内路の交差点を出発
0
4/27 9:52
内路の交差点を出発
首都高・馬場IC横を右に入ります
0
4/27 9:58
首都高・馬場IC横を右に入ります
ゴミ置き場の横に第一高札
0
4/27 10:00
ゴミ置き場の横に第一高札
寺尾稲荷道。旧東海道から大山参りの近道として賑わった道だそうです
0
4/27 10:00
寺尾稲荷道。旧東海道から大山参りの近道として賑わった道だそうです
少し進むと交差点の角に青面金剛合掌立像
0
4/27 10:02
少し進むと交差点の角に青面金剛合掌立像
青面金剛合掌立像は1764年のものだとか
0
4/27 10:02
青面金剛合掌立像は1764年のものだとか
交差点を直進すると突当りの民家に高札
0
4/27 10:05
交差点を直進すると突当りの民家に高札
湾前。1500年ほど前はこの辺りまで海だった?
0
4/27 10:05
湾前。1500年ほど前はこの辺りまで海だった?
湾前から左に折り返すように進むと馬場地域ケアプラザ
0
4/27 10:07
湾前から左に折り返すように進むと馬場地域ケアプラザ
ケアプラザ先を右折。しばらく進むと元禄九年の庚申塔
0
4/27 10:15
ケアプラザ先を右折。しばらく進むと元禄九年の庚申塔
北寺尾郵便局前を左折、北寺尾7BSを右折すると公園のそばに高札
0
4/27 10:22
北寺尾郵便局前を左折、北寺尾7BSを右折すると公園のそばに高札
上遠牡丹園。といっても牡丹園は既になく
0
4/27 10:22
上遠牡丹園。といっても牡丹園は既になく
コンクリート造りの上遠邸が残されているのみ
0
4/27 10:25
コンクリート造りの上遠邸が残されているのみ
坂の突当りを右折、道なりに階段を下ると馬場赤門公園に綿内谷の高札。この辺りに綿打ち職人の家があったとか
0
4/27 10:35
坂の突当りを右折、道なりに階段を下ると馬場赤門公園に綿内谷の高札。この辺りに綿打ち職人の家があったとか
その先には立派な馬場の赤門
0
4/27 10:36
その先には立派な馬場の赤門
江戸時代の名主屋敷の長屋門で1855年に建てられたものだそうです
0
4/27 10:37
江戸時代の名主屋敷の長屋門で1855年に建てられたものだそうです
馬場花木園に寄り道
0
4/27 10:41
馬場花木園に寄り道
四季の花々で彩られる花木園。池の淵にはアヤメが咲いていました
0
4/27 10:43
四季の花々で彩られる花木園。池の淵にはアヤメが咲いていました
ツツジはそろそろ終わりかな
0
4/27 10:53
ツツジはそろそろ終わりかな
江戸末期から明治初期に建てられた旧藤本家住宅の主屋。大正2年、ここに移築されたそうです
0
4/27 10:54
江戸末期から明治初期に建てられた旧藤本家住宅の主屋。大正2年、ここに移築されたそうです
花木園を出て東側の丘に上がります
0
4/27 10:57
花木園を出て東側の丘に上がります
丘の上の道に高札。馬のメド坂です
0
4/27 10:59
丘の上の道に高札。馬のメド坂です
馬の背のようなこの坂の入口を馬のお尻になぞられたようです
0
4/27 10:59
馬の背のようなこの坂の入口を馬のお尻になぞられたようです
馬の背を進み、馬場三丁目で水道道に合流します
0
4/27 11:04
馬の背を進み、馬場三丁目で水道道に合流します
鶴見貯水池前交差点手前、下り坂の角に小さな道標
0
4/27 11:08
鶴見貯水池前交差点手前、下り坂の角に小さな道標
大正15年11月に建てられたものです
0
4/27 11:08
大正15年11月に建てられたものです
目視では読めますが、写真は無理ですね
0
4/27 11:09
目視では読めますが、写真は無理ですね
