以前歩いた伊賀街道との交差点からスタート。笠置大橋を渡ります。
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以前歩いた伊賀街道との交差点からスタート。笠置大橋を渡ります。
笠置はレジャーで有名な場所。土曜の朝にも関わらず前日からの車が多く泊まっていました。
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笠置はレジャーで有名な場所。土曜の朝にも関わらず前日からの車が多く泊まっていました。
直進は柳生街道ですが笠置街道は右へ。
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直進は柳生街道ですが笠置街道は右へ。
笠置駅の手前を左へ。
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笠置駅の手前を左へ。
しばらく一車線の県道を進みます。
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しばらく一車線の県道を進みます。
笠置の桜は散り気味で大阪市内より見頃は早かったようです。
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笠置の桜は散り気味で大阪市内より見頃は早かったようです。
資料ではこのあたりで右とあります。広岡地区。
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資料ではこのあたりで右とあります。広岡地区。
高台を進むので恐らくは川の氾濫を避ける意味での土地の使われ方と思いますが実際のところはどうなんでしょうか。この先で県道に戻ります。
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高台を進むので恐らくは川の氾濫を避ける意味での土地の使われ方と思いますが実際のところはどうなんでしょうか。この先で県道に戻ります。
奈良駅から直通のバスの運行があります。乗用車とかち合ったバスは100m後退して避けていました。
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奈良駅から直通のバスの運行があります。乗用車とかち合ったバスは100m後退して避けていました。
この川沿いの道は遅くとも室町時代には存在していたと考えられています。
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この川沿いの道は遅くとも室町時代には存在していたと考えられています。
視界が開けると狭川地区。
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視界が開けると狭川地区。
全体が苔に染まっている古社。
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全体が苔に染まっている古社。
しばらく片側一車線の道を進みます。
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しばらく片側一車線の道を進みます。
九頭神社。神事芸能は無形民俗文化財に指定されていて秋祭りに相撲など5つの芸能が奉納されているそうです。
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九頭神社。神事芸能は無形民俗文化財に指定されていて秋祭りに相撲など5つの芸能が奉納されているそうです。
入口の常夜灯は文政年間のもの。
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入口の常夜灯は文政年間のもの。
元は茅葺と思われる旧家が点在。古き良き奈良の郊外の景色を楽しめるかのようです。
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元は茅葺と思われる旧家が点在。古き良き奈良の郊外の景色を楽しめるかのようです。
ここは右が旧道。
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ここは右が旧道。
少し進んで左へ。直進は「笠置街道中川越」すなわち「弥勒の道」と呼ばれる道筋で浄瑠璃寺や岩船寺に立ち寄る人々などに日常的に利用されていたようです。
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少し進んで左へ。直進は「笠置街道中川越」すなわち「弥勒の道」と呼ばれる道筋で浄瑠璃寺や岩船寺に立ち寄る人々などに日常的に利用されていたようです。
光明寺付近。左は旧道っぽく見えますが果たして。今回のルート(笠置街道本道)は県道33号として拡幅された場所が多いので旧道かの判断を難しくさせています。
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光明寺付近。左は旧道っぽく見えますが果たして。今回のルート(笠置街道本道)は県道33号として拡幅された場所が多いので旧道かの判断を難しくさせています。
菜の花に桜に良い時期に歩けました。毎年春はどこかで街道歩きをしたいものです。この先を左へ。
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菜の花に桜に良い時期に歩けました。毎年春はどこかで街道歩きをしたいものです。この先を左へ。
ちなみに右に曲がれば立派な桜並木がありました。
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ちなみに右に曲がれば立派な桜並木がありました。
おそらくは右の膨らみは旧道の痕跡でしょう。左手の山の先には須川貯水池があり桜と紫陽花がたくさん植えられています。ただ、水源地のため一般公開はされておらず勿体ないものです。
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おそらくは右の膨らみは旧道の痕跡でしょう。左手の山の先には須川貯水池があり桜と紫陽花がたくさん植えられています。ただ、水源地のため一般公開はされておらず勿体ないものです。
旧道はこのまま丘を登っていく形であったようですが痕跡はないようです。
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旧道はこのまま丘を登っていく形であったようですが痕跡はないようです。
須川交差点。奥にある一車線の上り道を進みます。
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須川交差点。奥にある一車線の上り道を進みます。
ここを右へ。この登り口は整地されたようで元々のものではないと思われます。
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ここを右へ。この登り口は整地されたようで元々のものではないと思われます。
道端にあった石仏。
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道端にあった石仏。
ここは右へ。
