家康伊賀越え4日目ルート/柘植→加太→関→亀山→三宅→稲生→白子
- GPS
- 04:52
- 距離
- 43.2km
- 登り
- 206m
- 下り
- 416m
過去天気図(気象庁) | 2020年06月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
旧暦6月5日は本能寺の変から3日後家康が堺から岡崎に戻ったいわゆる神君伊賀越えの4日目。信楽の小川城から1日で白子までたどり着いたという説と柘植の徳永寺で宿泊して白子に向かったという説の二説あるが、1回で走破できる徳永寺説を採って伊賀越えを身をもって体感する。グレゴリオ暦では旧暦6月5日は6月の24日となり、今日27日と3日しか違わないのでかなりリアルな追体験ができそう。
車の通る時間帯を避けたいのと暑くなるのも避けたいので、0時前に起床して早めの時間帯に走る。
道の駅伊賀に車を置いて徳永寺までアップを兼ねて移動。
今でも往時の雰囲気が感じられるひっそりとした大和街道をひたひたと走る。家康の頃は山賊が出たという加太峠ではホタルが光って照らしてくれた。周囲に全く灯りがなく実際以上に明るく感じられたかも。
山賊に代わってしばしばシカが眼前を通る。
加太集落に入ってからも旧国道25号線をたどるが、以前この辺りを走ったとき対岸の加太川右岸にも伊賀越えルートの説明板があったような。
関宿では家康が立ち寄って休息したという瑞光寺に立ち寄るが、門扉が固く閉じられていて家康由来の権現柿は見られなかった。
旧東海道は旧1号線の布気交差点に並行するJRを高架で渡ってたどらなければならなかったが、事前に調べてあったルートは高架を渡らずそのまま線路を左手に見て進んで布気東交差点から進んで東海道に戻るようになっていたのでそのまま布気東交差点まで進む。
野村の一里塚を通り、東海道から少し外れて亀山城にご挨拶のため登城。まだ朝早く誰も出迎えてくれなかったので、櫓の写真を撮って東海道に戻る。
商店街の自販機でお茶500cc摂取。
亀山高校の手前で東海道を左に分けて、鈴鹿川を鹿島橋から渡ってそのまま南下して鈴鹿市に入り中ノ川左岸沿いの集落をつないで御薗からは中ノ川を右に分けて稲生に入る。ネットで調べたら家康は稲生を通らずそのまま中ノ川を東進したという説もあったが、家康落馬伝説の残る福楽寺を通る稲生コースを選択。
福楽寺も門扉は閉まっていたが、塀の間から落馬観音は撮影できた。
国道2 3号線を渡って不断桜で有名な子安観音に立ち寄って旧伊勢街道に出合い北進。江島若宮八幡神社の手前の家康が通ったという伝説の残る御成道を進んで堤防の階段を降りて波打際にて無事終了。
終盤左足裏が痛くなってきたが、午後には痛みは引いて明日のランニングには影響なさそう。
痛みが引くのが早くなってきた。
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