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Yamareco

記録ID: 3059911
全員に公開
キャンプ等、その他
アジア

【過去レコ】ひとりぼっちの韓国500キロ 自転車旅行

1998年08月04日(火) 〜 1998年08月15日(土)
 - 拍手
GPS
32:00
距離
485km
登り
3,641m
下り
3,588m
天候 この年、梅雨前線が長期で居座りずっと雨続きだった
アクセス
利用交通機関:
自転車
行き 成田=釜山空港
帰り 金浦空港=成田

1998年
8/4 秩父=成田=釜山 フェニックスホテル
8/5 釜山=海雲台 23.8キロ(23.8キロ) シンシン荘旅館
8/6 海雲台=外東 68.5キロ(92.3キロ) イファ荘旅館
8/7 外東=大邱 100.9キロ(193.2キロ) ニューテグホテル
8/8 大邱=金泉 73.2キロ(266.4キロ) ホイル荘旅館
8/9 金泉=大田 91.1キロ (357.5キロ) ナムト荘旅館
8/10 大田=天安 81.0キロ(438.5キロ) オンヤ荘旅館
8/11 天安=水原 61.6キロ(500.1キロ) オン荘旅館
8/12 水原=ソウル 44.6キロ(544.7キロ) クリム旅館
8/13 ソウル 大母山、九竜山ハイキング クリム旅館
8/14 ソウル テウォン旅館
8/15 金浦空港=成田=秩父
コース状況/
危険箇所等
当時GPSロガーが無かったので、手書き入力したもので、細部は実際と異なっている可能性あります。手書き地図も参照ください。

◆自転車
国道14号線→国道7号線→国道4号線→国道1号線で走った。
国道は、路肩も広く交通量あっても比較的安心して走れた。
2時間も走ると街の雑貨屋があり、雑貨屋で給水、食事、休息ができる。

◆九竜山、大母山(ソウル近郊の山)
危険なところなし。道標はハングルだけが多いため、自分が登るコースのハングルを覚えておく必要あります。

※インターネットで調べられる日本語表記の韓国地図
https://map.konest.com/dpoi/100952673
その他周辺情報 ずっと旅館に泊まって移動。
韓国地図
自転車旅行のはじまりです。
自転車旅行のはじまりです。
海雲台の街です。
海雲台の街です。
海雲台の海に出てみた。ビーチパラソルがびっちり張られていて、人が非常に多いです。
海雲台の海に出てみた。ビーチパラソルがびっちり張られていて、人が非常に多いです。
郊外では雑貨屋さんをみつけては休息。
郊外では雑貨屋さんをみつけては休息。
ようやく軌道に乗り始めた自転車旅行です。
ようやく軌道に乗り始めた自転車旅行です。
水位の上がった河川、茶色の水が流れてます。車が取り残されていました。
水位の上がった河川、茶色の水が流れてます。車が取り残されていました。
水原、長安門 水原華城(スウォンファソン)の北門
水原、長安門 水原華城(スウォンファソン)の北門
漢江です。恐ろしいほど川幅が広くなっていました。河川敷も水没してます。
漢江です。恐ろしいほど川幅が広くなっていました。河川敷も水没してます。
ソウル駅着きました。
ソウル駅着きました。
大母山でハイキングです。
大母山でハイキングです。
九竜山から下降中
九竜山から下降中

装備

個人装備
サイクリング装備一式<br />ハイキング装備一式

感想

 8月4日朝、僕は成田空港に向け一人車を飛ばしていた。車には分解し輪行袋に入れた自転車が積んである。不安もあったが、ワクワク感はそれを上回っていた。隣国・韓国を肌で感じる事、それが旅の唯一の目的だ。
 この年の東アジアは大変な異常気象が続いていた。梅雨前線が長期に渡って居座り、韓国も建国以来の大洪水で200人以上の死者を出した。河川の氾濫、堤防決壊、土砂崩れ、床上浸水など、災害の映像が連日のように日本のTVでも報道されていた。しかし、こんな状況でも災害には直接直面せず、旅を終える事ができた。たくさん自転車トラブルを経験する事になったものの、旅は順調だった。

