赤城キャンプ場 スタート
いつか会いたい赤城のお姫様 ヒメギフチョウ。
四月末〜五月初めに会えるとのことです。
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9/5 9:59
赤城キャンプ場 スタート
いつか会いたい赤城のお姫様 ヒメギフチョウ。
四月末〜五月初めに会えるとのことです。
少しロードを下り尾根の末端へ
早速ですが、何やら気になる石碑を発見です。
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9/5 10:06
少しロードを下り尾根の末端へ
早速ですが、何やら気になる石碑を発見です。
八海尊神 鈴嶽大神
昭和五十五年、須田氏、角田氏による建立です。
鈴ヶ岳山頂の石碑群に対応する石碑でした。正式な取り付き地点というとことが判り、嬉しい発見です。
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9/5 10:06
八海尊神 鈴嶽大神
昭和五十五年、須田氏、角田氏による建立です。
鈴ヶ岳山頂の石碑群に対応する石碑でした。正式な取り付き地点というとことが判り、嬉しい発見です。
取り付きは急斜面でしたが、すぐに穏やかな植林地です。
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9/5 10:10
取り付きは急斜面でしたが、すぐに穏やかな植林地です。
と思ったら、遊歩道が合流しました。
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と思ったら、遊歩道が合流しました。
遊歩道を辿ると、展望の丘です。三角点もあります。
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9/5 10:20
遊歩道を辿ると、展望の丘です。三角点もあります。
鈴ヶ岳
目指すピークは雲ですが、めげずに行きます。
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9/5 10:20
鈴ヶ岳
目指すピークは雲ですが、めげずに行きます。
林道を挟んで稜線に取り付きました。枝漕ぎがありますが、部分的に踏み跡もあり割と歩きやすいです。
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林道を挟んで稜線に取り付きました。枝漕ぎがありますが、部分的に踏み跡もあり割と歩きやすいです。
途中で踏み跡は逸れてしまうので、ご覧の通り藪ですが尾根地形を優先して進みました。赤ペンキは林業関連のマーキングのようです。
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9/5 10:44
途中で踏み跡は逸れてしまうので、ご覧の通り藪ですが尾根地形を優先して進みました。赤ペンキは林業関連のマーキングのようです。
手入れのされた区間は藪も無く快適です。右手には樹林越しに子双山やモロコシ山が見えました。
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9/5 10:46
手入れのされた区間は藪も無く快適です。右手には樹林越しに子双山やモロコシ山が見えました。
主稜線に到着すると、おあつらえ的な巨石のゲートがありました。ここで小休止です。
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主稜線に到着すると、おあつらえ的な巨石のゲートがありました。ここで小休止です。
鈴ヶ岳は均整のとれた円錐形なので、明確な稜線は判りづらいです。巨石をかわしながら進みます。
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鈴ヶ岳は均整のとれた円錐形なので、明確な稜線は判りづらいです。巨石をかわしながら進みます。
岩を正面突破しようとすると時間がかかりすぎるので、適当に土の急斜面を登ります。これを幾度となく繰り返し、標高を上げて行きました。
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岩を正面突破しようとすると時間がかかりすぎるので、適当に土の急斜面を登ります。これを幾度となく繰り返し、標高を上げて行きました。
マルバダケブキ
お花を愛でながら小休止です。心と身体を休ませます。
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9/5 11:17
マルバダケブキ
お花を愛でながら小休止です。心と身体を休ませます。
基本的には巨石の基部は獣道のバンドになっているので、歩きやすいです。
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9/5 11:32
基本的には巨石の基部は獣道のバンドになっているので、歩きやすいです。
急登が終わり、このあとはクールダウンの稜線かなと思いましたが、ツツジ系の枝漕ぎが凄かったです。
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9/5 11:45
急登が終わり、このあとはクールダウンの稜線かなと思いましたが、ツツジ系の枝漕ぎが凄かったです。
御嶽山大神三尊碑
丁度この背面の藪から出てきました。
高さ220cm、幅130cm、厚さ35cmを測る超大型の石碑です。背面には明治十五年八月とありました。
