯田街道」標識。
伝馬は「宿場毎に荷役馬を乗継」制度で積換・運賃が割高だが、中馬は「目的地まで馬を換えない」制度で、飯田街道は「中馬街道」とも呼ばれ安価な物流経済を支える。
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道沿いに時々見かける「飯田街道」標識。
伝馬は「宿場毎に荷役馬を乗継」制度で積換・運賃が割高だが、中馬は「目的地まで馬を換えない」制度で、飯田街道は「中馬街道」とも呼ばれ安価な物流経済を支える。
天白川。天白橋より東を見る。平針原緑地。
「天白」の名は「天白明神」を祀る社があった故。天白は「山の神」あるいは「水害から守る神」を指す。
56号大通りに沿って歩き「植田」の信号で右を見ると「稲葉山」の小山が見える。稲葉山は眺めがよく、山麓に3つの寺。天白川はこの辺りでよく氾濫したよう。
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天白川。天白橋より東を見る。平針原緑地。
「天白」の名は「天白明神」を祀る社があった故。天白は「山の神」あるいは「水害から守る神」を指す。
56号大通りに沿って歩き「植田」の信号で右を見ると「稲葉山」の小山が見える。稲葉山は眺めがよく、山麓に3つの寺。天白川はこの辺りでよく氾濫したよう。
「植田」信号の次の角を右折。次の角に植田八幡社。説明板には古墳跡の社。一説には4〜5世紀の大型前方後円墳で80m程。現在は古墳遺跡はない。日本武尊の副将軍の尾張針名根命(おわりはりなねむらじのみこと)の墓ともされ、平針・針名神社と同じ主祭神。尾張の支配者。
「植田」信号の次の角を右折。次の角に植田八幡社。説明板には古墳跡の社。一説には4〜5世紀の大型前方後円墳で80m程。現在は古墳遺跡はない。日本武尊の副将軍の尾張針名根命(おわりはりなねむらじのみこと)の墓ともされ、平針・針名神社と同じ主祭神。尾張の支配者。
植田八幡社道角にある地蔵祠には「馬頭観音」
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植田八幡社道角にある地蔵祠には「馬頭観音」
地蔵祠より南を見る。56号線の一本東のこの道が昔の飯田街道だったのかもと思う。この付近に植田城(横地太郎左衛門・横田権蔵)があったようだ。ここから北東百mの全久院付近か?
地蔵祠より南を見る。56号線の一本東のこの道が昔の飯田街道だったのかもと思う。この付近に植田城(横地太郎左衛門・横田権蔵)があったようだ。ここから北東百mの全久院付近か?
植田八幡社
なかなか立派な石造り太鼓橋
植田八幡社
なかなか立派な石造り太鼓橋
植田川「植田橋」より西を見る。「植田」の「上」は遠い祖先の神を表しているらしい。古墳との関係は?植田川はこの先の新島田橋付近で天白川と合流。
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植田川「植田橋」より西を見る。「植田」の「上」は遠い祖先の神を表しているらしい。古墳との関係は?植田川はこの先の新島田橋付近で天白川と合流。
塩竃口。次第に八事丘陵が近づく。前方に名城大学の建物。学生が多く行き交う活気がある通り。名城大学前を左(南)に入り、八幡山の急坂を上り下りして塩竃神社へ向かう。飯田街道は幅1間半(270cm)の狭い道。
塩竃口。次第に八事丘陵が近づく。前方に名城大学の建物。学生が多く行き交う活気がある通り。名城大学前を左(南)に入り、八幡山の急坂を上り下りして塩竃神社へ向かう。飯田街道は幅1間半(270cm)の狭い道。
塩竃神社前。立派な高級住宅かマンションばかり。やがて写真の坂の上に立つ。八事音聞山。南東を見ると歩いてきた平針方面がよく見える。
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塩竃神社前。立派な高級住宅かマンションばかり。やがて写真の坂の上に立つ。八事音聞山。南東を見ると歩いてきた平針方面がよく見える。
塩竃神社。御幸山。弘化年間、天白村豪農が宮城・塩竈『鹽竈神社』より分霊を建立。海や製塩技術の神で育児や出産や繁栄祈願。御幸山山頂には御統監之所記念碑。明治天皇が陸軍大演習時にここから統監。標高58m。眺望がきく場所。
塩竃神社。御幸山。弘化年間、天白村豪農が宮城・塩竈『鹽竈神社』より分霊を建立。海や製塩技術の神で育児や出産や繁栄祈願。御幸山山頂には御統監之所記念碑。明治天皇が陸軍大演習時にここから統監。標高58m。眺望がきく場所。