 8月4日 秩父=成田=釜山 フェニックスホテル
 久しぶりに休暇を取って夏休みに付けた。マウンテンバイクは輪行袋(分解した自転車を入れる袋)に入れ、車に積んである。関越道から外環道、常磐道から一般道を行く。家を6時出発。9時20分には成田のUSAパーキングに到着。成田の駐車場で、12日間で5100円(洗車もしてくれる)。空港へのシャトルバスに輪行袋ごと乗り込んだ。同乗したご家族の奥さんに自転車を気づかれ笑われてしまった。フライト4時間前に空港到着。一人旅で車行袋はとても邪魔、チェーン鍵をかけて荷物から離れようとしたら、警備の人に見つかり注意されてしまった。登場手続きでようやく大荷物から解放されると思ったが、チェックインカウンターでは、機内は気圧が下がるので自転車のタイヤは空気を抜いて下さいとの事。なんと空港内で荷をほどき、タイヤの空気抜きをする羽目になった。
 今回の旅、旅行代理店はSKトラベル。この正月に利用した高田馬場のSKトラベルは、スタッフが韓国人ばかりで韓国便に強い。同僚のIさんに教えて頂いたもの。今回もここを利用するつもりで、番号案内の104で聞いた上野のSKトラベルに電話してしまった。実は別の会社であった。しかし、上野の会社も韓国便を扱っており、仕事の速い清水さんという女性の方が窓口となり、これも何かの縁と、上野のSKトラベルにお願いした。
 大韓航空KE714便は、釜山経由済州島行きで、なんと、この正月に同期のKと一緒に韓国旅行した際の便と同じであった。定刻13時55分出発。機内で隣り合わせになった李(イ)さんは、釜山大学OGで中学校の数学の先生。缶ビールをお代わりする元気な人。2週間の日本旅行を終えて帰国とのこと。おしゃべりでき楽しかった。釜山16時10分着。空港内銀行で8万円をウォンに換金した。レートは100円で830ウォンだった。円安だったが、ウォンも安くレートは例年通りか?結局8万円は帰国するまですっかり使い切ってしまった。空港を出てタクシーを拾い、南浦洞のフェニックスホテルに向かう。運転手は日本語勉強中の李さん。高速道路料金所ではガチャ―ン、ガチャ―ンとすごい音。見ると上を向いたラッパの様な料金入れにコインを投げ入れているようだ。『混んでいます』と渋滞を詫びられるが、習っている日本語を話してみたいのだろう。これで勉強していると、よれよれの日本語テキストを見せてくれた。空港から30分ほどでホテル着。タクシー料金は2万千ウォンと少し高めで、空港で自転車組み立てても良かったかもしれない。ホテルのフロントでは日本語の上手な李さんが受付してくれた。その後、李さんが部屋まで梱包を解いたばかりの自転車を見に来た。今日は李さんばかり。
 自転車を組んでみたが、前輪のブレーキパットが片当たりしタイヤが重い。とりあえず前輪のブレーキは外した。
 ホテルの部屋で窓を開けると釜山港の青い海が広がっていた。ホテルは絶好の場所に建っていた。早速中央洞まで出かける。夜は近くの食堂に入り、韓国初日をビビンバで一人乾杯。

 8月5日 釜山=海雲台(ヘウンデ) シンシン荘旅館
 自転車と共にエレベータに乗る。そのままでは乗らない為、自転車を立てた。朝寝坊し10時チェックアウト。フロントでは日本人旅行客3人に会った。自転車でソウルまで行く計画を話すとびっくりされた。いよいよ自転車の旅が始まった。こぎ出すと何とも心地よい。南浦洞から釜山駅前の通りを行き、まずは大韓航空オフィスで帰り便のリコンファームを済ませた。後輪もブレーキの効きが悪く、全くブレーキがかからない状態で、もっぱら足で止めるというカッコ悪い状態で進んだ。釜山駅を過ぎ、北に向かう鉄道と別れ、東の広安里(クアンアンニ)へと向かう。大通りから外れ正しい道か不安になる。コンパスで方角を確認しながら進んだ。途中、自転車屋さんを見つけ、ブレーキの不調を見てもらった。千ウォンで前後ブレーキを調整して頂いた。暫く進むと広安里の看板(道路標識はハングルと英語)を見つけ、どうやら道は正しかった模様。信号待ちをしていたら、ローラースケートの少女が脇をス―と通った。広安里に着いた。白い砂浜の海水浴場で、沢山の人が海水浴をしていた。非常に暑かったので、自分も泳ぎたかった。トレンディな海岸線通りを自転車で進む。ビキニ姿の女性もたくさん。次は海雲台に向けて出発。海雲台も広安里とならぶ韓国屈指のビーチリゾートである。しかし、今度は完全に道に迷ってしまった。東に向かっていたが、いつの間にか北に向かっており、戻ろうとした道も果たして正しいかわからなくなってしまった。汗だくでうろうろしていると、携帯電話で日本語を話しながら歩いていた女性が通り過ぎた。助かったと、女性を追いかけ話しかけてみた。日本語が上手な韓国人で、海までの道順を書いてくれた。言われた通りに進むと海岸線に戻ることができた。
 炎天下で自転車を漕いでいると、脱水症状になるのでは?と思うくらい汗が止めどなく流れた。風を感じればまだましだが、道を探しながらでは最悪である。へとへとになって、海雲台駅に着いた。今日はもうここまでだな。駅前から海水浴場に向かい、左に路地を入った場所が旅館街であった。シンシン荘旅館で今日の宿を取った。3万ウォン。入口の給水器で冷たい水をガブ飲みした。こんな調子ではたしてソウル迄たどり着けるのだろうか?まだ20キロちょっとである。シャワーを浴び、海に行ってみた。抜けるような青空で、長い砂浜は人人人。露店に射的、ソフトクリーム屋、コンビニ、プリクラ。海の繁華街は日本と何も変わらない感じだ。
 走行距離23.8キロ。