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9/5 11:53
御嶽山大神三尊碑
丁度この背面の藪から出てきました。
高さ220cm、幅130cm、厚さ35cmを測る超大型の石碑です。背面には明治十五年八月とありました。
傍らには大神碑建立の碑があります。
発起、あ組 世話などとあり、造立に関わった方々の名前がありました。
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9/5 11:57
傍らには大神碑建立の碑があります。
発起、あ組 世話などとあり、造立に関わった方々の名前がありました。
普寛霊神碑
65cm、昭和八年。
木曽御嶽山を開山した、近世御嶽信仰の開祖。
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9/5 11:59
普寛霊神碑
65cm、昭和八年。
木曽御嶽山を開山した、近世御嶽信仰の開祖。
大山祇命碑
190cm、明治三十二年。
こちらも大型の石碑です
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9/5 12:00
大山祇命碑
190cm、明治三十二年。
こちらも大型の石碑です
広場もありました。
こちらには四基の石碑があります。
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9/5 12:03
広場もありました。
こちらには四基の石碑があります。
霊神碑
背面には、開闢鈴嶽教会 平成八年とあり、建立者は角田氏とありました。
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霊神碑
背面には、開闢鈴嶽教会 平成八年とあり、建立者は角田氏とありました。
霊神碑建□寄附者芳名
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霊神碑建□寄附者芳名
鈴嶽開山霊神碑
昭和三十二年とあり、建立者は大講義角田氏とあります。
鈴ヶ岳を開山した(聖地を開いた)、四神の霊神(御嶽教の宗教者)が祀られているようです。
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鈴嶽開山霊神碑
昭和三十二年とあり、建立者は大講義角田氏とあります。
鈴ヶ岳を開山した(聖地を開いた)、四神の霊神(御嶽教の宗教者)が祀られているようです。
一心霊神碑
132cm、明治十五年。願主は都丸氏、角田氏とある。
一心霊神は普寛行者の弟子で、近世御嶽信仰の開祖の一人。
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一心霊神碑
132cm、明治十五年。願主は都丸氏、角田氏とある。
一心霊神は普寛行者の弟子で、近世御嶽信仰の開祖の一人。
鈴ヶ岳山頂
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鈴ヶ岳山頂
鈴嶽山神社、赤城山大神、愛宕山大神
180cm、173cm、153cmを測り、鈴嶽山神社背面には明治十五年とあります。
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鈴嶽山神社、赤城山大神、愛宕山大神
180cm、173cm、153cmを測り、鈴嶽山神社背面には明治十五年とあります。
御神鐙
明治十四年とあり、鈴ヶ岳の石碑では最初のモノです。翌年に大型のモノが造立されたようです。
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9/5 12:11
御神鐙
明治十四年とあり、鈴ヶ岳の石碑では最初のモノです。翌年に大型のモノが造立されたようです。
御嶽神明霊神
昭和八年、御嶽教前橋教務部長 大教生園部氏とある。
このあと山頂で休んでいると、グループの方々が登頂され、パイナップルをご馳走になりました。ありがとうございました。
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9/5 12:15
御嶽神明霊神
昭和八年、御嶽教前橋教務部長 大教生園部氏とある。
このあと山頂で休んでいると、グループの方々が登頂され、パイナップルをご馳走になりました。ありがとうございました。
下山途中でコース外の南面へ探検です。
運良く紙垂を発見し、ここから下りてみることにしました。
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9/5 12:33
下山途中でコース外の南面へ探検です。
運良く紙垂を発見し、ここから下りてみることにしました。
踏み跡を辿ると霊神碑を発見しました。
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9/5 12:38
踏み跡を辿ると霊神碑を発見しました。
さらに下にある心武霊神碑
信州本山 登山十三度とあります。
ここにトラロープがあり、少し下ると、
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9/5 12:40
さらに下にある心武霊神碑
信州本山 登山十三度とあります。
ここにトラロープがあり、少し下ると、
重箱岩
近くの木には、鈴ヶ岳15の張り紙もありました。
前回は雪のために探索を断念したので、見つけられて嬉しいです。何気に今回の目的の一つでもありました。
