記録ID: 2317902
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ハイキング
甲信越
要害山
2020年04月25日(土) [日帰り]


体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 01:20
- 距離
- 1.8km
- 登り
- 158m
- 下り
- 158m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 1:20
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 1:20
距離 1.8km
登り 158m
下り 158m
14:37
80分
スタート地点
15:57
ゴール地点
過去天気図(気象庁) | 2020年04月の天気図 |
---|---|
アクセス |
写真
藤戸神社 所在地:新発田市東宮内441
祭神 1.大國主大神 2.天照皇大神 3.宇多天皇
古くは加治明神と称した神社。
社伝によると、創祀は文治五年(1189)。鎌倉時代、佐々木盛綱が加治荘の地頭職となり、要害山に築城した際に、祖先を祀ったという。
宇多天皇は、のちの佐々木氏などに代表される宇多源氏の祖先にあたる天皇である。
祭神 1.大國主大神 2.天照皇大神 3.宇多天皇
古くは加治明神と称した神社。
社伝によると、創祀は文治五年(1189)。鎌倉時代、佐々木盛綱が加治荘の地頭職となり、要害山に築城した際に、祖先を祀ったという。
宇多天皇は、のちの佐々木氏などに代表される宇多源氏の祖先にあたる天皇である。
本殿
当社を建立した佐々木盛綱は、源平の藤戸合戦で名を上げた武将。藤戸社の社号は、その備前の地名(倉敷市藤戸町)から取られたらしい。
藤戸合戦とは、寿永三年(1184)、倉敷沖の藤戸(児島)に陣を構える平家を攻めあぐねていた源氏にあって、海峡に浅瀬の存在を知った佐々木盛綱が、騎馬で海峡を渡り、先陣をきって、平家を屋島まで敗走させた戦い。能の演目(『藤戸』)にもなっている有名な話。
当社を建立した佐々木盛綱は、源平の藤戸合戦で名を上げた武将。藤戸社の社号は、その備前の地名(倉敷市藤戸町)から取られたらしい。
藤戸合戦とは、寿永三年(1184)、倉敷沖の藤戸(児島)に陣を構える平家を攻めあぐねていた源氏にあって、海峡に浅瀬の存在を知った佐々木盛綱が、騎馬で海峡を渡り、先陣をきって、平家を屋島まで敗走させた戦い。能の演目(『藤戸』)にもなっている有名な話。
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