 8月6日 海雲台(ヘウンデ)−外東 イホァ荘旅館
 昨日分かった事は日中の炎天下では暑くて距離が伸びないので、朝早めに出発すべきという事。この日は6時過ぎには宿を出発した。海雲台、松亭と涼しいので快調に進む。国道14号に合流した。国道に出てからは、道路標識、次の街までの距離が出ており、また路肩も広く走りやすかった。少しずつではあるが不安が無くなり、風を切って走っていると何とも気持ちよかった。まわりは低いけど、山歩きできそうな山々が続く。よく見ると稜線には登山道も見えていた。ソラク山に行ってみたいけど、日本ではあまり知られていない山も歩いてみたい。憧れるのが鬱稜島(ウルルンド)の聖人峰(ソインボン)986mである。絶海に浮かぶ孤島の独立峰で、古くから気象通報で入電がある島だ。学生の頃、気象図を描いていて、「ウツリョウトウ(現在はウルルン島と気象通報でも島名は改められている)では北東の風風力3」と、昔から名前だけは知っていた。この島は、浦項(ポハン)からフェリーで行け、実際に数年先に訪れる事ができた。
 蔚山(ウルサン)の街を越えたあたりで、右ペダルの異常に気付いた。ペダルがクランクに対し下がり始めた。無視して漕いでいると、ペダルがクランクのねじ山をつぶし外れてしまった。信じられないトラブルで、これには参った。順調に走り始めた矢先であったが、途方に暮れることになってしまった。クランクのねじ穴に対し、ペダル側のネジ山に針金を巻きこんで締めてみたが、すぐに外れてしまった。何度やってみても結果は同じだった。今度こそと渾身の力を込めてペダルを締めてみたが、10mこぐとまた外れた。もう自転車を押すしかない。暫く自転車を押しながら、どうするか考えた。突然大粒の雨、泣きっ面にハチだった。雨宿りを兼ね、ぶどう売りのパラソルに入れてもらった。ぶどうを買わないと居られないので、ぶどうを買う事にしたが、お爺さんは一籠単位でしか売らないようで、15房ものぶどうを抱えて雨宿りした。
 雨はあがった。もう自転車で旅はできない。釜山から80キロほど進んだだけだ。今日予定していた慶州(キョンジュ)までの25キロは、今からとても押していけない。片方のペダルで漕いでみたが、乗れたものでは無く、下り坂で乗れただけだった。まずは今日の宿を決め、対策はそれから考える事にした。8キロほど押して歩き、外東という街の近くに現代団地があって、近くに旅館の看板を発見した。韓国の旅館の看板には必ず温泉マークが付いている。温泉が湧いているという事でなく、冬暖かいオンドル部屋を意味するものと思われるが、マークの詳細はよく分からない。150mの指示に従って山側の道に入ってみたが旅館はどこにもない。看板を見つけ、かれこれ1時間も探している。へとへとになり、雑貨屋で聞くとこの坂の上だという。自転車を押しながらいくと、坂の上にようやくその旅館はあった。看板の150m表記はどうみても510mだ。看板には参ったけど、旅館は最高だった。宿代は2万5千ウォン。オンドル部屋(冬は床暖房になる)にダブルベット。新築で清潔。一階に住んでいるご主人一家は、叔父さん、叔母さん、お婆さん3人で、皆さんニコニコしている。さっきのブドウをお裾わけして皆で食べた。とても優しいご家族でした。窓からは美しい山々が広がっていた。
 自転車を押して歩いてきた道中、旅館から2キロ手前に金物屋があった事を思い出した。そうだ、クランクにボルトをさしこんで固定すればペダルの代わりになりそうだ。あるかどうかは分からなかったけど、ボルト、ナットを買うために2キロ歩いて戻る事にした。金物屋さんまで戻った。幸い、長さ7、8センチの丁度よい長さのボルトとナットを購入できた。旅館に戻り、旅館の庭先でペダルの代わりにボルトを締めてみた。スパナ等の工具は一式持っていた。このボルトがいい具合だった。旅館の庭でぐるぐる何周もしてみて、これならいけると確信した。500ウォンのボルトに旅は救われた。
 走行距離 68.5キロ(釜山から92.3キロ)