鶴見貯水池前交差点角には馬頭観世音像
0
4/27 11:09
鶴見貯水池前交差点角には馬頭観世音像
文化2年(1805)に建てられたものとあります
0
4/27 11:09
文化2年(1805)に建てられたものとあります
水道道を進み寺尾地域ケアプラザ前を過ぎると
0
4/27 11:16
水道道を進み寺尾地域ケアプラザ前を過ぎると
国道1号線を跨ぐ響橋交差点
0
4/27 11:17
国道1号線を跨ぐ響橋交差点
橋の袂に享保元年(1716)の庚申塔。高札は修理中
0
4/27 11:18
橋の袂に享保元年(1716)の庚申塔。高札は修理中
水道道を戻るとお店の角に高札
0
4/27 11:19
水道道を戻るとお店の角に高札
安政8年(1771)に建てられた心願地蔵
0
4/27 11:19
安政8年(1771)に建てられた心願地蔵
鶴見貯水池前交差点手前まで戻り、マンション横を南に下ります
0
4/27 11:26
鶴見貯水池前交差点手前まで戻り、マンション横を南に下ります
坂を下って行くと交差点右側に馬場谷戸庚申地蔵供養塔
0
4/27 11:29
坂を下って行くと交差点右側に馬場谷戸庚申地蔵供養塔
疫病・盗賊などの災い除けに享保19年(1734)建てられたもの
0
4/27 11:29
疫病・盗賊などの災い除けに享保19年(1734)建てられたもの
丘の上には昭和12年に建築され、ねぎ坊主の愛称で親しまれる高さ約26mの鶴見配水塔
0
4/27 11:31
丘の上には昭和12年に建築され、ねぎ坊主の愛称で親しまれる高さ約26mの鶴見配水塔
道なりに進み上寺尾小学校に突き当たると、少し右に田中弁天
0
4/27 11:35
道なりに進み上寺尾小学校に突き当たると、少し右に田中弁天
農民が稲作の豊穣を祈願して弁財天座像を祀ったものだそうです
0
4/27 11:35
農民が稲作の豊穣を祈願して弁財天座像を祀ったものだそうです
上寺尾小学校前を南下しバス通り手前を左に入って宝蔵院へ
0
4/27 11:38
上寺尾小学校前を南下しバス通り手前を左に入って宝蔵院へ
門前には1688年の庚申供養塔(右)、1721年の巡拝成就供養塔(左)が並びます
0
4/27 11:39
門前には1688年の庚申供養塔(右)、1721年の巡拝成就供養塔(左)が並びます
鎌倉時代以前の草庵とされる立派な愛宕山宝蔵院
0
4/27 11:40
鎌倉時代以前の草庵とされる立派な愛宕山宝蔵院
宝蔵院前を東へ、東芝馬場町コーポの先の階段下に愛宕坂の高札
0
4/27 11:46
宝蔵院前を東へ、東芝馬場町コーポの先の階段下に愛宕坂の高札
寺尾小学校入口交差点を越え、寺尾小学校手前を右に入ると成願寺跡。高札は修理中
0
4/27 11:53
寺尾小学校入口交差点を越え、寺尾小学校手前を右に入ると成願寺跡。高札は修理中
更に西に進むと鍛冶屋敷跡の高札。寺尾城があった当時、刀や馬蹄金具などを造っていたとか
0
4/27 11:56
更に西に進むと鍛冶屋敷跡の高札。寺尾城があった当時、刀や馬蹄金具などを造っていたとか
南側の丘の上、白幡公園を回り込むと白幡神社の鳥居横に高札
0
4/27 12:02
南側の丘の上、白幡公園を回り込むと白幡神社の鳥居横に高札
麻をつくらない村?氏神様が麻の葉で目を傷め、寺尾村ではそれ以来麻作りを遠慮しているとか
0
4/27 12:02
麻をつくらない村?氏神様が麻の葉で目を傷め、寺尾村ではそれ以来麻作りを遠慮しているとか
白幡神社の祭神は寺尾城主諏訪氏が永享7年(1435)に足利尊氏を勧請したもの
0
4/27 12:03
白幡神社の祭神は寺尾城主諏訪氏が永享7年(1435)に足利尊氏を勧請したもの
白幡神社を西に下り北進すると澤野家の門の横に高札
0
