記録ID: 2358418
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ハイキング
比良山系
田屋城址、小谷城と運命共同体(滋賀高島市マキノ町)
2020年05月24日(日) [日帰り]
体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 03:43
- 距離
- 5.0km
- 登り
- 171m
- 下り
- 259m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 4:05
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 4:05
10:10
245分
スタート地点
14:15
ゴール地点
天候 | 曇りのち晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
登山ポスト:ないね 危険個所もにゃ〜よ。 |
その他周辺情報 | ちょっと有名なメタセコイアの並木道がある。この日は大勢の人が来ていたよ(他県ナンバー多数でビックリ) 赤坂山や大谷山登山口もある。 |
写真
撮影機器:
感想
まず、ログは途中でストを起こす。
休憩時間は0になっているけど、約1時間はとったです。
緊急宣言解除となったんで、滋賀県高島市マキノ町(カタカナ名って珍しい)に残る田屋城址へ。
稲山(地元では城山)の尾根に残る山城で、標高310mにある戦国時代の城跡。
東西100m、南北300mで、曲輪、竪堀、土塁、枡形虎口、食い違い堀切などが残る。
築城 天文時代(1500年前後)
城主 田屋吉頼
田屋氏と浅井氏とは親戚関係。
天正元年、浅井長政が織田信長によって滅びるのと同時に田屋氏も滅んだらしい。
運命共同体の間柄だったんだね。
コースは明瞭で、危険個所なし。
メタセコイア並木通りにあるピックランドは、車で駐車場満杯だった。
歩道には大勢の人が新緑を楽しんでました。
百貨店の高島屋って、高島市に由来があるんですね。
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訪問者数:1254人
コメント
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寅さん
おはようございます。
久しぶりの城跡記
いいですね。
思わず箕輪城を思い浮かべました。
そう言えばあれから4回も箕輪城まで自転車で通いました。
静かで良かったです。
城跡ってロマンがありますね
また過去レコ九州、北海道編を載せました。
よろしく。
iiyuさん、コメントありがとう!
田屋城という山城跡に行って来ました。
メタセコイアは人でいっぱいでも、こっちの城跡は寅ひとり
ラジオ聴きながら(クマ除け)久しぶりに山城をこってり散策、ネットでは引き返すコースになっていたけどね。
周回出来そうなんで、グルッと歩いて来ました。
これは正解でしたよ。
一人なんで、気楽なもんですね。
あの箕輪城、いい湯さんのお気に入りコース。
何度通ってもええよ〜。
過去レコ、のちほど拝見させて頂きますね。
こんにちは寅さん
ヤギさん金網越しに必死にラブコールでしたね。「オレにはあや子がおるけん諦めてくれ!」いや〜モテモテ寅さん辛いですね
有名なメタセコイアの並木道一度見てみたいです、駐車場もあるんですね。「高島屋は高島市」勉強になりました。
浅井氏と運命共同体、朝倉氏も同じですね。歴史マニアの寅さんレコ、次も楽しみにしてます。
ヤギ君の目と目が合ったとたん「ぅめ〜ぇエサ持ってる?」なんて言いながら寄って来たがな
teppanさん、こんにちは〜コメントありがとう!
濃厚接触ヤギになったらどえりゃことに ちょっと距離おいてさ〜。
マキノのメタセコイアって、元は防風林として植えられたらしいけど、これがドッコイ観光風物詩に。
紅葉も見事でよ〜、なるちゃんと手をつないで散策してちょうよ。
紫の花を見るとフジの花ってインプットされとるんよね。
桐の花なんだ(無知がバレん内に訂正しておこう)
そうそう、朝倉氏も運命共同体だね。
浅井賢政は、信長の長を頂き「浅井長政」と改名。
近江の国今浜は、羽柴秀吉が信長の長を採って近江の国長浜と改名。
そう言えば、豊田市も以前は別の名前だって?
登山再開ですね。
メタセコイヤも青々している様子。観光客が多かったんですか。
玉ネギ畑もまだまだ青々しているけどもう少しかな? この数は圧巻ですね〜
高島屋は呉服屋さんと言うのは知っておりましたが、高島市と関係があるんですね。
新コロの関係でデパートも大変でしょうね。従業員さんも一杯おられるし。
山、再開しました。
ノノさん、こんにちは
コメント以外にも嬉しいことが・・・
玉ネギ畑を見たとたん、ノノさんが浮かんだがな
”絶対ピクッってしてくれるハズ”で撮ったんだよ。
期待通りのピクッは嬉しいです
しかし、広い玉ネギ畑だね。お隣の畑も玉ネギ畑でしたよ。
大きくなるにはもう少し時間がかかりそうな感じだね。
飯田儀兵衛の娘婿となった飯田新七は、義父の出身地である近江国高島郡の地名から名付けた米屋「高島屋」の分家として開業(1829年)。
店は米屋じゃなくって古着商「高島屋」で、商標(○に高)はそのまま使用。
妻の秀も頭が良くって、商売繁盛となり大発展していくんだね。
米屋はね、とっくの前に廃業。跡継ぎがなかったらしいよ。
これで、高島屋と高島市の方程式が解けた?
寅さん、こんばんは。
コメント入れてたと思ってましたが、
寝ぼけていたようです
浅井氏は、東近江に加えて、
高島(北近江でいいんでしょうか?)も固めていたとなると、
湖西にもどれだけ影響力を持っていたのかと、思ってしまいます。
そんな資料は残ってるんでしょうか
おっちゃん(fujimonさん)、こんにちは コメントありがとう!
難しい質問だね。fujimonさんのmonは質問の問だったんだ
浅井氏を語るに、近江の佐々木氏や京極氏を抜きにして語れんでね。
浅井氏は、典型的下剋上の武将なんよ。
北近江の守護大名だった京極氏。
その家臣だった浅井氏は、京極氏を追い出し戦国大名に成り上がったんだね。
湖西地方(高島郡)は佐々木氏(以後高島氏と名のる)が治めていたけど、浅井氏に攻められ追い出されたんだね。
高島一族の朽木氏は織田や徳川に従い、旗本として幕末で栄えることに。
東近江は佐々木氏の勢力下ですが、浅井氏に一度敗けてから北近江へ攻めに行くことはなかったようです。
浅井氏は安定して北近江を治めることに。
でも、浅井氏は三代で滅んでしまいましたね。
資料?分からんです。
寅さん、ありがとうございます。
小谷城の米原、長浜は北近江になるんでしょうか。
てっきり、琵琶湖の東やので東近江かと思っていました
でも、北近江の佐々木氏の地まで力を及ぼしていたとは、
新興勢力の力強さは、その頃いろんなところで育っていたんでしょうね
おっちゃんの富士山過去レコ拝見させて頂きました〜。
火口は覗きたくなるよね
米原も長浜も北近江だよ。
当時の勢力範囲は、彦根辺りかな。
祖は同じでも、佐々木六角氏と京極氏は仲が悪かったんだね。
彦根の佐和山城の奪い合いや、米原の鎌刃城攻めがあるよ。
徳川の世になると・・・
浅井氏:すでに滅亡
佐々木氏:衰退し明治へ(士族)。佐々木姓が全国区に?
京極氏:浅井氏滅亡後は織田、徳川に仕えて外様大名となる。明治時代は華族(子爵)に。
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