今回踏査するのはこのあたり(「遠州の霊山と山岳信仰〜その源流と系譜」より)。全て道路を歩くウォーキングです。
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今回踏査するのはこのあたり(「遠州の霊山と山岳信仰〜その源流と系譜」より)。全て道路を歩くウォーキングです。
掛川バス東山線「八幡宮前」からスタート。1週間前、粟ヶ岳から歩いたルートのゴール地点です。
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12/26 8:42
掛川バス東山線「八幡宮前」からスタート。1週間前、粟ヶ岳から歩いたルートのゴール地点です。
ヤマレコやYAMAPにレポートをあげるので一応山には登っておきたい…という個人的なこだわりから、まずは事任(ことのまま)八幡宮本宮山に登ります。
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12/26 8:43
ヤマレコやYAMAPにレポートをあげるので一応山には登っておきたい…という個人的なこだわりから、まずは事任(ことのまま)八幡宮本宮山に登ります。
20分弱で山頂の磐座(いわくら)に到着。
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12/26 9:02
20分弱で山頂の磐座(いわくら)に到着。
サクッと下山。ここからしばらくは旧東海道を辿ります。
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12/26 9:21
サクッと下山。ここからしばらくは旧東海道を辿ります。
秋葉常夜燈と若宮神社。土台には弘化2年(1845)と彫られてました。
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12/26 9:25
秋葉常夜燈と若宮神社。土台には弘化2年(1845)と彫られてました。
日坂宿(にっさかしゅく)の高札場。もちろん復元ですが、江戸時代の雰囲気を味わえる粋な史跡ですね。
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12/26 9:35
日坂宿(にっさかしゅく)の高札場。もちろん復元ですが、江戸時代の雰囲気を味わえる粋な史跡ですね。
通りに面する家々には、江戸時代当時なんのお店だったのか書かれた看板が立てかけられていて、歩いているだけで歴史ロマンに浸ることができます。
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12/26 9:36
通りに面する家々には、江戸時代当時なんのお店だったのか書かれた看板が立てかけられていて、歩いているだけで歴史ロマンに浸ることができます。
本陣跡。今は広場になっています。
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12/26 9:44
本陣跡。今は広場になっています。
再び秋葉常夜燈。こちらは老朽化のため平成10年に復元。
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12/26 9:47
再び秋葉常夜燈。こちらは老朽化のため平成10年に復元。
日坂宿を抜けて県道415号(日坂八坂線)を横切ると、いよいよ小夜の中山越えが始まります。登るよ!
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12/26 9:50
日坂宿を抜けて県道415号(日坂八坂線)を横切ると、いよいよ小夜の中山越えが始まります。登るよ!
沓掛(くつかけ)の「二の曲り」。これはキツイ…。想像以上の激坂&急カーブです。
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12/26 9:55
沓掛(くつかけ)の「二の曲り」。これはキツイ…。想像以上の激坂&急カーブです。
ようやく緩やかな登りになりました。
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12/26 10:06
ようやく緩やかな登りになりました。
松の根元で自害した妊婦小石姫の墓だそうです。夜泣き石伝説では、妊婦のお石は斬り殺されたことになってるんですが、ちょっと食い違ってません?
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12/26 10:16
松の根元で自害した妊婦小石姫の墓だそうです。夜泣き石伝説では、妊婦のお石は斬り殺されたことになってるんですが、ちょっと食い違ってません?