八事裏山交差点。左が旧道、右が新道。昔の飯田街道の雰囲気を伝える旧道が八事交差点まで。峠まで急坂。「音聞山」はこの南一帯。和歌歌枕に古来より使われた。音聞山では鳴海潟の海鳴の音が聞こえた。「音に聞く 音聞山の峰高み ひびく鳴海の沖つ白波」
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八事裏山交差点。左が旧道、右が新道。昔の飯田街道の雰囲気を伝える旧道が八事交差点まで。峠まで急坂。「音聞山」はこの南一帯。和歌歌枕に古来より使われた。音聞山では鳴海潟の海鳴の音が聞こえた。「音に聞く 音聞山の峰高み ひびく鳴海の沖つ白波」
八事山の峠あたり。標高約52m。右上には常楽寺があり、樹林越しに鐘楼など見える。50〜60年程前まではこの辺りは高い木々が鬱蒼と伸びる森が残っていて、夜は怖いぐらいだった。
八事山の峠あたり。標高約52m。右上には常楽寺があり、樹林越しに鐘楼など見える。50〜60年程前まではこの辺りは高い木々が鬱蒼と伸びる森が残っていて、夜は怖いぐらいだった。
旧道を西に下って八事表山。先に八事交差点から興正寺の森が見える。大正初年、八事電車が開通、同時に八事遊園地もこの辺りに開園。鉄道会社は鉄道建設のために飯田街道の松並木などを破壊。
旧道を西に下って八事表山。先に八事交差点から興正寺の森が見える。大正初年、八事電車が開通、同時に八事遊園地もこの辺りに開園。鉄道会社は鉄道建設のために飯田街道の松並木などを破壊。
巨大な八事交差点を越え、右に中京大学・サーウィンストンホテル、左に「八勝館」1925年(大正14年)料理旅館創業。店は北大路魯山人と交流があり多くの作品が残る。マンション建築で優雅で広大な屋敷は縮小。しかし、八事イオンまでの大敷地を今でも所有。
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巨大な八事交差点を越え、右に中京大学・サーウィンストンホテル、左に「八勝館」1925年(大正14年)料理旅館創業。店は北大路魯山人と交流があり多くの作品が残る。マンション建築で優雅で広大な屋敷は縮小。しかし、八事イオンまでの大敷地を今でも所有。
八事山興正寺。興正寺東山門。名古屋城の戦用出丸門。弓や鉄砲用の格子があり、門からの道はS字坂。興正寺は名古屋城下端砦として軍事的な意味も。尾張家祈願所。一山という感じの広い境内。
八事山興正寺。興正寺東山門。名古屋城の戦用出丸門。弓や鉄砲用の格子があり、門からの道はS字坂。興正寺は名古屋城下端砦として軍事的な意味も。尾張家祈願所。一山という感じの広い境内。
1686年高野山から来た天瑞和尚が草庵を結ぶ。2年後に尾張二代藩主光友が寺院建立許可。高野山真言宗別格本山「尾張高野」江戸時代から参詣者で賑わう。本堂は阿弥陀堂として1750年に建立。東海地区現存唯一の木造五重塔(1808)。重要文化財。今日も賑わう。
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1686年高野山から来た天瑞和尚が草庵を結ぶ。2年後に尾張二代藩主光友が寺院建立許可。高野山真言宗別格本山「尾張高野」江戸時代から参詣者で賑わう。本堂は阿弥陀堂として1750年に建立。東海地区現存唯一の木造五重塔(1808)。重要文化財。今日も賑わう。
興正寺前の石道標。飯田街道の拡張工事の時に移されたらしい。「あつた近道」。この他にも境内には「覚王山近道」などいくつも道標があるようだ。
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興正寺前の石道標。飯田街道の拡張工事の時に移されたらしい。「あつた近道」。この他にも境内には「覚王山近道」などいくつも道標があるようだ。
須佐之男神社。興正寺から2番目の信号を左に入ると右に古い神社がある。左角には古い民家が建ち、なにやら江戸期の雰囲気。
須佐之男神社。興正寺から2番目の信号を左に入ると右に古い神社がある。左角には古い民家が建ち、なにやら江戸期の雰囲気。
次の信号を右。坂の上に櫻・誓願寺。身代わり地蔵が有名。1572年空範天室上人が叡山・日吉神社で祈願。神木の桜を得、清須の寺に植樹。慶長年間の清須越で中区白川町、そして戦災で現在地に再建。本尊は恵心僧都作の阿弥陀如来座像。地蔵堂には延命地蔵菩薩尊像。
