記録ID: 30331
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ハイキング
十和田湖・八甲田
トホレコ(日本縦断徒歩旅行の記録)13・弘前へ。
2006年07月22日(土) 〜
2006年07月25日(火)


- GPS
- --:--
- 距離
- ---km
- 登り
- ---m
- 下り
- ---m
コースタイム
7/22 脇野沢〜後潟
7/23 後潟〜浪岡
7/24 浪岡〜弘前
7/25 弘前観光
7/23 後潟〜浪岡
7/24 浪岡〜弘前
7/25 弘前観光
過去天気図(気象庁) | 2006年07月の天気図 |
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アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
7/22 脇野沢から蟹田へ、フェリーで渡る。え、徒歩じゃねえのかよ・・・と思う方もいらっしゃると思うが、徒歩じゃないんである。大間〜函館航路が無くなってしまうような御時世である。こういう何時無くなるか分からない航路は、通りかかったら乗っておくべきだろう。直江津〜博多航路とか、大畑〜室蘭航路とか、今さら乗りたくても乗れないんだよ?というわけでむつ湾フェリーに乗ったのだが、別になんということもない航路ではある。どんよりと曇った空のしたには格別の景色のあるわけでもない。なんとなく錦江湾のフェリーを思い出した。「かのや、かごしま、いぶすきぃ〜、しぃらいなぁ・きんこぉ〜。」ってやつ。また関係無いことをわぁわぁ言ってるな、俺は。 蟹田でターミナルの建物を一応覗いてみるも、一切用が無いことに愕然とする。スタンプ押したりとか、おみやげ買ったりとか、食事したりとか、なんかしらありそうなもんだが。 海沿いの道を南下。せまっ苦しくて歩きにくい道である。漁村の間に裏道があるので、そちらをいってみる。堤防の上などを海を見ながら静かに歩けるのだが、いかんせん、何かって言うと行き止まってしまうのが難点である。仕方無く他人ん家の裏庭を横切ったりする羽目になる。恐いんだ、犬とか踊りかかってきそうで。 そんなわけで歩きにくいながらも、幹線道路を行く。しばらく行くと後ろから声をかけられた。 「歩いて旅行ですかぁ?」 振り向くと、細面で色白の、年の頃高校生くらいと覚しき、自転車に乗ったお嬢さん。おっちゃん、おばちゃんは、わぁわぁとうるさい位に声をかけていってくれるものであるが、女の子が声を掛けてくるのは極度に珍しい。思えば、今回の旅行中、唯一の濡れ場である。 「うむ、ちと札幌からな・・・。」 などと答える声はぎこちなく、年甲斐もなく緊張気味である。 「今日は青森までですかぁ?」 「いや、いかな我輩の健脚をもってしても、今日中に青森というのは、いかにも遠いな。」 「ええ?そうなんですかぁ。」 それじゃぁ、と会釈して自転車の速度をはやめながら、振り向きざま莞爾して娘さんの曰く、 「わたしもこれから青森なんですよぉ。」 だって。ここから青森まで20kmはゆうに越える。いやはや、津軽の娘さんってタフなのね。おぢさん一本取られちゃったなぁ、などという心和む珍事などもありつつ蓬田へ。 玉松海岸には道の駅っぽい施設もあって野営適地であったが何故か素通り。大方気分がフラフラしてたのだろう。蓬田には温泉もあるが、今日は珍しく素通り。子供じゃあるまいし、そういちいち温泉、温泉って言ってられっか、という気分だったのかもしれない。後潟あたりの小さい漁港の隅っこで野営。今にも雨の降り出しそうな空模様でコンクリートの上に寝るのは気が進まなかったが、まあ、いいかな。おぢさん、もう疲れちゃったしな。 7/23 瀬戸子あたりまで海沿いを辿って、そこから戯れに線路を越えて内陸に入ってみる。なんか海にも飽きて来たし、気分転換。恐ろしくわびしげな駅舎を見遣りつつ線路を越えると、一面の田んぼが広がっている。