知床岳〜ポロモイ岳〜ウィーヌプリ往復
天候 | 晴、爆風、快晴無風、ホワイトアウト |
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過去天気図(気象庁) | 2020年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
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コース状況/ 危険箇所等 |
3/19 23:00相泊 3/20 7:31P→11:00Co600にてC1 3/21 停滞! 3/22 5:40C2→12:30ポロモイ岳西Co947ポコにてC3 3/23 5:30C3→6:30-7:00ウィーヌプリ→8:30C3→14:00知床岳の肩Co1160にてC4 3/24 6:00C4→6:40知床岳Peak→7:10-8:00C4→11:15P 知床岳Co700以降はアイゼン推奨。 以西は稜線上ハイマツ出ている。 今年は特に雪がものすごく少ないようだ。 雪面は締まっていてツボでも問題ない。 知床岳と知床沼の間の稜線が一部細いが、あとは緩やかな稜線歩きとなる。 ポロモイ岳とウィーヌプリの間のポコはまけるものが多い。 |
写真
感想
当初の目的では知床岳〜岬であったが、爆風に阻まれて停滞を余儀なくされ、日本最東端の山ウィーヌプリ往復となった。
まだ流氷が多く岬までの船のお迎えはなく、海岸線を歩くよりも稜線を戻るのがシンプルであると考え、往復のコースを取った。
往復している記録はあまりないので、良かったら参考にしてください。
3/19 〜23:00相泊。
明日と明後日は爆風の予報だし、入山を遅らせるしかないだろうなんてことを考えながら日勝峠を超え、Bさん家へと向かったわけだが、Bさんは仕事終わりにも関わらず、「風強いとは言ってもなんとか歩けるんじゃないですかね〜」とか言いながらニコニコしていた。最大風速35mの予報である。Bさんは歩けてもきっと私は歩けまい。「テント壊れませんか」と聞くと、「この間も風でテント壊しちゃったんだよね〜」とのこと。テントに少しだけ同情した。とにもかくにも、入山待ちの時間を当てにして勉強道具まで持ってきたヘタレな私とはモチベーションが桁違いであることを思い知らされる。
3/20 7:31P~11:00C1
何だか周りが白っぽい中、車がスタックしたりしながらもなんとか出発。海岸は腐った雪が積もっていてスキーでペタペタ歩いていると雨が降ってきた。雨なんて数か月ぶりなので驚いて前を歩くBさんを見るが、特に気にしていないようだった。Bさんの上だけ晴れてるんじゃないかとか疑いながら歩き続ける。緩やかな樹林内でついに土砂降りになったので「雨すごいですね」と言ってみると、「そうだね」とのお返事。一応Bさんの上にも降っていることが確認できて安心する。
明日停滞することも考慮して樹林限界ぎりぎりにテン場を作成する。といってもCo600くらいまでしか上げられなかったが。ブロックで壁を築き、さらに二重にして備えた。
テントの中までびしょびしょだったが、ガソリンの節約のために火も付けず、震えながらうつらうつらする。2人ともそれぞれに過去の超寒かった山行を思い出していたらしい。
行動時間は短かったが、そんなに重くないはずの荷物に体力を吸い取られてバテバテになってしまったので早めの行動終了はありがたかったりして。
3/21 停滞!
地響きのような風の音とテントの揺れで目を覚ましたが、今日どうするかを相談するまでもなく再び眠りに落ちた。そして午前中いっぱい眠り続けた。樹林内であってもトイレに行くのにも難儀するような風で、さらに結構な雪が降ったのか、そこが吹き溜まりだったのか、テントが若干潰されたが内側からボコボコ叩いて凌いだ。これ以上標高を稼がなくて本当に良かった。
3/22 5:40発→12:30 ポロモイ岳東Co947ポコC2
山に入って三日目だというのにほとんど進んでいない…。30時間くらい寝たので、満を持して出発。
登り始めてすぐにものすごい急登に迎えられる。またもやここでバテバテの身となり、シートラを拒否して限界までシーアイゼンで戦おうとするも間もなく敗北。スキーの重みが加わり、ますますバテバテしてしまう。Bさんを待たせてしまってばっかりで自分のゴミみたいな体力が呪わしかった。
どうせ帰りにも通る場所であるので、知床岳はスルー、稜線上を西へと向かった。この日は非常に天気が良く、終始国後島と海峡を埋める流氷を見ながら歩けたが、想像以上に雪が少なく、場所によってはハイマツの海を泳ぎながら進むことを余儀なくされた。知床沼は青く凍っていて、いかにもペンギンがいそうだった。