次の信号を右。坂の上に櫻・誓願寺。身代わり地蔵が有名。1572年空範天室上人が叡山・日吉神社で祈願。神木の桜を得、清須の寺に植樹。慶長年間の清須越で中区白川町、そして戦災で現在地に再建。本尊は恵心僧都作の阿弥陀如来座像。地蔵堂には延命地蔵菩薩尊像。
隼人池東の宝寿院。昔は湿地帯でイヌナシの群落があった。今でも東海地方に希なイヌナシの木が寺の門近くにあり有名。
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隼人池東の宝寿院。昔は湿地帯でイヌナシの群落があった。今でも東海地方に希なイヌナシの木が寺の門近くにあり有名。
尾張藩徳川家付家老・犬山城主の成瀬隼人正が1646(正保3)年に「藤成新田」の灌漑池を造成。池は後に「隼人池」と命名。当時は灌漑用水確保が最大課題。写真はグランドヒルズ(超高級マンション)前から隼人池。美しい。
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尾張藩徳川家付家老・犬山城主の成瀬隼人正が1646(正保3)年に「藤成新田」の灌漑池を造成。池は後に「隼人池」と命名。当時は灌漑用水確保が最大課題。写真はグランドヒルズ(超高級マンション)前から隼人池。美しい。
隼人池西の遊歩道にある八事・隼人池解説板。昭和37年当時の写真。また、右下は江戸期の絵図で藤成新田に水を送る筧(かけい)が描かれる。 水引きのための「樋。懸樋(かけひ)」木製や竹製。和製水道橋?
隼人池西の遊歩道にある八事・隼人池解説板。昭和37年当時の写真。また、右下は江戸期の絵図で藤成新田に水を送る筧(かけい)が描かれる。 水引きのための「樋。懸樋(かけひ)」木製や竹製。和製水道橋?
いりなかの旧道は新道と見間違うほど綺麗。尾張電気軌道が明治45年に稼働。通称八事電車。新道と旧道の間の狭い場所に「三洋堂」書店本店が昔はあった。今では東海地方中心に大型書店として名前は知らない人はいない。山中交差点に向かい花見通り北に上がると大きな川名公園と出合う。
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いりなかの旧道は新道と見間違うほど綺麗。尾張電気軌道が明治45年に稼働。通称八事電車。新道と旧道の間の狭い場所に「三洋堂」書店本店が昔はあった。今では東海地方中心に大型書店として名前は知らない人はいない。山中交差点に向かい花見通り北に上がると大きな川名公園と出合う。
公園内の一番大きな歩道が昔の飯田街道だ。でも40年前までバスがここにあった多くの家屋の中をぬって走っていたのだ。写真の奥の狭い道が飯田街道。
公園内の一番大きな歩道が昔の飯田街道だ。でも40年前までバスがここにあった多くの家屋の中をぬって走っていたのだ。写真の奥の狭い道が飯田街道。
川名公園を出るとすぐ前が山崎川。ここでは両岸には桜並木もなく、ただの小川のよう。
川名公園を出るとすぐ前が山崎川。ここでは両岸には桜並木もなく、ただの小川のよう。
街道はやや右に曲がり、やがて広い川原神社。平安初期の「延喜式」には愛智郡川原神社の名。川原北城跡。境内には多くの露天が出ている。鎮火の神。この神社から南に路地を抜けると太平寺がありその東の道沿いに「三体地蔵」。その前は川原南城跡の昭和警察署。
街道はやや右に曲がり、やがて広い川原神社。平安初期の「延喜式」には愛智郡川原神社の名。川原北城跡。境内には多くの露天が出ている。鎮火の神。この神社から南に路地を抜けると太平寺がありその東の道沿いに「三体地蔵」。その前は川原南城跡の昭和警察署。
川菜神明宮と明記。川名=川菜。境内に大きな池があり川名弁天の名前も。川名は川原からの転訛。この神社西隣の称名寺の前に八百屋があり、その店の西角に小さな「馬頭観音」が。
川菜神明宮と明記。川名=川菜。境内に大きな池があり川名弁天の名前も。川名は川原からの転訛。この神社西隣の称名寺の前に八百屋があり、その店の西角に小さな「馬頭観音」が。
川名通りの飯田街道。奥に見えるのが川名本町1の信号。その信号の次の小道が塩付街道。
川名通りの飯田街道。奥に見えるのが川名本町1の信号。その信号の次の小道が塩付街道。
南を見て塩付街道。細い道なので気づかない人が多い。
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南を見て塩付街道。細い道なので気づかない人が多い。
次の信号の1つ先の角に五叉路に小さい社。千種区今池の高牟神社の分社。川原神社との関係?
