近道に尾根道を登りました。
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近道に尾根道を登りました。
七福思案処に向かう横道に出会います。地図(方位)も確認せずにまっすぐ尾根を進んでも行けるのではと進みましたが失敗。
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七福思案処に向かう横道に出会います。地図(方位)も確認せずにまっすぐ尾根を進んでも行けるのではと進みましたが失敗。
途中で七福思案処の方向に進むと広場に出ました。あっ七福思案処の北の広場かなぁと思ったら違ってました。大きな岩に祠。
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途中で七福思案処の方向に進むと広場に出ました。あっ七福思案処の北の広場かなぁと思ったら違ってました。大きな岩に祠。
どこに出るのかと思ったらここでした。大岩はこの上にあります。このあたり広場が多いんですね。昔はいろんなものが建ってたんでしょう。
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どこに出るのかと思ったらここでした。大岩はこの上にあります。このあたり広場が多いんですね。昔はいろんなものが建ってたんでしょう。
七福思案処を直進して山科方面に。このあたりはブロックの溝がありました。どうも鉄塔の周囲だからのようですね。
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七福思案処を直進して山科方面に。このあたりはブロックの溝がありました。どうも鉄塔の周囲だからのようですね。
脇道の鉄塔によって確認。「荒神口支線47 昭和61年6月」
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脇道の鉄塔によって確認。「荒神口支線47 昭和61年6月」
分岐に到着。直進は毘沙門堂(コースG)、右折は山科御陵(疎水)(コースH)。
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分岐に到着。直進は毘沙門堂(コースG)、右折は山科御陵(疎水)(コースH)。
案内がありました。
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案内がありました。
先ほどの分岐からそこそこの急なくねくねの登りを終えると5辻に到着。直進が毘沙門堂、左右の尾根道、さらに右の尾根道の左に巻道もありました。
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先ほどの分岐からそこそこの急なくねくねの登りを終えると5辻に到着。直進が毘沙門堂、左右の尾根道、さらに右の尾根道の左に巻道もありました。
この5辻にはG-3の標識。
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この5辻にはG-3の標識。
右(南)の尾根道を進みました。ここから尾根伝いに毘沙門堂に向かいます。すぐに珍しい境界杭。貸出中?
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右(南)の尾根道を進みました。ここから尾根伝いに毘沙門堂に向かいます。すぐに珍しい境界杭。貸出中?
鉄塔に到着。「蹴上線9 昭和37年11月」。
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鉄塔に到着。「蹴上線9 昭和37年11月」。
ピークに到着。分岐です。プレートないかと探しましたが見つからず。琵琶湖疎水全景図によればここか次のピークが「御陵山」かと。
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ピークに到着。分岐です。プレートないかと探しましたが見つからず。琵琶湖疎水全景図によればここか次のピークが「御陵山」かと。
案内板。南方向はみささぎの森とあります。直進して毘沙門堂に向かいます。
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案内板。南方向はみささぎの森とあります。直進して毘沙門堂に向かいます。
道中に標識、鏡山とあります。途中で南の波線道があるはずですが気がつきませんでした。また次のピークまで波線図はありませんが道は明瞭でした。
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道中に標識、鏡山とあります。途中で南の波線道があるはずですが気がつきませんでした。また次のピークまで波線図はありませんが道は明瞭でした。
鏡山(P257)のピークに到達。プレート1。さてこの山、鏡山とありますが琵琶湖疎水全景図によれば「岩(ヶ)谷山」のように思います。
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鏡山(P257)のピークに到達。プレート1。さてこの山、鏡山とありますが琵琶湖疎水全景図によれば「岩(ヶ)谷山」のように思います。
プレート2。こちらは御陵山とあります。大文字界隈でもこんな感じのプレートを見ます。同じ作者なのかもしれませんね。ピークから踏み跡が東に2つありましたが、右(南)を選択。
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プレート2。こちらは御陵山とあります。大文字界隈でもこんな感じのプレートを見ます。同じ作者なのかもしれませんね。ピークから踏み跡が東に2つありましたが、右(南)を選択。
このあたりはシダが茂っており夏場は嫌な感じですね(振り返って撮影)。
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このあたりはシダが茂っており夏場は嫌な感じですね(振り返って撮影)。
なかなかの急な下りでした(振り返って)。もうほとんど下り切ったあたりで道が不明瞭になりました。また急斜面で滑りやすいです。
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なかなかの急な下りでした(振り返って)。もうほとんど下り切ったあたりで道が不明瞭になりました。また急斜面で滑りやすいです。
薄い踏み跡を辿りに南の方にしばし進み谷に出合いそこを東に進みました。もう道が見えてます。道路に出るのにこの涸沢をジャンプ。
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薄い踏み跡を辿りに南の方にしばし進み谷に出合いそこを東に進みました。もう道が見えてます。道路に出るのにこの涸沢をジャンプ。
ここに出てきました。初めてここから登るとルート探しが難しいと思います。
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ここに出てきました。初めてここから登るとルート探しが難しいと思います。
毘沙門堂にお参り。
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毘沙門堂にお参り。
道を間違いました。通りの奥にはお地蔵さま。
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道を間違いました。通りの奥にはお地蔵さま。
諸羽トンネル。岡崎のあたりで例年冬に毎年土砂の浚渫をしてますが上流もなんですね。知りませんでした。
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諸羽トンネル。岡崎のあたりで例年冬に毎年土砂の浚渫をしてますが上流もなんですね。知りませんでした。