鎧塚。こちらは江戸時代よりも前の南北朝時代の史跡。今川頼国が中先代の乱で討ち取った名越邦時を葬った塚と説明がありました(邦時ではなく名越(北条)高家の長男、高邦ではないかという説も)。
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12/26 10:31
鎧塚。こちらは江戸時代よりも前の南北朝時代の史跡。今川頼国が中先代の乱で討ち取った名越邦時を葬った塚と説明がありました(邦時ではなく名越(北条)高家の長男、高邦ではないかという説も)。
北には先月登った大根沢山・大無限山。さらに奥には雪を被った聖岳が見えました。
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12/26 10:32
北には先月登った大根沢山・大無限山。さらに奥には雪を被った聖岳が見えました。
佐夜鹿の一里塚。今では通る人も疎らな旧東海道ですが、江戸時代は大勢の旅人がここを歩いていたんでしょうね。
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12/26 10:36
佐夜鹿の一里塚。今では通る人も疎らな旧東海道ですが、江戸時代は大勢の旅人がここを歩いていたんでしょうね。
今も小夜の中山に一軒だけ残っている茶店「扇屋」さん。お店のおかみさんが色々お話を聞かせてくれました。
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12/26 10:44
今も小夜の中山に一軒だけ残っている茶店「扇屋」さん。お店のおかみさんが色々お話を聞かせてくれました。
夜泣き石伝説にちなんだ名物の子育て飴。たった100円なのに、舐め終わるまで1時間もかかりました。お得!味も甘すぎずなかなか美味。
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12/26 10:47
夜泣き石伝説にちなんだ名物の子育て飴。たった100円なのに、舐め終わるまで1時間もかかりました。お得!味も甘すぎずなかなか美味。
久延寺(きゅうえんじ)。夜泣き石伝説では、斬り殺された妊婦お石の切り口から産まれた赤子を、ここのお坊さんが水飴を与えて育てたことになっています。そしてその子は成長して、母殺しの賊に偶然出会い仇を討つという…いかにも日本人が好きそうなお話で。
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12/26 10:52
久延寺(きゅうえんじ)。夜泣き石伝説では、斬り殺された妊婦お石の切り口から産まれた赤子を、ここのお坊さんが水飴を与えて育てたことになっています。そしてその子は成長して、母殺しの賊に偶然出会い仇を討つという…いかにも日本人が好きそうなお話で。
境内にある夜泣き石…ではなく、よく似た石の「供養塔」だそうです。本物の夜泣き石(もっと大きい)は、もともとは旧東海道上にあったんですが、紆余曲折を経て、今は小夜の中山トンネルの近くにあります(今回は見に行きませんでした)。
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12/26 10:53
境内にある夜泣き石…ではなく、よく似た石の「供養塔」だそうです。本物の夜泣き石(もっと大きい)は、もともとは旧東海道上にあったんですが、紆余曲折を経て、今は小夜の中山トンネルの近くにあります(今回は見に行きませんでした)。
久延寺を過ぎると青木坂を下っていきます。
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12/26 11:08
久延寺を過ぎると青木坂を下っていきます。
東海道三大難所の中山峠終了!ちなみに残りの2つは箱根峠と鈴鹿峠。
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12/26 11:11
東海道三大難所の中山峠終了!ちなみに残りの2つは箱根峠と鈴鹿峠。
菊川の里会館。ここは日坂宿と金谷宿の中間にあった「間の宿 菊川」だったそうです。本宿ではないので宿泊や本格料理はNGなんですが、菜飯田楽のような軽食が食べられたとか。
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12/26 11:14
菊川の里会館。ここは日坂宿と金谷宿の中間にあった「間の宿 菊川」だったそうです。本宿ではないので宿泊や本格料理はNGなんですが、菜飯田楽のような軽食が食べられたとか。
あんな急な坂だとカゴに乗っても斜めになっちゃうんじゃないの?って思ってましたが、こんなところに答えが載ってました。与茂七と権七という背丈の異なるコンビが上りと下りで前後を入れ替えて評判になってたとのこと。なるほどね。
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12/26 11:14
あんな急な坂だとカゴに乗っても斜めになっちゃうんじゃないの?って思ってましたが、こんなところに答えが載ってました。与茂七と権七という背丈の異なるコンビが上りと下りで前後を入れ替えて評判になってたとのこと。なるほどね。
我々はカゴではなく足で菊坂物見坂を登ります。また登りだ…。
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12/26 11:24
我々はカゴではなく足で菊坂物見坂を登ります。また登りだ…。
ここからは菊川坂石畳。前半は江戸時代後期の石畳だそうです。
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12/26 11:27
ここからは菊川坂石畳。前半は江戸時代後期の石畳だそうです。
意外と長かった石畳を登りきるとベンチがあったので、日坂岡パンで購入した人気のメロンパンを食べて休憩。
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12/26 11:44
意外と長かった石畳を登りきるとベンチがあったので、日坂岡パンで購入した人気のメロンパンを食べて休憩。
ちょうど諏訪原城跡の入口だったので寄り道して見学していきます。
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12/26 11:54
ちょうど諏訪原城跡の入口だったので寄り道して見学していきます。
本曲輪から見下ろす島田の街と大井川。奥には富士山!
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12/26 12:13
本曲輪から見下ろす島田の街と大井川。奥には富士山!