 8月7日 外東=大邱(テグ) ニューテグホテル
 ペダルが外れた事は予想外のトラブルだった。でも代わりのボルトはペダルの役割を果たしてくれている。緩んでしまうことも無かった。昨日は慶州(キョンジュ)まで行けなかったので、昨日の分も挽回しようと考えた。
 連日報道されている洪水、これから向かう先がどうなっているのか、さっぱりわからなかった。どうしても日本語の確実に通じる大邱のホテルまで辿り着き、最新情報を得たいと考えた。正しい情報が無いと、旅はおろか災害に巻き込まれる危険も出てくる。楽しみにしていた慶州の世界遺産の仏国寺は諦め、先を急ぐ事を優先することにした。出発し、すぐにメーターは100キロを越えた。慶州で国道7号線から4号線に進路を変えた。このあたりは丸い古墳が随所に見られた。慶州から少し行った所で、脇で休んでいた中学生くらいの5人組がいた。数キロ先で今度は自分が大休止。すると先ほどの若者達が自転車で追い抜いていき、それから20キロほど、抜きつ抜かれつのデットヒートとなった。彼らが道の左、自分が道の右を走った。先頭の男の子がスピードを上げたので、最後尾の女の子が離された。大人気なかったが競り合ってしまった。この子達も自転車旅行のようだ。自転車で旅をしている人に時々会った。昨日も蔚山(ウルサン)で数名に会った。一人は「こんにちは」と言ってくれたので、日本人かも知れない。
 ボルトをペダル代わりにした右側だけ足が少し擦れたが、無事大邱に着いた。100キロの移動は大した事が無かったように思えた。今まで自分の体力で一日何キロ稼げるのか知らなかったが、自転車通の人に言わせれば、一日何時間乗るかによるとの事。自分の場合、マウンテンバイクなら平均時速約15キロなので、7時間で100キロ走破できた。ロードバイクならもっと速いだろう。しかしマウンテンバイクの頼もしい太いタイヤを見ると、少々遅くても丈夫な自転車の方がいいやと思ってしまう。
 自転車のベルも壊れた。錆びていたので、たたくところが取れてしまった。後ろから歩行者を避ける際は「アンニョンハセヨ」でいいのか?しかし、怪訝な顔をされただけで、黙って距離を取る事にした。市街地に入ると国道がいつも分からなくなる。駅までどの位か?時には交番で道を聞く。少しへばったが大邱駅に到着した。そのままニューテグホテルへ。地球の歩き方の通りで、奥さんが日本語上手だった。宿代は2万5千ウォン。荷物を部屋に入れ、大韓航空事務所に立ち寄り、念のための再度のリコンファームを済ませた。帰りに食堂に入り、キムチチゲでビールを頂く。韓国にはラガー、ハイト、カスなどのビールがあって、どれも色が少し薄く感じるが味はまあまあ美味しい。毎日瓶で1本か2本飲んでいた。僕の『メッチュ、ジョセヨ』もすんなり通じるようになっていた。
 ホテルに戻って奥さんに災害はどのあたりか教えてもらった。TVで報道していた被災地のハングル地名をメモしていたので、それを見せたところ、教えてもらった場所は江華、坡州、護政府、九里、城南、これらは全てソウル郊外の街であった。これから向かう国道1号線沿いは大丈夫との事。途中、踏切で見送った特急セマウル号はソウル行きだったので、いざとなれば、自転車を梱包し列車に乗ればエスケープする事もできるだろう。ひとまず安心できたが、奥さんには明日は天気が悪いと言われた。
 走行距離100.9キロ(釜山から193.2キロ)

