高倉山 (奥久慈、附:竜神ダム左岸、竜神吊橋登高路)


- GPS
- 03:08
- 距離
- 8.2km
- 登り
- 503m
- 下り
- 505m
コースタイム
- 山行
- 3:08
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 3:08
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
高倉山へのルートはよく整備されています。ヤマレコユーザーさんに感謝します。なお、山頂付近は踏み跡に多少の紛れがあるので用心します。遊歩道並にしっかりした踏み跡が基本のルートです。 山頂から竜神ふるさと村へつながるルートがあるらしいことをあとから知りました。記録は読んでいたはずなのですが記憶から抜けておりました。しかし今回の山行ではそれらしきものを見つけられず。高倉山から先は行けないと山行途中では判断しました。 竜神ダム(竜神川)左岸の林道の通行止めの標識が横向きになってました。バーも半分除けてあって、通行止め解除かと思いましたが、これは登山者がやったのかもしれません。(付記:通行止め解除のようです) 一方ダムから吊橋へ登るルートの通行止めは解除されていました。通行止めが、落石注意に変わっていましたので間違えないでしょう。 |
写真
装備
備考 | 雨具、ヘッドランプ、地図+GPS(スマホ)、水、コーヒー、チョコレート、リンゴ、タオル、手袋、簡単なファーストエイド |
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感想
ゆるく竜神ダム界隈をぶらぶらするはずだったが、自分にとっての新ルートという予想外の収穫があって得したと感じる山行だった。
ーーー以下、未来の自分のためのメモ。長文注意ーーー
■プロローグ「岳人」
「岳人」誌、2020年10月号を手に取った。最近は登山誌は表紙を見て素通りし、買うというのは異例なことだった。特集は「山に潜む危険」。遭難予防特集である。何で手に取ったのかはわからない。今更の感もある。表紙の中村みつをの落ち着いた気持ちにさせるイラスト(葉の落ちた山道で向こうから熊が現れた。薄い踏み後はいくつにもわかれている。上隅にはスズメバチも)。に引き寄せられたか。
ページをめくると引き込まれた。山野井泰史のインタビュー、服部文祥のヒヤリハット体験、芳野満彦「山靴の音」より「八ヶ岳遭難」の抄録。あまり遭難回避とは関係のない内容に感じられたが、このあたりに遭難は絶対回避しなければならないけれどもかといって危険から単純に遠ざかるって何か違うんだよなという編集者の気持ちが(服部も編集員だ)行間に感じられて面白い。
一番印象に残ったのはその服部文祥の「北海道縦断無銭サバイバル」だった。猟犬ナツと北海道縦断徒歩旅行しながら、思ったことを綴るという、少し距離を置いて鑑賞すれば、ヤマレコの山行記録をハードにしただけのことなのだ。恐らくエッセイとしても、他の無数の作品と比べて読み応えがあるというものなさそうだ。しかし、というよりもだからこそ魅力がある。
服部は(筆者から見れば十分に超人的なのだが)能力を出し切った集大成的な登山を成し遂げることができずに、そういった挑戦ができない体力・年齢に達したことを後悔し、せめてもの引退セレモニー的な意味でこの無銭旅行に挑んでいるのではないかと考察している。考察しているといっても、アスファルトの上をとぼとぼ歩きながら考えたということであって、必ずしも思想的にまとめあげたというものでもないだろう。
しかしそこが見え隠れするから、まるでナツをお供に延々と続く北海道の舗装道路を歩きながらああすればよかったこうすればよかったという考えがぐるぐるめぐる服部の実況中継のようになっていて、熱と匂いが感じられるのであった。
ちなみに筆者は服部の「百年前の山を旅する」という本で田部重治と木暮理太郎による高尾ー笹尾根ー雲取ー青梅という縦走の記録を知り、取り付かれてしまったのだ。結局青梅までは行かず、奥多摩駅までだったが。
また山に行きたくなった。いや準備はいつもしている。足裏筋膜炎からようやく解放され、何とか5km以上走る日常が戻ろうとしていた。目標は10km走る日常だった。試験合格の晩も合格の余韻を楽しむためにとぼとぼと10km走った。
ところが、翌日、足の甲に継続的な痛みがでた。これは疲労骨折で歩けなくなる予兆だよなということでまた休むことにした。若いときのように身体を追い込んで性能を向上させるということはできず、追い込めば故障して性能が低下するということを、まさに高尾雲取のためのトレーニングで学んだ。現状より少しだけレベルを上げるということをじっくり進めて、具合が悪いときには強度を落とす。そしてまた少しだけレベルを上げてみる。そういったことを繰り返すのだ。