内堀も外堀も深い!すごくダイナミックで見応えのある城跡でした。
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12/26 12:17
内堀も外堀も深い!すごくダイナミックで見応えのある城跡でした。
今度は下りの石畳、金谷坂。平成3年にコンクリート舗装から石畳に復元したらしい。その名も「平成の道普請」(笑)。
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12/26 12:27
今度は下りの石畳、金谷坂。平成3年にコンクリート舗装から石畳に復元したらしい。その名も「平成の道普請」(笑)。
滑りにくい石畳だから「すべらず地蔵尊」になったそうな。次男が受験の年になったらまた来なくっちゃ。
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12/26 12:31
滑りにくい石畳だから「すべらず地蔵尊」になったそうな。次男が受験の年になったらまた来なくっちゃ。
旅人たちが道中の無病息災、家内安全を祈願したという庚申堂。
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12/26 12:36
旅人たちが道中の無病息災、家内安全を祈願したという庚申堂。
舗装路になってもさらに下り、金谷駅の線路にぶつかりました。ガードをくぐって北側へ。
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12/26 12:45
舗装路になってもさらに下り、金谷駅の線路にぶつかりました。ガードをくぐって北側へ。
金谷一里塚の跡。佐夜鹿の一里塚からここまで約一里なんですね。
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12/26 12:47
金谷一里塚の跡。佐夜鹿の一里塚からここまで約一里なんですね。
遠州修験回峰行の春峯、事任八幡宮の次の巡礼地、巖室(いわむろ)神社に到着です。
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12/26 12:48
遠州修験回峰行の春峯、事任八幡宮の次の巡礼地、巖室(いわむろ)神社に到着です。
立派な神社でしたが、意外にも由来等の記載はありませんでした。
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12/26 12:52
立派な神社でしたが、意外にも由来等の記載はありませんでした。
再び線路の南側へ戻り、ここからは旧東海道から離れます。
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12/26 12:59
再び線路の南側へ戻り、ここからは旧東海道から離れます。
細い路地を抜けると、牧之原台地の上に出ました。
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12/26 13:15
細い路地を抜けると、牧之原台地の上に出ました。
ひたすら茶畑の間の舗装路を歩いていきます。
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12/26 13:25
ひたすら茶畑の間の舗装路を歩いていきます。
ちょっと寄り道。三等三角点「金谷」は茶畑の中でした。
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12/26 13:43
ちょっと寄り道。三等三角点「金谷」は茶畑の中でした。
庚申塔を発見。延々まっすぐな舗装路なので、これが昔からあった道なのか不安でしたが、少なくとも江戸時代には道があった証になりそうです。
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12/26 13:51
庚申塔を発見。延々まっすぐな舗装路なので、これが昔からあった道なのか不安でしたが、少なくとも江戸時代には道があった証になりそうです。
久しぶりの分岐ですが、ひたすら東へ。
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12/26 14:11
久しぶりの分岐ですが、ひたすら東へ。
蓬莱橋の入口ですが、春峯ルートは大井川を越えません。まだまだ東へ。
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12/26 14:40
蓬莱橋の入口ですが、春峯ルートは大井川を越えません。まだまだ東へ。
またちょっと寄り道。三等三角点「地獄沢」。すごい点名。
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12/26 14:45
またちょっと寄り道。三等三角点「地獄沢」。すごい点名。
牧之原台地に出てから2時間近く歩いてきましたが、ようやく次の巡礼地、敬満神社に到着です!
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12/26 15:08
牧之原台地に出てから2時間近く歩いてきましたが、ようやく次の巡礼地、敬満神社に到着です!
この神社が修験者の時代はどのような存在だったのかはよく分からないですが、主祭神の敬満神というのがあまり聞き慣れない神様なので、もしかしたら神仏分離以前は○○権現のような名前だったのかもしれません。いい資料ないかな?(追記:秦の始皇帝12世の孫である功満王子の事だとする説もあるそうです!ネット調べ)
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12/26 15:10
この神社が修験者の時代はどのような存在だったのかはよく分からないですが、主祭神の敬満神というのがあまり聞き慣れない神様なので、もしかしたら神仏分離以前は○○権現のような名前だったのかもしれません。いい資料ないかな?(追記:秦の始皇帝12世の孫である功満王子の事だとする説もあるそうです!ネット調べ)
今回のルート踏査は敬満神社までで終了。最寄りのバス停へ向かいます。通り道にあった法林寺の蓬莱七福神「恵比寿」「大黒天」。
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12/26 15:14
今回のルート踏査は敬満神社までで終了。最寄りのバス停へ向かいます。通り道にあった法林寺の蓬莱七福神「恵比寿」「大黒天」。
途中にお店がなかったので、バス停前のコンビニでようやくお昼ご飯を調達!お疲れ様でした。
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12/26 15:25
途中にお店がなかったので、バス停前のコンビニでようやくお昼ご飯を調達!お疲れ様でした。
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