記録ID: 31004
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無雪期ピークハント/縦走
北アメリカ
ハワイ オアフ島 ダイヤモンドヘッド山
2005年05月30日(月) [日帰り]
- GPS
- --:--
- 距離
- 4.4km
- 登り
- 212m
- 下り
- 212m
コースタイム
1時間くらいで登れる。
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2005年05月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
お正月の年賀葉書で一等ハワイ旅行が当たってしまった。野暮と知りつつ煩悩島ハワイに、一家ででかけた。まーは生後半年。"Oh beautiful baby".と、外人のおばさんに言われたのが思い出深いな。時間があればハワイ島4000mと行きたかったが、4日間と短かったので、ダイヤモンドヘッドと真珠湾に撃沈している戦艦アリゾナを見学した。 ワイキキ海岸の東のはずれにある巨大噴火口のダイアモンドヘッドは標高300弱。ベンチャーズの「ダイヤモンドヘッド」をテケテケテケテケと口ずさみながら路線バスに乗って出かけた。バス停で降りてトンネルを歩いて抜けるとクレーターの中に、陸軍の基地がある。高さも函館山と同じくらいだが、海岸線を見下ろす役目も函館山と同じ。さらには、1900年前後に作られた要塞である所がまた、時代も含めて函館山と同じ。当時の戦法は高台に砲台を作り、上陸海兵に上からぶっ放す。飛行機のない時代の共通の陣地だ。 アメリカによるハワイ併合は1898年、日本が日清戦争に勝って台湾を併合したのが1894年。1904年に始まる日露戦争に備えて、函館山に津軽海峡要塞を作った。どちらも山の上に砲台を築いて陣地にした。狭いトーチカ、螺旋階段と、よく似ている。ただ、要塞の作りは函館山の方が出来が良い。石の壁の緻密な積み方は100年経った今も十分使える強さを持っている。アメリカがハワイを無理矢理ぶんどった時代、日本も台湾を無理矢理ぶんどった。どちらも既に在野では中華系、日系の移民が多数いた。先住民はそのころから居場所を無くしていた。こんなわけで台湾とハワイは緯度も近く、いくつかの共通項がある。 同時代の要塞として、樹林青々の函館山に比べ、ここは砂漠の砦のように崖だらけでのどが渇く。硫黄島のトンネル要塞ってこんな感じかな。山頂は狭い見張り台の様な場所で、噴火口壁の山稜は結構急で細い。ワイキキの高層ホテル群を見下ろし、海が愛おしく青い。眺めのいい山だ。真珠湾攻撃の朝ここで歩哨に立った砲手は為す術も無かったろう。1945年7月14日、函館市街と造船所を機銃掃射したグラマンの群れにも為す術が無かったように。そのころの函館山砲台には弾の一発も残っていなかったそうだ。大砲はすでに満洲の東部戦線へ運ばれて。既に時代は航空機戦、20世紀初頭の要塞はわずか40年ほどで牧歌的な基地になっていた。 重さ8キロのまーは登りはじめで眠ってしまい、降りてくる頃目を覚ました。カメは山麓の屋台で青いシロップの山盛りのかき氷を買い求めた。草の上で腰を降ろしてまーのおむつを替えていると、カーディナルという頭の赤い鳥が近くに来た。 |
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コメント
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yoneyamaさん、コメントありがとうございます。中学生のかわいらしい写真も拝見しました。
私も3泊5日39800円という、激安でハワイに行きダイアモンドヘッドに行きましたが、観光地
なんでなめてまして、パンプスでいき、えらい急勾配と階段と暑さでまいったーという記憶が・・・・今思えば立派な登山でした。でも上から見た海の青さは、のぼりの苦労も吹っ飛ぶ美しさでしたね。
少し前、両親がハワイ島の別荘地に老後住もうと計画していましたが、いよいよ体が悪くなったら、病院とか、いろいろ困るということであきらめました。そのままハワイの家は私がもらおうとたくらんでいたのに失敗です。
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