なんか、さみしいやうな気分になるなぁ。内陸側にはバイパスが通っていて、びゅんびゅんと行き交う車のスピードも速い。稲穂の写真なんて撮りながらのんびり歩く。油川から7号線を西へ折れて弘前へ。今回は青森へは寄らないのだよ、お嬢さん。 そうこうするうちに一雨来る。降っている合間にも青空が顔をのぞかせるやうな通り雨ではある。ちょうどそばにあった郊外型の量販店に避難してやりすごす。やはり雨具のズボンがあった方がいいよな。 国道は車が多く、歩いていると頭痛がしてくるので鶴ヶ坂という方へ裏道に入る。この頃より再び雲行きが怪しくなる。道端には「タラポッキ温泉」なる看板が。地図には載ってないが、あと5kmとかって書いてある。タラポッキ?尋常なセンスの名前ではないな。ひょっとして通りすがりのポキ星人が拓いた温泉なのかも知れない・・・?などと思いつつ、先を急ぐ。一雨来る前に、その、タラポッキとやらにたどり着ければ御の字である。3km、2kmと減っていく数字を追いかけながら、一心に歩いていくと、どうやらぱらぱら来たようである。わー、もうちょっと待てないかね、しかし。などと喚きながら必死で歩く。しかしホントに温泉なんてあるのかね、こんなとこに?と思っていたら忽然と温泉が現れる。あった、あった、タラポッキ、ほんたうにあったんだ。雨にもやられず、ぎりぎりセーフである。 タラポッキ温泉とは、かつて湯治場として栄えた鶴ヶ坂温泉が前身で、怪我をした鶴が湯浴みをしていたのが始まりだとかいう、由緒ある温泉だそうで。湯が枯れて湯治場が廃れた後を今の経営者が新たに掘削して復活させたものだという。「タラポッキ」というのはその会社の主力商品の名前で、いわゆる珍味系のおつまみである。当り前だが、ポキ星人とは何の関係も無いようだ。 ここの湯はやや熱めで断然好みである。昼間っから地元のひとと覚しきおっちゃん方が結構入っている。なかなか味のある温泉だ。やはり、湯温は高めに設定すべきだらう。肩までつかって、百まで数えるべきだらう。その旨、隣にいた気さくそうなおっちゃんに伝えておいた。 そうこうする内にまんまと雨はやり過ごしたやうだ。国道に復帰すると相変わらずの交通量。この辺には梵珠山という山があるようだ。ひょっとして「シーハイルの歌」に出てくる「梵珠嶺」ってのはここの事か?などと思いつつ、大釈迦から再び裏道へ。シーハイルの歌ってのは山スキー万歳的なド演歌な歌。辛い峠道などで口ずさむのにうってつけの歌である。 大釈迦は別になんということもない町ではあるが、曲り角の風情などおよろしい感じで、嬉しくなってしまった。「大釈迦双曲線」などと曲り角に名前を付けたりしたのでよく覚えている。ドブのかんじとか、いいんだよなぁ。 浪岡のスーパーで買い出し。後、道の駅へ。ヤンチャそうなガキ共がたむろしてわぁわぁやっている。ひょっとして夏休みなのか?道の駅にはボロボロの自転車に荷物を満載にしたおっちゃんがいて、ちょっと話をした。「旅はいいよねえ・・・。」みたいな事を言ってたが、ぱっと見、限りなくホームレスに近いぞ。おっと、他人の事は言えないかな。裏手の公園をちょっと入った辺りの四阿のしたで野営。ここは裏手の丘一面が公園として整備されていて、頂上には展望台もある。なぜかうまく寝つけなかったので、夜更けに展望台まで行ってみる。夜景がきれいだ。帰ってきてぼんやりしてたらヤンチャそうな若者がやってくる。こちらに気づいて「がび〜ん」て顔してた。展望台で鉢合せしなくて良かった。もっと、がび〜んとしてたろうからな。 7/24 7号線はだるいってことで、黒石のほうへ寄り道して行く。別に黒石よされに格別の興味があったというわけでもない。黒石は古い街並みなど残っていて、風情のあるところである。デカいザックを背負ったままじゃ、風情も何もあったものではないので、観光案内所に荷物を置いていくことにする。中にしつらえられたフラットテレビの大画面の中では、ボニー・ピンクが誇らしげな顔つきで歌っている。「キミの胸で泣かない。」とかって。いいよね、ボニー・ピンク。