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9/5 12:44
重箱岩
近くの木には、鈴ヶ岳15の張り紙もありました。
前回は雪のために探索を断念したので、見つけられて嬉しいです。何気に今回の目的の一つでもありました。
岩稜に重箱のような孔が空いています。
縦70cm、横80cm、奥行きは2m前後はあるかと思います。下は見えませんがおそらく崖になっているかと思います。
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9/5 12:47
岩稜に重箱のような孔が空いています。
縦70cm、横80cm、奥行きは2m前後はあるかと思います。下は見えませんがおそらく崖になっているかと思います。
探索後は適当に斜面をトラバースして一般道へ復帰です。一般コース沿いには覚明霊神碑の他四基の石碑があります。
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9/5 12:53
探索後は適当に斜面をトラバースして一般道へ復帰です。一般コース沿いには覚明霊神碑の他四基の石碑があります。
定点観測の鍬柄山
地蔵岳は雲に隠れておりました。
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9/5 12:53
定点観測の鍬柄山
地蔵岳は雲に隠れておりました。
大ダオ
南回りのコースへ下山です。
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9/5 12:57
大ダオ
南回りのコースへ下山です。
炭焼き窯跡
このあと部分的に踏み跡が不明瞭なところがありました。
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9/5 13:05
炭焼き窯跡
このあと部分的に踏み跡が不明瞭なところがありました。
ケルン
この手前が不明瞭なので、ありがたいです。
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9/5 13:13
ケルン
この手前が不明瞭なので、ありがたいです。
大山祇大
明治三十二年
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大山祇大
明治三十二年
清滝不動明王
小さく天下泰平とあります。背面には明治廾貳歳(22年)五月吉祥日 勝保沢村 願主 角田とあります。
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9/5 13:22
清滝不動明王
小さく天下泰平とあります。背面には明治廾貳歳(22年)五月吉祥日 勝保沢村 願主 角田とあります。
水辺の聖地であるここは鈴ヶ岳の湧水点であり、冬季(1月)でも水が湧いていました。
計画ではここから子双山へ取り付く予定でしたが、雲行きが怪しいので下山することにしました。
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9/5 13:24
水辺の聖地であるここは鈴ヶ岳の湧水点であり、冬季(1月)でも水が湧いていました。
計画ではここから子双山へ取り付く予定でしたが、雲行きが怪しいので下山することにしました。
木材の集積地から振り返ってみる鈴ヶ岳
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9/5 13:42
木材の集積地から振り返ってみる鈴ヶ岳
南回り登山口
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9/5 13:47
南回り登山口
赤城キャンプ場
無事に周回できました。ゴールです。
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9/5 13:59
赤城キャンプ場
無事に周回できました。ゴールです。
montblanc55さん、こんにちは。
鈴ヶ岳の石碑を見に行かれたのですね。
一般道から行けば、あっという間の場所なのに、
北西斜面経由で歩かれるとは、物好きですねぇ。
けもの道がいい感じでついていて、あれっ?と思いませんでしたか?
このコース、勾配が緩くなってからの藪漕ぎがコンチクショーなんですよね。
私と、博学の深さが違うので、大変勉強になりました。
もっともっと、赤城や、榛名の歴史をご紹介ください。
ちなみに、北東側の急斜面も、楽しいですよ。
MUSICA001さん、こんばんは。
無事にVRと石碑見学を楽しむことができました。探検コースをご紹介いただき、ありがとうございました。
大岩巻きの獣道、いい感じですね。時々あらぬ方向に向かっていましたが、あの手の急斜面ではホント頼りになりますね!
最後の藪漕ぎは一ヶ所、身動きがとれないレベルのところがありました。ハイハイで通過してからの超大型石碑は感動モノでした(笑)
鈴ヶ岳の石碑群については、「心」の名がある霊神碑が多いことや、一心霊神碑の位置関係から一心講の流れを汲んでいる可能性があります。さらに四霊神碑は御嶽講の「御座」(神がかり儀礼)の際に四方を取り囲んで結界を張る「四天」といわれる行者を示している可能性があります。(あくまで参考程度です。)
今回歩くことができなかった、小双山、モロコシ山と絡めて、北東方面も歩いてみたいです。コメントありがとうございました。
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