日光に灼かれたのか、2人とも正午には水が枯渇してしまった。このポコを降りてしまうと明日の全装の登り返しが大変になるということで進みたくない感を演出し、少し早いが行動終了。この2日間で重く湿ってしまったシュラフを干すなど非常に有意義な時間であった。爺爺岳(チャチャヌプリ)が神々しく日光に照らされているのが見え、間違いなくこの瞬間、世界で一番国後島を堪能していたのは私たちであったに違いない。のどが渇いては黄昏ることもできないだろうとBさんがササっと作ってくれた水を片手にひたすらぼんやりとしていたら時が過ぎていった。
3/23 5:30C3→6:30~7:00ウィーヌプリ→8:30C3→14:00知床岳の肩Co1160にてC4
テントから出るとまたしても快晴無風。前半で爆風に苦しめられたせいか、天気が良いと「これは幻で、今に天候が悪化するんじゃないか」と不安になる。不幸症だ。
ウィーヌプリは確かに幅の広いポコではあるが、日本最東端の山(笑)に選ばれるようなカリスマ性は感じられなかった。つまり地味。「スタート地点よりずっと下にあるピークにアタックするなんて変な感じだね」とか言いながら出発。
朝日が国後島から顔を出すと半島越しに流氷を赤く染め、非常に幻想的であった。この絶景だけでも十分ここまで歩いてきたことのご褒美だ。
スキーを履いてポコを下り出したが、ハイマツが出すぎているのとガリガリなのとで非常に滑りづらく、すぐに捨ててしまった。帰りに気温が上がってズボズボになったらどうしようと不安がよぎったが、結局雪面はずっと締まっていて歩きやすかった。まけるポコはすべてまいてサクサクと進み、一時間ほどでウィーヌプリのピークに立つ。
見渡す限り人の気配はなく、まさに世の果てであり、そこに自分が立っているということがとても誇らしかった。また、ここまで三角点を運んできた人に思いを馳せるなど、日本最東端の山(笑)への登頂の喜びに浸りに浸った。
帰りも若干バテながらも一時間半ほどでテン場に戻ることが出来、いそいそと撤収。
ハイマツを避け、踏み、かき分けかき分け来た道を戻り、板を担いでカタツムリのような歩みで知床岳の肩へと這い上がった。今日のテン場はどこにしようかしらと見渡すが、何も見えない。それどころか自分が立っている場所がどこなのかも全く分からない。ホワイトアウトだ…。やっぱり朝の好天はまやかしだったんだ。
その辺の平らそうなところにテントを立てた。夜になって外に出ると晴れていて、夕闇に浮かぶ稜線と星に思わず歓声を上げた。
3/24 6:00C4→6:40知床岳Peak→11:15P
テントを揺るがす風の音で目が覚める。外を見てみると笑っちゃうほど白かった。まあ、そういうこともある。というか、人生そんなもんだよね。
日の出を待てば晴れてくるだろうとBさんはニコニコしていたけれど、私は修行が足りないので、晴れるのは下山してからだろうなと思った。
明るくなってもやはり周囲はガスの中。20m間隔で旗を打てば稜線まで持つことを確認し、心を鬼にして火を消して出発した。
ホワイトアウトに加えてあられが風に乗って結構なスピードで飛んでくるので顔が痛くて泣きそうだった。何とか稜線に当て、雪庇に気を付けながら歩いた。ハードシェル、まつ毛、眉毛、コンパスなどあらゆるものが氷漬けになり、さらにハイマツが出ているところはズボズボで容赦なく体力を奪いに来る。心の中で「こんな23歳のいたいけな乙女をいじめてそんなに楽しいか!」と毒づいてみるが、「いたいけな乙女はこんな所来ないよ」と自分にツッコまれてしまった。
なんとかピークらしきところに到着。もちろん感動はしたけれど、ピーク写真という名の、どこでも撮れそうなツーショットを取ってソッコー下山。一秒でも早くテントに戻りたかった。
目を凝らしながら一本一本旗を回収してテントに無事たどり着き、中で2人でしばし放心していた。季節が逆戻りしたかのような自然の驚異の前では人間は翻弄されることしかできない。ピークに立てたのだから一矢報いたといっていいのか、お手柔らかにしていただいたと考えるべきか。
あとはほうほうのていで下山あるのみ。真っ白な中を一目散に下山した。やっと一息ついて板を履けたのはC1付近のCo600当たりであったので、行きに板をデポしていっても良かったと今なら言える。そして振返って見ると上のガスも少し晴れている。やっぱり人生そんなもんだなぁ。
Bさんは最後の滑走が核心とか言いながら普通に滑って降りてきた。この人には何一つ敵わないなぁと尊敬と羨望と不甲斐なさが入り混じる。
数回の渡渉と樹林内のスキー、そして最後の渡渉をクリアし、5日間が終わった。
文明と隔絶された、不思議な密度を持った時間であった。
帰りはお風呂にありつくのに苦労するわ(入ろうとしたら営業してなかったり、工事中だったり…)、ご飯は弟子屈までお預けされるわ(入ろうとしたらもう終わりですと言われたり、ビミョーなお店しかなかったり…)、なかなかハードであったが、その分お風呂もラーメンも格別であった。
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