この夏はあちこちで耳にしたものだ。僕はこう見えて結構若い人達の聴くやうな音楽も知っているのだよ。情報源がラジオってとこが物悲しいけどな。 ここの案内所では関心なことに無料で自転車を貸し出してくれる。素晴らしいホスピタリティだよね。遠慮無く、一台拝借する。重荷からも開放されて、久々の自転車の疾走感は気分いいよね。「キミのむねぇで、なっかぁない〜。」などと口ずさみつつあちこちさ迷ってみる。こうして自転車に乗っていると、歩いてる奴等がみんなバカに見えるから不思議。いい感じで枯れた風情を醸している食堂に入ってみる。「親子丼」に挑戦してみた。こういった枯れた感じの食堂で頼むのは、「カツ丼」か「親子丼」しかねえだろ。味の方は、普通、かな。椎茸とか、美味しかったかな。どっちでもいいんだ、そんなことは。 さんざんうろついてかなり満足した。あまりのんびりしてると弘前到着が夜になってしまうよ。 黒石から近道をしようと思って、路地裏を歩いていたら何処を歩いているのか分からなくなってしまった。川縁に馬頭観音様が奉られているって位しか手がかりが無い。こうなると1/20万の道路地図では何が何だか分からない。僕はもともと方向感覚はあやふやな方なので。橋の上から眺めてみると、河原で子供達が一生懸命遊んでいる。どうやら世間ではやはり夏休みのやうだ。しっかり遊ぶがいいぞ、夏に取り残されないやうにな。川縁にちょっといい感じの温泉があったので覗いてみる。生憎休み。よくあるんだ、「温泉休み」攻撃。まあ、今日のところはのんびり湯に浸かってる場合ではないよね、どっちへ行っていいのかよく分からない訳だし。 どこをどう歩いたかは定かではないが、標識を見る限り、ちゃんと弘前に向かっている様である。 せっせと歩いて、辺りが暗くなり始める頃、弘前駅に無事到着。今夜は弘前在住の先輩、Ueda氏の家に居候である。 7/25 Ueda氏は飾り気のない人物である。気取らない人柄である。部屋の感じなんかは、学生時代そのままで、その極度の朴訥さに、じーんとくるものがある。「あの頃の俺たち」がすぐ隣の部屋で山行の計画でも練っていそうな、そんな懐かしい雰囲気を保っているのだ。まあ、単に汚い、とも言う。 朝からUeda氏と出かける。Ueda氏は大学の先生をしておられるので、僕も観光がてら研究室におじゃまする。まあ、あまり観光がてらおじゃまするやうなところではない、とも言う。 弘前の町は道が入り組んでいて、Ueda氏と一緒でなければ、ちゃんと帰ってこれるか心配である。電話番号を控えたメモをなくしたら一大事だな。 研究室のパソコンを借りてあちこちにメールを送ったりする。「唯今、弘前に潜伏中だよぉ。」とかって。あちこちって言っても二三件か。友達いないんだ、僕。 学食でお昼を食べてから、弘前市内の観光に出かける。弘前は古い城下町で、路地裏の風情などなかなか乙なものである。観光地図を片手に、お寺巡りなどしてみる。なんか由緒のあるお寺だったやうだが、すっかり忘れてしまった。結構地味な界隈だったが、ロンプラかなんかを片手にせっせと歩いている白人女性を見かけた。こんなところを彷徨く律義な外人はドイツ人だと見たよ。楽しいのかな?さ迷ってるだけでも楽しいんだろうな。 僕の札幌での十年来の住処の大家さんが、弘前に住んでいらっしゃって、その奥さんが入院中らしいので、お見舞に行く。ひまわりの花なんかを持って行ったのだが、こんな時もうちょっと何か気の効いたモノを選べないものかね、俺は。とりあえず元気そうだったが、なんか、痛々しかったなあ。 晩のおかずを買い出して帰る。無事迷わずに済んだ。Ueda氏の台所に結構スパイスが揃っていたので、今夜はスープカレーである。僕は何故かあちこちでカレーを作るやうな機会が多い。まあ、カレーを作るのは嫌いじゃないけど。それにおいしいカレーを食べようと思ったら自分で作るのが一番だしな。なんちゃって。 |
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