 8月8日 大邱(テグ)=金泉(キムチョン) ホイル荘旅館
 すぐに出発しようにも外は雨、出発するか悩む。傘を持って外出してみたり、のんびりした。9時過ぎ小降りの雨が上がったので、出発することにした。しかし大邱の街を出る前にまた降り出し、雨足が強くなってきた。傘をさして自転車に乗れるものではない。土砂降りを歩道橋下でやり過ごしていたが、止むのを待てずに土砂降りの中出発。傘はたたんでザックに入れる。今回雨具は持ってこなかった。一日くらい停滞しても良いと思ったからである。しかし、これから毎日降ると思うと、予備日は限られており雨でも進むしかなかった。
 ザンザン降りの雨に、車の泥はね、自分の自転車のタイヤの水はねもあって、体中びっしょりだった。大きな橋から川を見下ろすと、恐ろしいほど川は濁り、川幅も極端に広い。取返しのつかない事態にはならないでほしいと願った。幸い雨のピークは1時間ほどだった。大邱郊外の雑貨屋さんでほっとして休憩を取った。キオスクぐらいの小さい雑貨屋が街のどこかに必ずあった。カップ麺に飲み物、スナック菓子に菓子パンなど品数豊富。2時間も走ると必ず雑貨屋は通りに面したところにあり、これが非常に助かった。パンを買ったり、猛烈に暑い時には地元の子供たちに混じってアイスをかじったり、日よけのパラソルがあるところもあって、まさにオアシスだった。
 郊外に出て黒い雲が離れ、明るくなってきた。田園風景の中、快調に自転車を走らせた。なんと心晴れやかに感じた事か。泥はねでシャツはひどい事になっていたが、、、。
 また駅近くなって国道が分からなくなったが、無事金泉に到着した。今日予定通りに進めた事は大きかった。旅は軌道に乗り始め、予定も取り戻す事ができた。駅に近い、ホイル荘旅館、2万3千ウォンに本日の宿を決めた。
 夜、グリルのある食堂を探す。今日こそカルビと決めたから。ちょっと躊躇するような洒落たお店を発見。グリル付きのテーブルが並びカルビが食べれそうなので入ってみた。モダンな作りだが、店内はレトロ調で、壁には古いラジオや映画のポスターが店の雰囲気を作っていた。ビールにキムチ、焼き肉にライス。旨い。店の奥さんがこれまたすごい美人。今日を振り返りながら飲むビールの味は格別だった。
 走行距離73.2キロ(釜山から266.4キロ)

 8月9日 金泉(キムチョン)=大田(テジョン) ナムト荘旅館
 金泉を出てから一度雨に降られる。しかし昨日のようなひどい土砂降りでなく、霧雨程度でむしろ良いお湿り。休んだ雑貨屋で桃をみつけたので、ひとつ買ってみた。金額がわからず、硬貨を一握り渡す。分からないときはいつも紙幣を出していたが、硬貨で財布がパンパンだったのでそうした。店の叔母さんはクスクス笑いながら二百ウォンを返してくれた。桃をナイフで剥いてみたが硬く、かじってみると梨のような食感。甘さもイマイチで桃は外れだった。
 金泉を出発して、永同という所で、後輪の空気が抜けてきたことに気づく。雑貨屋で休んだ際に調べてみると虫ゴムのゴムがヘタっていた。別なスペアを入れ空気を入れていた時の事だった。空気入れがスポっという変な音とともに空気が出なくなった。空気入れの故障っぽくバラしてみたが、結局修理できず。バラバラになった空気入れはザックにしまった。後輪がペシャンコのため、暫く押して進む事にした。丁度近くに車の修理屋さんがあったので、ダメ元で聞いてみた。奥さんは自転車はダメとの事。がっかりして自転車を押し始めると、奥から旦那さんが出てきて、何とかしてみるので、ここに置いてみてとの事。叔父さんが車用の空気入れをもってきた。当然ノズルが合わず、空気が漏れてしまう。別なノズルに交換しても結果は同じだったが、叔父さんは、自転車のノズルと空気入れのノズルを合わせた状態で空気を送った。エアーは殆ど漏れて、大きな音がしていたが、徐々に空気が入りタイヤはパンパンになった。ありがとうございます。代金は?と財布を見せたが要らないと言う。大田広域市まで行けば自転車屋さんはあるはずた。そこで空気入れを買おう。あと50キロほど。丁寧にお礼を言って出発した。沃川(オクチュン)という街を過ぎ、大田まであと1時間くらいのところまで来たところで、長い下りになった。交通量は多かったが、長い下りを快調に飛ばしていると、ゴンいう振動がしたあと、明らかに後輪がおかしい。見ると、後輪が再びペシャンコになっていた。後で分かったが釘を踏んでいた。大田まで、まだ15キロある。またトラブル。空気入れが無い今、押すしかない。本当についていなかった。しかし15キロなら、何とか押していける範囲なので、付いていると考えるべきと、気持ちを切り変えた。ガソリンスタンドや交番、自転車の空気入れを借りられないか、片っ端から聞きながら歩いたが、断られ続けたので、寄り道無しで歩くのに専念する事にした。3時間ほど歩いて、ようやく大田の市内に入った。幸い市内の入口で自転車屋さんを見つけた。自転車を見てもらうと、これが刺さっていたと、釘を渡される。3時間も押してきたので穴は広がり、チューブ交換した方がよいとの事。予備チューブはもっていたが、予備が無くなるので、チューブを入れ替えてもらった。壁には日本にあるのと同じ、手押しの空気入れがぶら下がっている。1万ウォンとの事で購入した。パンク修理したのに何で買うの?と聞かれ、これからソウルまで結構走ると説明すると納得してもらったようだった。チューブ交換の修理は二千ウォンだった。やっと自転車押しから解放され、自転車に乗れた時はルンルンだった。なんとか大田駅到着。駅前の道路を越えた飲食街にナムト荘旅館を見つけ入った。2万3千ウォン。また親切そうな叔母さんだった。
 夕方、駅前広場で若い女性ミュージシャンがストリートライブをやっていた。取り囲む大きな輪ができていて、自分もアスファルトに腰をおろし、暫く歌を聴いていた。
 走行距離91.1キロ(釜山から357.5キロ)

