岡山県鏡野町 苫田ダム〜小田草山(城址) 紅葉&花&野鳥
- GPS
- 02:49
- 距離
- 8.8km
- 登り
- 338m
- 下り
- 368m
コースタイム
- 山行
- 2:21
- 休憩
- 0:34
- 合計
- 2:55
歩行距離9km、歩行時間2時間20分、歩行数13,600歩、消費カロリー1,170Kcal
天候 | 曇りのち雨 |
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過去天気図(気象庁) | 2019年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
なお、奥津湖畔の道路は、苫田大橋から奥津湖畔の総合観光施設である「みずの郷奥津湖」のすぐ南までが去年の豪雨により通行止めです。鏡野町のホームページトップの緊急情報にて地形図で確認できます。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
小田草(おだくさ)神社境内の小田草(おだくさ)城址付近の図<写真28>から小田草(おだくさ)城二の郭跡<写真30>までは、てすりや街灯完備の階段状土道で、神社の石段の下り以外は雨天でも安心して歩けます。主郭<写真31>へはササの間にうっすら踏み跡がある程度ですが、かき分けなくても歩けます。そこから北はササをかき分ければ行けるかもしれません。これ以外はアスファルト道です。 なお、苫田(とまた)ダム内の見学の際、一部GPSログの途切れや乱れが生じています。 紅葉は、奥津湖畔の植栽のモミジやドウダンツツジは見頃、周辺の山々の紅葉はうっすらでした。奥津湖から道の駅奥津温泉に向かって国道179号線を北上するにつれ、周辺の山肌の色が鮮やかになり、民家や温泉施設周辺のモミジなども見頃でした。奥津渓もまだ見頃だったのかもしれません。 |
その他周辺情報 | 奥津湖から国道179号線を北上すると、道の駅奥津温泉があります。「温泉亭」ではランチバイキング<写真44,45>が楽しめます。また、奥津温泉では日帰り入浴が可能です。ただし、「温泉亭」は週末は14時台にならなければ入店できないことも多々あります。特に紅葉シーズンは昼前から駐車場に入る渋滞が発生し、素通りせざるをえないことも(*_*; 今回は雨の平日でしたが、駐車場にはすんなり入れたものの、「温泉亭」に入店できたのは50分後の13時10分頃でした(-_-;) |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下(厚手)
防寒具
軍手
雨具
日よけ帽子とフード
雨用帽子
登山靴(防水加工)
靴ひも予備
サブザック
ザックカバー
地形図
コンパス
マップケース
筆記用具
携帯
時計(防水)
タオル
カメラ
飲料水(スポドリ&茶)
水筒(保温)
非常食(栄養補助食品)
スマホ(山使用可能)
eTrex30(GPSナビゲーター)
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感想
今年の紅葉は平年よりも遅いそうですが、そろそろ岡山県北部でも見頃を迎えています。この日は午後から雨の予報だったので、鏡野町の恩原湖周辺、奥津渓、そして奥津湖の三カ所を候補に選定した結果、奥津湖から小田草(おだくさ)城址がある小田草山を訪問しました。
出発点としたのは苫田(とまた)ダムです。治水、農業・工業用水の供給を目的とし、吉井川の上流部に建設された岡山県内では初めての国土交通省直轄の重力式コンクリートダムです。ダムによって形成された人造湖は奥津湖と命名されました。
越流頂(最上部)の形状を波形にし、その長さを長くすることで越流量が大きくなる国内初のラビリンス型が採用されています。また、水位を維持するためのゲートは引張りラジアルゲートといわれ、上からゲートを引き留めた形状をしており、これは国内2例目の採用です。このゲートの上にある見学室から放流シーンを間近で見ることが出来ます。また、このラジアルゲートの動く模型は展示室にあります。
この苫田ダムの東側上流約300mに位置するのが鞍部(あんぶ)ダムです。地形が馬の背(=鞍部)のように低い箇所の対策として建設されました。石や土を積んで提体を作り、貯水池側表面をコンクリートで覆って遮水するコンクリート・フェイシング・ロックフィルダムという珍しい型式です。