山に行きたい気持ちがぐっと高まったが、結局何も身体を動かさずに数日が過ぎた。何故だかわからないが今度は右膝に痛みが、そして日常生活で無理に身体をねじったらわき腹、アバラのあたりに強い痛みが出た。寝床からおきるのも多少は辛い。なにやら具合の悪い所だらけなのだが、身体を動かす習慣をやめてしまうとそれを作るところからの建て直しなとなり、これはこれで大変だ。そうならないようにおそるおそる歩くところからやり直した。何とか8kmならば歩いてもおかしいところが出てこないようになった。
■竜神ダムへ、そしていきなり駐車禁止と通行止め
最後に行った山は8月に滝倉から大円地、釜沢越を経由しての周回だった。そこまでの強度は望めない。手ごろなところで竜神峡界隈ならどうだろうか。竜神側左岸の林道はまだ通行止めなのだろうか。竜神ダムと竜神大吊橋を結ぶルートはまだ通行止めなのだろうか。このあたりが使えなくなると竜神峡のエリアのハイキングはほとんど制約されてしまう。カヌーやSUPのサービスが始まっている反面、基本のハイキングはほとんど絶滅か。費用対効果を考えると廃道にしてダム周辺で収入が得られることをしたほうが賢明だろうなどと考えつつも、確認するだけでもすれば気も済むだろう。
週末は土曜日が曇り時々雨、日曜日が雨のち晴れの予報だった。雨にぬれながら暫く歩くのも悪い気分ではないと思ってアパートを出ると、確かに雲はあるが、天気は悪くない。真っ青な耐熱皿に白玉団子を載せて、電子レンジで加熱したような、くつろいだ雲の塊が空を覆っていた。
その塊も徐々に蒸発し、竜神ダム入り口についたときにはかなりのお天気だった。朝の空気が気持ちよい。雨交じりの曇り空に歩くよりはスカッとした気分になることはやはりうれしい。
うれしいが車の停め場所にいきなり困ってしまった。かつては竜神ダム入り口に駐車場があり、公衆トイレまであったのだが、いつしか公衆トイレは取り払われ。今はとうとう駐車場事態が閉鎖されていた。私有地につき立ち入り禁止とのこと。やがて建物でも立つのだろうか。
ダムまで車を走らせると、もしも昨年の通行止めが解除されていなければ結局ダム入り口まで戻らねばならない。幸いダムへの道は路肩が広く、路駐し放題だったので、その中でも一種の車寄せみたいな、4,5台は並べて停められそうなスペースに車を停めて、武生林道を目指した。
ところが武生林道入り口は工事中で阻まれた。狭い旧道を使って少し歩いてみたところ、この先で発破を使用した工事が行われるかもとのこと。これではこの先に道が会ったとしても危険が多すぎるし、工事関係者に余計な気を使わせるだろう。
■誘惑の階段、正解
かくして武生林道の入り口で早くも拒絶されてしまった。仕方がないから竜神ダム周辺の通行止め情報を確かめてから車で大吊橋第2駐車場に移動させ、吊橋周辺のハイキングコースを少し歩いてこようと、ダムへの道を歩いた。すると、こっちへいらっしゃいといわんばかりの階段が目に入った。
こういうところは大抵地元住民の共同墓地につながっていることが多いのだが、今日は墓地で行き止まりでも少し山に入っただけでも満足だろうという気分で階段を上がっていった。最初は花を生ける樹脂製の筒が打ち捨てられたりしていて、やはり墓地に通じているのかと思ったが、なにやら様子が道っぽい。それも朽ちているものの木製の柵まで付いていて、かつてはしっかりしたハイキングコースだったことがはっきり伺える。
もしかするとこの道は竜神ふるさと村柄へ続いているのかもしれない。武生林道をたどることができなかった代わりに、こんな面白そうなルートを発見できたとはまだ付いているという気分で、当然誰も歩いていない山道を高度を稼いでいった。やがて手すり沿いの古いハイキングコースはピンクテープに誘導される山道に変貌していった。テープがなければ獣道らしき紛れも多いが、やや過剰なまでにテープが付いているおかげで大しててルートファインディングをすることもなく、それなりに高いところに来た。
気がつけば竜神大吊橋を見下ろしていた。山頂と思しきエリアはちょっとした広場のようになっていて、その周囲は崖、ハイキングを続けるのは無理そうだということで、広場沿いに見晴らしのいいところを探した。
基本的に眺望は樹林に遮られていたが、2箇所ばかり、障害物なしで明山とその北東尾根の鋸歯を堪能できるスポットがあった。明山、そして北東尾根。なんという白く険しく美しい鋸歯なのだろう。またあの稜線に立つことができるだろうか。明山そのものに、もう1年半もご無沙汰している。長い間見とれた。ここから見ていると、竜神大吊橋の方面からなだらかな尾根が続いており、こちらからもどうぞと誘惑している。
一方、間近には武生林道が見え、パワーショベルや、ダンプカーなどが目に入った。工事中の林道に入れたのは、最前線まで工事車両がアクセスするためだったようだ。
暫く山頂からの景色を堪能し、チョコレートをかじってから下山に取り掛かった。今は荒れているとはいえ、これだけ整備された跡があるということは山名もあるのではないかと注意したところ、吊橋の眺望が少し良い箇所に「高倉山(武生城跡)の比較的新しい山名板を発見した。なるほど。頂上の広場は要害の跡のたたずまいを示していた。