 8月10日 大田(テジョン)=天安(チョナン) オンヤ荘旅館
 朝出ようとするも、いかにも降り出しそうな空。降り出す前に距離を稼ごう。国道4号線を少し西に行くと国道1号線に出合った。ソウルまではあとはこの国道1本となった。がたがたの煉瓦の歩道が少し下っているところがあった。この煉瓦の合わせ目にハンドルを取られ転倒してしまった。右膝、右肩を擦りむき血が出ていた。めちゃくちゃ痛く、暫く声が出なかった。少しするとポツポツと降り始め、そのうち空は真っ黒になって土砂振りとなった。水はけの悪い道路は水浸しだった。逃げ込んだ銀行の軒下で2時間近く雨宿りをした。雷も鳴っていたが、次第にその雷の間隔が広くなっていく事に気づく。自転車に荷物を括り付け、ザックを背負った叔父さんも銀行の軒下に飛び込んできた。同じような恰好なので、自転車旅行中らしい。少し話しをした後、小降りになったので叔父さんは先に出発していった。少しして自分も出発。方向も叔父さんと同じ。追いかけたが追いつく事は出来なかった。
 大田郊外の街で、急に川の水かさが増したのだろう。河川敷の駐車場が水没しているところがあった。車が多数水の中に残されていた。側溝は土管が水をはけきれず大きな水たまりができていた。水たまりで車に水をかけられそうなので、歩道を行くことに。歩道と思って自転車を進めたとき、実は側溝だった様で、前輪が沈んでいった。自分も首くらいまで水の中に落ちてしまった。歩道と側溝の境界が分からなかった。土管に飲まれたらやばいと思い、必死で這い上がる。体が路肩にあがり、自転車も引きずり上げた。脇を通る車の運転者はびっくりしたに違いない。一瞬の事だった。状況を把握する余裕もなかったが、幸いにもポケットに入れていた財布は流されなかった。
 国道1号線が右に曲がる場所があった。暫く標識が無く、あまりに心配なので、街の人に道を尋ねた。韓国語、日本語、英語でめちゃくちゃな聞き方をしたところ、叔父さんは「どこへ行くのですか?」と日本語で話してくれた。天安への道はあっている様子だった。年配の人ならば割と日本語が通じ、何度助けられたことか。
 天安着。駅に近いオンヤ荘旅館に入る。2万5千ウォン。夜は近所の食堂で、デジカルビにライス、ビール2本で1万7千ウォンと贅沢した。
 走行距離81.0キロ(釜山から438.5キロ)

 8月11日 天安(チョナン)=水原(スウォン) オン荘旅館
 例によって朝は雨。コンビニで弁当買ってゆっくり朝食。韓国にもコンビニがあって重宝していた。8時に出発した。
 途中ソウル88キロの道路標識を見つける。ソウルの名前のある標識は初めてで、ゴールが近くなっている事が実感できた。ラストスパートだ。昼から久しぶりの青空が広がり、心も晴れやかだ。水原着。旅館は多かったが、飛び込んだオン荘旅館は3万ウォンと高めだが、少し汚かった。今日は移動距離少なく早くに着いて半停滞とした。ソウルまで残り40キロほどとなった。
 走行距離61.6キロ(釜山から500.1キロ)