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ここは右へ。
酷い藪はないですが倒木がちらほらとあります。
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酷い藪はないですが倒木がちらほらとあります。
歩きやすい部類かと思います。
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歩きやすい部類かと思います。
突然、視界が広がり尾根道へと入りますが道の両端は私有地のようなので道から外れることは自重しておきましょう。
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突然、視界が広がり尾根道へと入りますが道の両端は私有地のようなので道から外れることは自重しておきましょう。
この先は車も時おり通るようで歩きやすい道になっていました。
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この先は車も時おり通るようで歩きやすい道になっていました。
ここは左。リボンがついています。
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ここは左。リボンがついています。
この先で県道と交差します。
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4/3 10:14
この先で県道と交差します。
整備された道筋になりますが道幅的には先ほどの区間と変わりありません。整備してるかしてないかの差がわかります。
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整備された道筋になりますが道幅的には先ほどの区間と変わりありません。整備してるかしてないかの差がわかります。
ここを右へ。北村地区です。
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ここを右へ。北村地区です。
廃車体。これはマツダのライトバスA型というもの。昭和40年代、先進的なデザインで人気がありました。
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廃車体。これはマツダのライトバスA型というもの。昭和40年代、先進的なデザインで人気がありました。
元は幼稚園バスだったようですが当時を知る園児は中年になっているでしょうね。
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元は幼稚園バスだったようですが当時を知る園児は中年になっているでしょうね。
ここを左。
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ここを左。
白看板はかつて県道のメインだった道筋の証ですね。
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白看板はかつて県道のメインだった道筋の証ですね。
この先で現県道と合流します。右へ。
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この先で現県道と合流します。右へ。
この左の坂が旧道と思われます。
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この左の坂が旧道と思われます。
しっかりした路盤が続きます。
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しっかりした路盤が続きます。
このまま道なりに。
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このまま道なりに。
そして県道に合流。
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そして県道に合流。
なんとも長閑です。ただし、この先は真砂土が取れる場所であることで大型ダンプが意外と多く走っています。
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なんとも長閑です。ただし、この先は真砂土が取れる場所であることで大型ダンプが意外と多く走っています。
腰痛地蔵尊。石仏の周りには槌の子が奉納されているのですが近隣だけでなく遠くの地名のものも置かれています。
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4/3 10:40
腰痛地蔵尊。石仏の周りには槌の子が奉納されているのですが近隣だけでなく遠くの地名のものも置かれています。
腰痛の人は供えてある槌の子を持ち帰って痛むところを軽く叩いてお願いすれば治ると伝えられています。治れば新しい槌の子を奉納するのが習わしだそうです。
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4/3 10:40
腰痛の人は供えてある槌の子を持ち帰って痛むところを軽く叩いてお願いすれば治ると伝えられています。治れば新しい槌の子を奉納するのが習わしだそうです。
この辺りの道筋と風情は昔とさほど変わっていないと思われます。
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この辺りの道筋と風情は昔とさほど変わっていないと思われます。
左手が旧道のようですが途中から藪が酷くなったので引き返しました。
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左手が旧道のようですが途中から藪が酷くなったので引き返しました。
その旧道の反対側がこんな感じ。春先でこの量ですから通れたものではありません。
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その旧道の反対側がこんな感じ。春先でこの量ですから通れたものではありません。
ここを下って県道と交差。
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ここを下って県道と交差。
ここは左。
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ここは左。
土道を進みます。
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土道を進みます。
左。
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左。
ここを右。ここから先が今回の一番の難所です。鳴川地区。
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ここを右。ここから先が今回の一番の難所です。鳴川地区。
しばらくは良い道なのですが次第に山道と化します。
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しばらくは良い道なのですが次第に山道と化します。
この辺りの倒木は散見出来る程度。
