霧山城→北畠氏館跡
- GPS
- 03:00
- 距離
- 7.6km
- 登り
- 451m
- 下り
- 453m
過去天気図(気象庁) | 2020年11月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
鈴鹿の自宅を自転車で出て道の駅美杉でnaoと9:00前に合流。自転車を車に積んで歩いて1kmほど離れた美杉ふるさと資料館に向かう。道の駅の道向かいには土井沖水とかいう井戸からくみ上げられた飲み放題の水場がある。
美杉ふるさと資料館は入場無料。9:00から16:00開館。月曜休日。月曜が休日の時は翌火曜日が閉館。登山マップと縄張り図入り資料を配布してもらえる。
資料館は地質時代から昭和初め頃?までの資料を展示。
江戸時代のものか駕籠が二つ展示されていたが、ずいぶん小さいもので昔の日本人がどれだけ小柄だったかわかる。以前四日市市のお寺に置かれていた駕籠を見たことがあるが、やはり同じくらい小さかった。
玄関すぐの北畠氏館復元模型も興味深かったが、江戸時代に書かれたという何種類かの「多気城下絵図」の北畠氏家臣団にご先祖かととも思われる名前を二人見つける。江戸時代に書かれたものということなので、山の上の霧山城は周囲に石垣を巡らし、近代城郭のような櫓や天守がそびえていたり、あったはずの城館が描かれていなかったりと史実にはそぐわない部分もある絵となっている。カラーコピーを500円で販売していたので迷わず購入。係の方がこんなもの買う人がいるのだなあ、という。
神社南にある赤い鳥居の左側に登山口。
北畠氏館跡庭園を右に見ながら登城開始。
高度差100mほどの詰城まで山腹をジグザグに上り詰める
詰城は曲輪ABの2郭からなる。東側の展望あり。先ほどの絵図と見比べるのも面白い。
曲輪Aの北端はやや高くなっている。私見ながら櫓跡か。『三重の山城ベスト50を歩く』の縄張り図とは食い違うが、曲輪北側が切り立った斜面になっていた。切岸か?
曲輪Aの西隣に曲輪Bがあり、ジグザグに登る。この道は後でつけられたものかと上記資料には記載。
曲輪B西側には堀切があり曲輪の西側に延びる小尾根と分断されている。当時のものかどうか不明ながらいくつかの石で囲われた建物跡かとも思われる一画が曲輪内にあった。曲輪内では土師器の破片がたくさん出土したらしい。
詰城からは緩やかに上がったり、急斜面を丸太の階段で上がったりといった感じの尾根道が西北西に続く。
道沿いにはスキー場の初級者用ゲレンデみたいな緩やかな曲輪風の地形も散見。
頂上近くで南の曲輪群と位置づけられる鐘撞堂曲輪に登る。曲輪の南西方向に伸びる尾根を堀切が断ち切る。曲輪頂上は吹きっさらしの強風が吹き荒れる。
大洞山や尼ヶ岳も好眺望。
鐘撞堂曲輪から北北西鞍部に一端下りて主郭のある北曲輪群に上り返す。登山路は南西側の主郭と北東側の矢倉間の堀切に続く。こちらも吹きっさらしの強風が吹き荒れる。
北曲輪群は南西から北東にかけて米倉、主郭、矢倉と連続する曲輪から成る。
米倉、主郭は周囲に土塁状の高まり。
矢倉から比津峠まで地図のとおり道が続いているようだが、けっこうな急傾斜のよう。
下って紅葉狩りの人たちに混じって北畠氏城館跡を巡る。
中世城最古の石垣が出土したらしいが、見学はできない。北畠氏館跡庭園は以前行ったので割愛。宮司さんの丁寧な説明が聞けるらしいが、ハイシーズンでは無理かも。『神皇正統記』を著した北畠親房の長男北畠顕家公の銅像と何かの歌集に載ったという国司として伊勢の平和と安定を願うような歌碑も立つ。
北畠神社は小ぶりの本殿。むろん北畠氏が滅んでから建立されたとのこと。
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