20210515-人が少ない市街地散歩-味泥川
![情報量の目安: S](https://yamareco.info/themes/bootstrap3/img/detail_level_S2.png)
- GPS
- 00:51
- 距離
- 4.0km
- 登り
- 61m
- 下り
- 40m
コースタイム
- 山行
- 0:47
- 休憩
- 0:04
- 合計
- 0:51
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年05月の天気図 |
アクセス | 徒歩 |
コース状況/ 危険箇所等 |
すべて市街地の街路です。 |
写真
写真向かって右前方の高い建物は、阪神電車深江駅の南側のマンションです。
要玄寺川は、この写真の左後方から南東に流下してここで東に向きを変え、高橋川に流れ込むまで横川(当地では東西方向の流れの川)になっています。
今日は、味泥川の雨水幹線、雨水路を辿って、味泥川の上流を探してみます。
その道路の北側は、コンクリート舗装された歩道で、暗渠であることがわかります。
この道は、味泥川と要玄寺川をその合流部で乗り越えるために、少し上がっているようです。
兵庫県の高橋川水系河川整備計画にある高橋川流域図では、味泥川雨水幹線の上流端はこのあたりになります。
しかし、雨水マンホールの南北の並びは、この写真の正面の北行き路地に続いていますので、辿ってみます。
前方、北へ続く道の左側は、コンクリート舗装の歩道で、雨水路の蓋になっています。
写真左下の雨水マンホールは、南北の道からずれていますので、本山雨水幹線のものでしょうか。味泥川の名残らしいこの南北の雨水路と東西の本山雨水幹線の関係は、わかりません。
雨水路はここを北へ続いているようです。
ここで雨水路を追うことはできなくなりましたので、味泥川ならその上流になると思われます本山第一小学校の北へまわってみました。
写真正面奥が天上川公園になります。
この写真の向かって左側(西)が昔は字(あざ)山田、右側(東)が字西山田で、味泥川は、字西山田の山麓から流れ出ていたということです。
現在は住宅地になっているこの写真の右側のどこかが味泥川の始まりだったのでしょう。
装備
個人装備 |
携帯型情報通信端末(スマホ)
不織布マスク装用
|
---|
感想
東灘区内の昔の川の名残を探す一環、今日は、夕方の空き時間に味泥川を探索してみました。
参考にしましたウェブ記事
思いつくまゝの記 神戸の河川(味泥川) 2017/01/09 00:16
http://seichan232.blog.fc2.com/blog-entry-4028.html
この方と同じ所を辿りました。
本山第一小学校の中を昔は水路が通っていたこと、今日辿った雨水路の各所で昔は地上に露出した溝だったことが記されています。
味泥川の名残の雨水路が JR 神戸線(東海道本線)をくぐる所、JR の橋梁の名前は五反田橋梁といい、道路用(水路兼用)であることを紹介していますが、その出典は、次の論文にも見られます。
小野田滋.阪神間 ・京阪間鉄道における煉瓦 ・石積み構造物とその特徴.土木史研究 第20号2000年5月
https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalhs1990/20/0/20_0_269/_pdf/-char/ja
271 ページ(3 ページ目)の表の一番下にあります。
高橋川水系河川整備計画 平成24年4月 兵庫県
https://web.pref.hyogo.lg.jp/ks13/documents/110ktakahashi.pdf
味泥川雨水幹線の位置が示されています。
本山村(兵庫県)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%B1%B1%E6%9D%91_(%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C)
北畑字西山田に発して大字北畑を過ぎるのが味泥川とあり、北畑墓地のあたりに発して、明治時代は今の福井池公園の北側の道を東流する横川だった天上川に流れ込んでいたということです。
本山村字別地區圖
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%B1%B1%E6%9D%91_(%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C)#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E6%9C%AC%E5%B1%B1%E6%9D%91%E5%AD%97-%E7%9D%80%E8%89%B2-.jpg
本山村史に収載されているもので、明治時代の字限圖によるものだそうです。
鉄道と国道 2 号は、後から書き入れられたということです。
西山田の西の字の上あたりが、北畑墓地にあたるようです。ザフクゲ原は保久良神社の南側の山の斜面です。
西山田と山田の間が、阪急電鉄岡本駅の東側の踏切から天上川公園に登る道にあたります。
今昔マップ
明治 43 年ころ
https://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=34.727307&lng=135.280527&zoom=17&dataset=keihansin&age=0&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2
明治 43 年ころの地図による今昔マップでは、現在の味泥川雨水幹線が要玄寺川(現在と同じ位置)に流れ込んでいる流路に一致した川か水路が描かれています。この水路の上流端は、しかし、旧西国街道(現国道 2 号)で途切れています。
Wikipedia の記述とは、天上川、要玄寺川への接続の仕方が異なっています。
北畑とその西側の田邊との間は、等高線では谷になっていて、谷の源頭はちょうど北畑墓地のあたりです。
昭和初期
https://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=34.727307&lng=135.280527&zoom=17&dataset=keihansin&age=2&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2
味泥川雨水幹線にあたる水路の上流は、本山第一小学校の南東の十字路まで続いています。
1948 年の航空写真でも、現在の味泥川雨水幹線の位置に水路があり、要玄寺川に流れ込んでいるのが見えますが、上流側は国道 2 号線で途切れて、そこより北へは追うことができません。
++++++++++
味泥町
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%B3%E6%B3%A5%E7%94%BA
神戸市灘区に味泥町があり、味泥 = みどろ = みとろ = 深泥、ということで低湿地を指すのだそうです。
東灘区の味泥川は、最初は横川だった天上川に流れ込んでいたこと、横川の天上川は江戸期にすでに度重なる氾濫により付け替えが望まれていたこと、天上川の名前の由来は天井川で、横川だった時代、つまり、昔の荘園制、条里制によって横川になって以来、いずれかの時代には堆積によって天井川になっていて、氾濫を繰り返していた、つまり、低湿地と天井川という地形だったのではないかと推察されます。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する