下山途中に大岩を発見。岩塔を見ると上に立たずに入られなくなる性分で、しかもアクセスも背後から比較的容易に歩けそうだったので迷わず寄り道した。期待通りに眺望が開け、眼下に竜神大吊橋を見下ろすことができた。こっちから吊橋が見下ろせることを知る人は今ではあまり多くあるまいと、秘密のスポットを見つけたような気持ちになって満足した。
満足して油断したのだろう。大岩からルートに戻るのに少し道を迷ってしまった。獣道だろう、踏み跡は多い。割と突っ込めそうな踏み跡があちこちに伸びているが、正しいルートは一番明瞭な踏み跡だ部分的には落ち葉のせいもあって薄い箇所もあるが踏み跡というよりも遊歩道というべき道をテープマークと測量用の図根点を頼りに探して事なきを得た。
登りの際にすでにわき道の存在に気づいていた。余裕が出てきたのでわき道に入ってみたところ、廃れているとはいえこちらも明快な遊歩道が続いていて、ちょっとした展望点まで続いていた。残念ながらこちらは木が伸びていて眺望を楽しむにはいささか暗い場所ではあった。
■うれしい予感
ちょっとマイナーな、でもさっと歩いて帰ってくるには丁度良いところを見つけて登り朽ちの階段まで戻った。次はダムの先の様子を偵察して来よう。
竜神ダム駐車場のイロハモミジが例年のように良い色を出していた。ここまで来る観光者もそこそこいる。吊橋を見上げ、ダム湖のあまりきれいではないが静かな水を見るのも落ち着いた気分になる。最近はバンジーで流れているBGMと、時折聞ける大声が少々騒々しいがよかろう。
さて気になるのは竜神川左岸、亀が淵方面の林道だ。2019年の台風で落石の危険が高まり通行止めになっていた。今も通行止めかどうかを確認しに赴くと、通行止めの看板は残されていたが、看板は横を向いていて、入るなという意思表示をしているようには見えない。工事現場用の柵が林道の真ん中にあるが、通行止めのときのように通せんぼのトラロープも張られていない。しかし看板が残っている以上通行止めといえなくもない。入っていくハイカーもいたが今回は見送った(付記:林道の通行止めは解除になっている)。
ダムを対岸へ渡り、もう一箇所の通行止めである大吊橋方面の階段へ行ってみた。こちらも工事用柵と立て看板が形だけ通せんぼしているが、看板に書かれているのは「落石注意」。去年12月は「この先通行止め」だったから、間違えなく通行止め解除だ。では大吊橋までひと歩きすることにしよう。
このルートを歩くのも実は初めてだった。いきなり階段を吊橋まで登るのかと思っていたが、実際にはダムから少し下って、今は廃道となっている竜神川右岸の林道入り口から登り返すようになっている。渓谷が日よけになっていて、若干陰気な感じの道だった。終盤階段越しに朝の日差しがばっと差し込んできたとき、通行止めの解除の喜びと、明るい日差しの元に戻った喜びと、そして急な階段から解放されて眺望を楽しめることの喜びとを同時に感じだ。
竜神大吊橋越しに明山の雄姿を、そして竜神大吊橋の一方が突き刺さっている高倉山(武生城址)の険しい様子、先ほど吊橋を見下ろしていた大岩をかなたに臨んだ後、車へ戻ることにした。時間もあるし、天気も良い。県道までの車道をだらだら下っていこう。
■のんびりとお散歩
普段は自動車で駐車場まで直行だから、ここを歩くことも初めてだ。民家があり、庭木の紅葉が美しい。観光地だから食堂もある。有名なお蕎麦屋さんだろうか。開店前からお客さんが並んでいる少ししゃれた建物もあった。それらを通過して、筆者は道端で見つけた湧き水を引いたパイプから清水をペットボトルにつめていった。
やがてなじみの県道33号線に合流した。ここからは車にはねられないように慎重に歩かねばならない。特に少し先にある橋は2車線にも満たなかった。幸いここは新しい橋がかけられて拡幅されていた。後で帰宅するときに気がついたが、旧橋は撤去工事中だった。
石碑を発見「湯殿山供養」とある。ここを湯殿山と呼ぶのだろうか。供養とは湯殿山の何を供養するのだろうか?湯殿山ということはこの近くは温泉がわくのだろうかと想像するうちに竜神ダムの入り口に到着した。
湯殿山供養について、帰宅後調べてみると、これは地元に湯殿山があるのではなく、山形の出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山、神社名としては出羽神社、月山神社、湯殿山神社)のひとつ、湯殿山のことを差しているらしい。また供養といってもいわゆる慰霊としての供養ではなく、拝む場所程度の意味ではないかと想像した。出羽三山は全国から修行者が集まる信仰の山だが、交通の不便な時代はおいそれとおまいりすることができるものではない。それでここを代わりに拝むのではないか。
付記:登山直後にはそう思っていたが、もう少し調べてみると、こうした石碑は三山碑と呼ばれていて、出羽三山に参拝した記念に神社で頂いたお札を納めるなどして立てたものらしい。三山を参詣したことと同じご利益があるとも言われている。
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