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次の信号の1つ先の角に五叉路に小さい社。千種区今池の高牟神社の分社。川原神社との関係?
高牟神社の次の三叉路に小さい地蔵堂があり、小坂地蔵堂と呼ばれている。地蔵横は風化しつつあるが「左 やごと 右 東海道 新四国道」とある。
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高牟神社の次の三叉路に小さい地蔵堂があり、小坂地蔵堂と呼ばれている。地蔵横は風化しつつあるが「左 やごと 右 東海道 新四国道」とある。
西より小坂地蔵。左が飯田街道。右の小道は石仏道で塩付街道の石仏町への近道だったよう。この辺り道がかなり道が細かい。
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西より小坂地蔵。左が飯田街道。右の小道は石仏道で塩付街道の石仏町への近道だったよう。この辺り道がかなり道が細かい。
阿由知通1を横切って吹上方面へ。前には千種本町の幅の広い道路の直前に右に古い民家がある。その向かいに弘法堂と呼ばれる車田町の三体石像がある。
阿由知通1を横切って吹上方面へ。前には千種本町の幅の広い道路の直前に右に古い民家がある。その向かいに弘法堂と呼ばれる車田町の三体石像がある。
弘法堂内部。ややユーモラスな3つの石像仏が並んでいる。
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弘法堂内部。ややユーモラスな3つの石像仏が並んでいる。
車田町の弘法堂。前は幅広い百m道路で名古屋高速が地下を走る。車田町は吹上の東。時代を越えて過去と現在がミックス。いつまで弘法堂が生き残れるのか。
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車田町の弘法堂。前は幅広い百m道路で名古屋高速が地下を走る。車田町は吹上の東。時代を越えて過去と現在がミックス。いつまで弘法堂が生き残れるのか。
吹上公園北より「古井ノ坂」。ここから北に五、六百m先の今池の高牟神社周辺で清泉が湧き出ていたようで「古井」と地名となる。
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吹上公園北より「古井ノ坂」。ここから北に五、六百m先の今池の高牟神社周辺で清泉が湧き出ていたようで「古井」と地名となる。
JR中央線の高架橋を潜る。
JR中央線の高架橋を潜る。
新栄3。左に路地を入った所に恐らく飯田街道沿いにあった地蔵尊祠がある。その奥は八王子神社と青木神社とある。横に白龍神社も。さらにその北は白山神社だ。
新栄3。左に路地を入った所に恐らく飯田街道沿いにあった地蔵尊祠がある。その奥は八王子神社と青木神社とある。横に白龍神社も。さらにその北は白山神社だ。
地蔵祠付近の古い民家。これから名古屋の都心なので古い家屋はあまり期待できないが、時々ビルの谷間に生き残っている家屋を見ると嬉しくなる。新栄3信号を左に入った「円教寺」には一里塚跡の石標が残ると聞く。入口の右?新栄3付近に一里塚はあったよう。
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地蔵祠付近の古い民家。これから名古屋の都心なので古い家屋はあまり期待できないが、時々ビルの谷間に生き残っている家屋を見ると嬉しくなる。新栄3信号を左に入った「円教寺」には一里塚跡の石標が残ると聞く。入口の右?新栄3付近に一里塚はあったよう。
広小路を渡って錦通を横切り錦通東桜2の西の小道に入る。真っ直ぐ斜めだ。
広小路を渡って錦通を横切り錦通東桜2の西の小道に入る。真っ直ぐ斜めだ。
この角には創業120年の多門亭がある。うなぎ料理の店。この辺りの北の東寺町は寺が実に多い。江戸期より飯田街道(駿河街道)に交差する禅寺町筋と法華寺町筋に沿い寺院群が構成。家康の名古屋城防備のための寺町建設の一環?