4/27 12:08
白幡神社を西に下り北進すると澤野家の門の横に高札
澤野家は江戸時代から続く旧家で白幡神社の麓にあるところから宮の下の屋号で呼ばれていた
0
4/27 12:08
澤野家は江戸時代から続く旧家で白幡神社の麓にあるところから宮の下の屋号で呼ばれていた
更に北進。東高校のグランド下には二つの高札が並んでいる
0
4/27 12:12
更に北進。東高校のグランド下には二つの高札が並んでいる
庚申塔の高札には、右は元文元年(1736)の廻国塔。中央は享保10年(1725)の舟形地蔵の庚申塔とある
0
4/27 12:12
庚申塔の高札には、右は元文元年(1736)の廻国塔。中央は享保10年(1725)の舟形地蔵の庚申塔とある
隣の高札はデイダラボッチ。丸い窪地を巨人の足跡に見たててこう呼んだそうです。聞き覚えがある名前です
0
4/27 12:13
隣の高札はデイダラボッチ。丸い窪地を巨人の足跡に見たててこう呼んだそうです。聞き覚えがある名前です
バス通りを渡り、せせらぎ歩道を少し歩いてみました
0
4/27 12:15
バス通りを渡り、せせらぎ歩道を少し歩いてみました
南側の丘の上、松陰寺に向かう坂が赤坂。東寺尾の人達には子安・大口に向かう唯一の街道でした
0
4/27 12:20
南側の丘の上、松陰寺に向かう坂が赤坂。東寺尾の人達には子安・大口に向かう唯一の街道でした
松陰寺/東寺尾ふれあいの樹林沿いの道を進むとフェンスの間に子の神様。高札が見当たりません
0
4/27 12:26
松陰寺/東寺尾ふれあいの樹林沿いの道を進むとフェンスの間に子の神様。高札が見当たりません
ふれあいの樹林の下辺を東に進み
0
4/27 12:29
ふれあいの樹林の下辺を東に進み
一般道に出ると庚申塔の高札。北向きは霊験あらたかとされているようです
0
4/27 12:33
一般道に出ると庚申塔の高札。北向きは霊験あらたかとされているようです
東高校の正門横を入り、水道道に抜けた所にも庚申塔。
0
4/27 12:39
東高校の正門横を入り、水道道に抜けた所にも庚申塔。
享保14年(1729)11月、馬のメドに馬奉行の原家が建立し、子孫により守り続けられたもの
0
4/27 12:39
享保14年(1729)11月、馬のメドに馬奉行の原家が建立し、子孫により守り続けられたもの
水道道を内路に向かうと建功寺入口横に入江川せせらぎ緑道の高札
0
4/27 12:43
水道道を内路に向かうと建功寺入口横に入江川せせらぎ緑道の高札
山からの湧水を水源とするこの川はかつて建功寺川と呼ばれていました
0
4/27 12:44
山からの湧水を水源とするこの川はかつて建功寺川と呼ばれていました
一旦、バス通りを南に渡り、東寺尾ふれあいの樹林から続く道に戻るとハネキの高札
0
4/27 12:47
一旦、バス通りを南に渡り、東寺尾ふれあいの樹林から続く道に戻るとハネキの高札
ハネキはこの辺りの清水家の屋号。昔は入江川の水運時、この辺りで大きな船から小舟に荷を積みかえたためとされる
0
4/27 12:47
ハネキはこの辺りの清水家の屋号。昔は入江川の水運時、この辺りで大きな船から小舟に荷を積みかえたためとされる
水道道に戻り、内路BS手前から建功寺に向かう裏道に馬頭観音がある
0
4/27 12:52
水道道に戻り、内路BS手前から建功寺に向かう裏道に馬頭観音がある
何時、誰が建てたのかは定かでないようだ
0
4/27 12:52
何時、誰が建てたのかは定かでないようだ
すべての高札を巡り、内路バス停に無事帰着
0
4/27 12:53
すべての高札を巡り、内路バス停に無事帰着
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する