 8月12日 水原(スウォン)=ソウル クリム旅館
 水原郊外では城壁の脇を進む。自転車旅行もいよいよ最終章だ。ゴールはソウルの繁華街・明洞(ミョンドン)。正月に泊まったクリム旅館に行こう。ソウル郊外では広い歩道が続くので、車道を走ってクラクションを鳴らされる事も無い。歩道は車道より1段高くなっていて、スロープがほとんど無い。車道から歩道に上がるには、前輪をジャンプさせるか、降りて前輪を持ち上げる必要がある。バリアフリーでなく、車椅子の人は大変だろう。最後日、この日もコケた。左膝を擦りむき又血が滲んでいる。膝小僧の擦りむきは左右対称になってしまった。
 ソウルの真ん中の川、漢江(ハンガン)まで来た。道はわかっていたが、突き当りの交番に立ち寄る。エアコンが効いて、冷たい水まで出してもらい感謝。汝矣島の橋を渡ろうと考えていたが、漢江大橋を教えてもらったので、その鉄の橋を渡った。橋を渡ればソウル駅まではもう僅か数キロだ。旅の最後は余韻に浸りながらのんびりいきたいと思い、ゆっくり自転車を進める。通りが賑やかになり、左に見覚えのある駅舎が見えた、ソウル駅だ。正月には、済州島(チェジュ)から船で朝鮮半島に渡り、セマウル号で木浦(モッポ)からソウルまで旅した。今回はトラブル続きだったが、無事釜山から自転車で来れ、何とも言えない充実感、達成感に浸れた瞬間だった。
 ソウルは横断歩道が無く地下道になっているところが多く、一旦地下道に自転車を下してまた担ぎ上げるしかない。結構大変だし恥ずかしい。あとは車と一緒に流れて車道を渡るか、歩道のあるところまで戻るかである。この日は何度も歩道を探して戻った。丁度昼時だったので、オフィスビルからビジネスマン、OLが食事を求めて近所の食堂で列を作っていた。人混みで自転車は乗れず、押して歩く事に。明洞は近い。勝手の分かった道をクリム旅館に向かった。宿の叔母ちゃん、叔父ちゃんは元気だった。部屋も難なく取れた。料金は正月と同じ2万5千ウォン。釜山から自転車で来た話しをした。
 夜は明洞の全州屋で、石焼ビビンバに、パジョン(チヂミ)を頼み、ビールを飲んだ。自転車旅行を回想しながら飲んだビールは格別な味だった。
 走行距 44.6キロ(釜山から544.7キロ)

 8月13日 ソウル クリム旅館
 自転車旅行を終えた僕は、翌朝、山に向かった。地下鉄明洞駅前のセブンイレブンは今回も重宝していた。この日もポカリに弁当を購入。忠武路まで歩き、ここから地下鉄3号線に乗った。目指すは漢江の南の九竜山(クリョンサン)と大母山(デモサン)。東京の有楽町に韓国観光公社はある。韓国に来る前に韓国外換銀行と韓国観光公社に寄った。韓国観光公社では旅行パンフに地図などが揃っており、韓国観光地図にソウル市全域図をもらってきていた。自転車旅行は韓国観光地図を頼りに来れたし、ソウル市全域図にはいくつかハイキングコースの案内もあった。
 地下鉄3号線終点のスソ駅で下車する。電車賃は450ウォン。地下鉄車内では、実演販売の物売りがいて、大きな声で商品説明し、これがまた結構売れていたりするからびっくりだった。
 スソ駅を出て南に向かって歩き出す。前線が南に下がり、大田以南は雨であったが北のソウルはいい天気。久しぶりに降られなかった。炎天下で歩き回り汗びっしょり。駅から数百メートルほど行くと目的の大母山が見えてきた。さて、問題はとりつきの登山口が分からないこと。適当に尾根に取りつくも蜘蛛の巣だらけで行き止まり。結局来た道をスソ駅まで戻り、一つ手前のイロン駅まで歩いた。鉄塔が見えるあたりが大母山の山頂の様だ。スソ団地の脇の道を行くと公園手前に明瞭な登山道があった。登山道は林道の様に広く、登山ルートを示す看板があった。今度は大丈夫そうだ。いくつかのハイキングコースがあり、結構な人が往来していた。団地から少し登っていくとお寺があり、ポクポクと木魚の音が響いていた。皆さん真剣な面持ちで手を合わせていた。寺の脇には湧き水が出ており、ポリの入れ物を持った人が行列を作っていた。この旅、スポーツサンダルに短パン、Tシャツという恰好。これくらいの山ならスポーツサンダルでも楽しく登れる。稜線近くなり人の声が聞こえた。人影が見え鉄塔脇に出た。大母山山頂はそこから百メートルほどだった。九竜山を目指し尾根伝いに歩く。300メートル程の山だが、堂々とした山容で驚かされる。ヘリポートのあった九竜山山頂もたくさんのハイカーで賑わっていた。ソウルには北漢山をはじめたくさんの山があり、他の山にも行ってみたい。大変な水害が起きている中であったが、天気に恵まれ、水害を忘れ山歩きを楽しめた。屋根のあるベンチでは昼寝をする人、読書をする人など様々。
 九竜山からスソ団地に向け下山する。鞍部から北に進むと湧き水の流れる休憩所があった。口に含むと美味しかった。ところが先の分岐で右か左か分からなかった。教えてもらおうと叔母さん二人が座っていたベンチに自分も腰をおろした。声をかけるタイミングを失い黙って座ると笑われてしまった。この二人、先ほど九竜山の山頂で見かけた人達だった。スソの道を聞くと、私たちも同じ方向なので一緒に降りようという事になった。足元には茶色のリスがいた。叔母さんが剥いた果物の皮を両手で持って食べていてかわいかった。スソ団地近くまで降りてくるとナス売りの行商の人が居て、立ち話をするので、脇で待つことに。そしてスソ団地に戻れた。叔母さんの車が留めてあり、乗っていきなさいとの事だった。スソ駅まで送って頂き、お礼を言って別れた。日韓では様々な政治問題が時として問題になる、しかし街の人々のやさしさ、思いやりは日本と一緒だと感じた。