昭和40年3月に苫田ダム建設に向けてボーリング調査が始まりましたが、地元では反対運動が繰り広げられ、国や県との対立が深まり、圧力によりダム反対派町長の辞任が相次ぎました。幾多の紆余曲折を経て、平成16年4月に運用開始された苫田ダム周辺は、現在でこそウォーキングやランニングの場、紅葉スポットとして親しまれていますが、ここに至るまでに悲喜こもごも、深い歴史がありました。展示室では建設途中の写真などを見ることができます。
また、苫田ダムから奥津湖沿いの道では鮮やかなドウダンツツジやモミジの紅葉が見られ、複雑な想いを和らげてくれました。
奥津湖の南東にある塚谷集落を経て馬場集落に入り、小田草(おだくさ)神社に着きました。この神社は寿永年間(1182年)に源頼朝が創建、暦応5年(1342年)に斉藤実頼が再建しました。貞治7年(1368年)には小田草城主斎藤二郎が梵鐘(岡山県重要工芸品)を寄進しています。
明治30年、火災により社殿、宝物が焼失しましたが、同37年に神殿を造営し、41年には氏子内各神社を合祀しました。そのためなのか、社殿の造りとしては珍しく、拝殿と本殿以外に、拝殿と社務所?が渡り廊下で連なっていたり、拝殿・本殿の隣に一の谷稲荷神社が摂社として置かれていたりします。この神社が小田草山(山城址)の登山口となっていました。
小田草城は標高390mの小田草山の頂上に展開する山城で、町指定史跡にもなっています。築城年代は不明ですが、正平23年(1368年)には斉藤氏の居城でした。
備前浦上氏の支配下にあった美作に出雲の尼子晴久が侵攻した際、美作の国人衆は尼子に下りました。永禄8年(1565年)、出雲国富田城が毛利氏に包囲され城主斉藤近実に援軍を求めた際には毛利方につきました。永禄12年(1569年)、毛利氏が九州方面に出陣した際に、上月城にて挙兵した尼子勝久に従いましたが、天正10年(1582年)、毛利氏により落城しました。 その後、斉藤氏は宇喜多氏(またまた出たぁ宇喜多!)に属しました。
小田草城は南北に伸びる尾根に曲輪をならべた典型的な連郭式山城で、北側は堀切で断ち切られています。冬はもっと地形が見えやすいのかもしれませんが、今回の訪問時は草木がまだ生い茂っていて、頂上付近以外は不明瞭で地形をはっきりと見ることができませんでした。
現在は地元の憩いのスポットとして、毎年9月には「名月を楽しむ会」、元旦に「初日の出を迎える会」が催されています。そのためか、土道は階段状に整備され、てすりや街灯もあります。神社の石段の下りだけ少し気を付ければ雨天でも安心して歩けます。
ダム周辺の山々の紅葉にはまだ早かったようですが、植栽のモミジやドウダンツツジは見頃でした。また、ここから道の駅奥津温泉に向かって北上すると、周辺の山肌には黄色や赤色が点在し、西屋緑地ではオレンジ色に色づいた木々も多数見られました。
車窓からの紅葉を楽しみ、道の駅奥津温泉に到着したのは12時20分頃。紅葉の時季にこの時間に駐車場に入れたのは初めてです。雨の平日が幸いしました。
しかし、レストラン「温泉亭」だけは12組待ち。30人近い団体さんも数人ずつ入れ替わりながらの食事だったようです。結局、特産のエゴマ商品などを購入しながら50分程待ちました。13時台に入れたのはこの時季にしては上出来です。13時半を過ぎると次第に人が減り、エビフライ争奪戦に遭わずにすみました(^_^)
満腹になったところで大型スーパー「PLANT-5 鏡野店」に移動、食品や日用品など、ここにしかないものを購入しながら食後の運動もバッチリ(*^^*)
今回は紅葉観賞がメインで設定したコースでしたが、史跡が予想以上に充実していたことと、11月中旬にもかかわらず、まだ花の観賞が楽しめたことが大きな収穫でした(*^^*)
自然と健康をテーマに町おこしをしている鏡野町ですが、三角縁神獣鏡(いわゆる「卑弥呼の鏡」)が出土するなど歴史的にも興味深く、まだまだ知られざる魅力がたくさんあります。
今回もまた鏡野町の回し者になってしまいました(^^♪
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