疎水公園にやってきました。音羽山と行者ヶ森。
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疎水公園にやってきました。音羽山と行者ヶ森。
ここから登ります。
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ここから登ります。
分岐点にはこんな感じで標識がありました。
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分岐点にはこんな感じで標識がありました。
標識。結構な登りですね。
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標識。結構な登りですね。
諸羽山。
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諸羽山。
PHさんの諸羽山。
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PHさんの諸羽山。
他のプレート。シールは標高のミスを消したみたい。
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他のプレート。シールは標高のミスを消したみたい。
ひらけたところから花山天文台が見えました。
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ひらけたところから花山天文台が見えました。
白岩の案内。
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白岩の案内。
白岩。
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白岩。
「光泉林」とありました。
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「光泉林」とありました。
柳山の標識。
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柳山の標識。
プレート261m。
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プレート261m。
プレート1、陰山。
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プレート1、陰山。
プレート2。「山科の里山」とここにもありました。「鏡山」、「諸羽山」と地域の方が付けたのかな。
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プレート2。「山科の里山」とここにもありました。「鏡山」、「諸羽山」と地域の方が付けたのかな。
PHさんの陰山。ここがどうも「猫山」のようです。猫山から北上せずぐるっと南に向かいます。
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PHさんの陰山。ここがどうも「猫山」のようです。猫山から北上せずぐるっと南に向かいます。
鉄塔「高島線128 昭和61年1月」。さらに下に設置年、「昭和4年 7月」、戦前か。
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鉄塔「高島線128 昭和61年1月」。さらに下に設置年、「昭和4年 7月」、戦前か。
鉄塔「高島線129」。先ほどのゴシックと異なり明朝フォント。
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鉄塔「高島線129」。先ほどのゴシックと異なり明朝フォント。
鉄塔「高島線130」。
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鉄塔「高島線130」。
降り際が不明瞭でした。先端に古い建物がありそちらからも下りれるかもしれません。今回は西の踏み跡を取りここに出てきました。急で滑りやすいので注意。下りた道路側から撮影。少し取り付くと左右に道がありますが右に登っていきます。
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降り際が不明瞭でした。先端に古い建物がありそちらからも下りれるかもしれません。今回は西の踏み跡を取りここに出てきました。急で滑りやすいので注意。下りた道路側から撮影。少し取り付くと左右に道がありますが右に登っていきます。
南国の木。
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南国の木。
第一疎水西口。
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第一疎水西口。
おまけ 旧小関峠道のマンホールの蓋。もっときれいなのを撮りたいな。ハンディ帚が必要。今は無き観覧車。左下は犬?何故?
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おまけ 旧小関峠道のマンホールの蓋。もっときれいなのを撮りたいな。ハンディ帚が必要。今は無き観覧車。左下は犬?何故?
おまけ 第1シャフト。
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おまけ 第1シャフト。
小関峠側の鉄塔「山城北線42 昭和51年2月」建設は「昭和47年12月」。これが桟敷ヶ岳南の109からぐるっとここに繋がってるんですね。このあたりで石標を探すも発見できず。
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小関峠側の鉄塔「山城北線42 昭和51年2月」建設は「昭和47年12月」。これが桟敷ヶ岳南の109からぐるっとここに繋がってるんですね。このあたりで石標を探すも発見できず。
入り口に不法投棄。大文字山山頂付近でみる猪によく似た牛さんも居ました。写真撮ったつもりがありません。確か「諸行無常〜」、なんとなくこの場にふさわしい。
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入り口に不法投棄。大文字山山頂付近でみる猪によく似た牛さんも居ました。写真撮ったつもりがありません。確か「諸行無常〜」、なんとなくこの場にふさわしい。
もうひとつの石標は無事に発見。これが使えるってことは昔は見通せたってことなんですよね?
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もうひとつの石標は無事に発見。これが使えるってことは昔は見通せたってことなんですよね?
おまけ 真宗の文字を見ました。帰って調べると西南戦争の関係のようですね。
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おまけ 真宗の文字を見ました。帰って調べると西南戦争の関係のようですね。
おまけ 滋賀県警察官忠魂碑。殉職された方々なのかな?調べてもわからず。
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おまけ 滋賀県警察官忠魂碑。殉職された方々なのかな?調べてもわからず。
おまけ 大津そろばん。碑文を読まなかったので詳細は不明。
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おまけ 大津そろばん。碑文を読まなかったので詳細は不明。
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