 8月14日 ソウル テウォン旅館
 真夜中3時頃の事だった。泊まっていたクリム旅館の部屋のドアを激しく叩く音で目を覚ました。ドアの向こうで怒鳴り声が聞こえた。何が起きているのか、さっぱり分からなかったし、恐ろしかった。ドアを叩き続けられていたため、恐る恐るドアを開けた。そこには怖い顔をした男が5名ほど仁王立ちしていた。「ポリスマン」「パスポート」。よく見ると確かに警官の恰好をした男がいた。パスポートを渡すのはさすがに抵抗があったが、見せたらすぐに返してくれ、そのまま扉を閉めた。布団に戻っても今起きた事が理解ができずにいた。翌朝、クリム旅館の叔父さんに聞いてみたら、指名手配者を追っていたと事だった。それにしても迷惑な話である。
 地下鉄5号線に近い大元(テウォン)旅館に移動した。たぶんソウルで一番安い。シングルもある様だが、ほとんどはドミトリーで7千ウォンだ。トイレ、シャワー兼用で、汚いけど、これが楽しかった。世界中からのバックパッカーがたくさんいた。自転車を押して中庭に入ると注目の的。聞くと数日前も釜山から自転車で来た日本人3人が居たようだ。その3人は日本で買ったママチャリを分解しないで、そのまま船に乗せたらしい。税関も押して通ったとの事。その3台の自転車が旅館中庭に置いてあった。置いて帰国した様だ。日本、台湾、フィリピン、スウェーデン、スペインの人達がいた。さすがに日本人が多く、日本人5人で焼き肉を食べに行った。皆頼もしい人たちばかりで、大いに刺激をもらえた。

 8月15日 金浦空港=成田=秩父
 大韓航空は夕方便のため、午前中ゆっくりできた。昨日夜遅くまで話をしていたので、朝は眠かった。皆とお別れし、宿を出発。
 分解して輪行袋に入った自転車は地下鉄駅まで運ぶのが大変。地下鉄駅では、輪行袋を手荷物で持ち込めるか心配だったため、駅員さんに聞いた。確認してもらってOKとなった。光化門駅から金浦空港まで30分ほど。随分早くに空港に着いてしまい時間を持て余した。

 街から街へ、峠を越え、海岸線を田園地帯を毎日自転車で旅をした。いわゆる観光地には行かなかった。流れる景色、懐かしい感じの田舎の原風景、カルビの味、宿の叔母さんの優しさと笑顔。韓国にどっぷり浸った12日間だった。何もかも新鮮で、楽しかった。
 自転車旅行は初めてであった。輪行袋に自転車を分解し梱包するのも初めての体験であった。自転車はトラブル続きで、大変な目に何度もあった。しかし、旅を終えたときの充実感や達成感は尊いものに感じたし、もう終わってしまったという寂しさもあった。

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