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この辺りの倒木は散見出来る程度。
GPSを頼りに行けば迷うことはないですが無ければ迷う可能性があります。
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GPSを頼りに行けば迷うことはないですが無ければ迷う可能性があります。
少々の藪漕ぎ。日の当たる場所はどうしてもこうなっちゃいますね。
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少々の藪漕ぎ。日の当たる場所はどうしてもこうなっちゃいますね。
路盤はしっかりしているので意外と歩きやすいです。
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路盤はしっかりしているので意外と歩きやすいです。
わかりにくいですが分岐。左へと下ります。
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わかりにくいですが分岐。左へと下ります。
しっかりした道筋。
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4/3 11:13
しっかりした道筋。
所々で崩れの影響か不鮮明な場所もありました。
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所々で崩れの影響か不鮮明な場所もありました。
民家が見えてくれば後は道なりに。
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4/3 11:16
民家が見えてくれば後は道なりに。
県道の手前にある旧道。
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県道の手前にある旧道。
川を渡って県道と合流します。元々の橋はもう少し下流側にあったようです。
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川を渡って県道と合流します。元々の橋はもう少し下流側にあったようです。
旧道は右ですが藪が酷いので大人しく県道を行くのが無難です。
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4/3 11:22
旧道は右ですが藪が酷いので大人しく県道を行くのが無難です。
旧道は川沿いを真っすぐ方向にあったと思われますが藪は密でヤバい状態です。引き返します。
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旧道は川沿いを真っすぐ方向にあったと思われますが藪は密でヤバい状態です。引き返します。
この時間になると大型車の交通量は多めでした。
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この時間になると大型車の交通量は多めでした。
先ほど引き返した旧道は写真左手の谷を上がってきていたようです。
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先ほど引き返した旧道は写真左手の谷を上がってきていたようです。
中の川地区。この地区の旧道は結構複雑で消失してしまった箇所が多いように思います。
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中の川地区。この地区の旧道は結構複雑で消失してしまった箇所が多いように思います。
こちらも旧道の痕跡ですが少し行った先で藪が酷く消失しています。
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こちらも旧道の痕跡ですが少し行った先で藪が酷く消失しています。
無理をすればいけなくもないですが。
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無理をすればいけなくもないですが。
その藪道は民家の場所から合流してきます。
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4/3 12:04
その藪道は民家の場所から合流してきます。
立派な石仏。調べると永正14年とあるので室町時代のもののようです。この街道の歴史を感じますね。
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立派な石仏。調べると永正14年とあるので室町時代のもののようです。この街道の歴史を感じますね。
この先に新柳生街道と交差点があります。この交差点付近の旧道の痕跡は全くと言っていいほど残っていません。
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この先に新柳生街道と交差点があります。この交差点付近の旧道の痕跡は全くと言っていいほど残っていません。
交差点の手前にある旧道入り口へ。
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交差点の手前にある旧道入り口へ。
しばらくこのような歩きやすい道を進みます。
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しばらくこのような歩きやすい道を進みます。
奈良盆地を遠望。
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奈良盆地を遠望。
首なし地蔵。牛塚。首がないですが約30年前まではあったそうで行方不明とのこと。
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首なし地蔵。牛塚。首がないですが約30年前まではあったそうで行方不明とのこと。
浄水場が見えてくればゴールは近い。元々の旧道は浄水場の中を通っていました。
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浄水場が見えてくればゴールは近い。元々の旧道は浄水場の中を通っていました。
綺麗な桜が植えられています。
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綺麗な桜が植えられています。
ここは伊賀街道との分岐点。立派な道標が立っています。伊勢への距離呈も書かれています。
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ここは伊賀街道との分岐点。立派な道標が立っています。伊勢への距離呈も書かれています。
一気に坂を下ります。
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一気に坂を下ります。
奈良と京都を結ぶ奈良街道との追分である奈良阪でゴールとしました。
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奈良と京都を結ぶ奈良街道との追分である奈良阪でゴールとしました。
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