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この角には創業120年の多門亭がある。うなぎ料理の店。この辺りの北の東寺町は寺が実に多い。江戸期より飯田街道(駿河街道)に交差する禅寺町筋と法華寺町筋に沿い寺院群が構成。家康の名古屋城防備のための寺町建設の一環?
進んでいき高岳南の信号手前に西蓮寺。ここの門扉に「武田菱」の紋。武田信玄の族縁・甲斐の逞誉祖的開祖。慶長年間に清須で創建、清須越により現在地に移動。信玄ゆかりの寺で武田菱を持つ。
進んでいき高岳南の信号手前に西蓮寺。ここの門扉に「武田菱」の紋。武田信玄の族縁・甲斐の逞誉祖的開祖。慶長年間に清須で創建、清須越により現在地に移動。信玄ゆかりの寺で武田菱を持つ。
高岳南交差点より名古屋テレビ塔方面と飯田街道。木々が見える正面が富士中学校。その道を挟んで前が東桜小学校。この辺りが江戸期の駿河町。
高岳南交差点より名古屋テレビ塔方面と飯田街道。木々が見える正面が富士中学校。その道を挟んで前が東桜小学校。この辺りが江戸期の駿河町。
富士中学校南前の陸橋を見ると「駿河町歩道橋」とあった。「駿河町」の名は駿河街道に由来。
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富士中学校南前の陸橋を見ると「駿河町歩道橋」とあった。「駿河町」の名は駿河街道に由来。
さらに進み久屋大通1つ手前の東桜郵便局前の四つ角の東に小さな標識で「0 飯田街道」とあり、ここが起点であることを示している。"OLD IIDA HIGHWAY"とある。
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さらに進み久屋大通1つ手前の東桜郵便局前の四つ角の東に小さな標識で「0 飯田街道」とあり、ここが起点であることを示している。"OLD IIDA HIGHWAY"とある。
名古屋テレビ塔はデジタル放送開始からテレビ放送の送信終了で改名思案中。塔そのものと周辺の改修工事が進む。公園を横切れないないので地下街に入る。この辺りが「薫風発祥の地」野ざらし紀行途上1684年冬、芭蕉は名古屋に立ち寄り、地元青年俳人を連衆とし「冬の日」の歌仙を興行。遊びの俳諧より脱皮して、芸術の領域まで俳諧を初めて高めた句集と言われる。
名古屋テレビ塔はデジタル放送開始からテレビ放送の送信終了で改名思案中。塔そのものと周辺の改修工事が進む。公園を横切れないないので地下街に入る。この辺りが「薫風発祥の地」野ざらし紀行途上1684年冬、芭蕉は名古屋に立ち寄り、地元青年俳人を連衆とし「冬の日」の歌仙を興行。遊びの俳諧より脱皮して、芸術の領域まで俳諧を初めて高めた句集と言われる。
東西の伝馬町通りに入る。これから、大津通、伊勢町通、呉服町通、七間町通を渡り本町通りと出合う。
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東西の伝馬町通りに入る。これから、大津通、伊勢町通、呉服町通、七間町通を渡り本町通りと出合う。
伝馬町通本町の四つ角。この南東角に公用人馬取次所「伝馬会所」。「札の辻」と呼ぶ高札場や最近廃業した丸栄百貨店の前身「十一屋」の店も。下街道(善光寺街道)の起点、そして美濃街道(美濃路)が通過し、明治以降は飯田街道の起点とされた交通要所であった。本日はこれにて終了。
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伝馬町通本町の四つ角。この南東角に公用人馬取次所「伝馬会所」。「札の辻」と呼ぶ高札場や最近廃業した丸栄百貨店の前身「十一屋」の店も。下街道(善光寺街道)の起点、そして美濃街道(美濃路)が通過し、明治以降は飯田街道の起点とされた交通要所であった。本日はこれにて終了。

感想

天気が良すぎた。山に行けばよかったのかな。
名古屋地図を見ると碁盤の目のような通りばかりの中に、左上がりの斜め線の道がある。実際にその不思議な道を歩いてみると、今でもその特異な道は町の中にしっかりと溶け込んでいると感じた。無機物のような現代の建物や町の中に、人々の歴史と経済と文化がぎっしり詰まった飯田街道(駿河街道)。この道を通過していった人々の鼓動が聞こえるようだ。ここに残る文化遺産の保存と継続を是非ともお願いしたい。

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