奥多摩ハート型縦走(酉谷避難小屋泊で酉谷山周回)
- GPS
- 10:04
- 距離
- 27.9km
- 登り
- 2,683m
- 下り
- 2,711m
コースタイム
- 山行
- 4:32
- 休憩
- 0:22
- 合計
- 4:54
- 山行
- 4:27
- 休憩
- 0:27
- 合計
- 4:54
2日目: 酉谷山避難小屋 05:04 - 05:05 酉谷峠 05:08 - 05:20 酉谷山 05:21 - 05:38 行福のタオ - 06:10 滝谷の峰 06:11 - 06:14 滝谷の峰ヘリポート 06:15 - 06:33 水松山 06:47 - 07:01 梯子坂ノ頭 - 07:09 梯子坂ノクビレ - 07:26 ナギ谷ノ頭 07:27 - 07:40 天祖山 - 07:43 会所 07:44 - 07:52 唐松平 07:54 - 08:10 祠跡 08:11 - 08:14 大ナラノタワ - 08:36 大日大神 08:37 - 08:38 ロボット雨量計 - 09:09 天祖山を経て雲取山登山口 - 09:11 八丁橋 - 09:41 鍾乳洞バス停 - 09:45 観光用公衆トイレ - 09:53 稲村岩を経て鷹ノ巣山方面登山口 09:54 - 09:58 ゴール地点
天候 | 晴れ時々ガス |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
20台くらい駐車可能、その他にも有料の駐車場(本当に有料かは不明)など駐車スペースはいくつかある。トイレは東日原のバス停付近にあります。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
登山口〜一杯水避難小屋あたりまでは急登でした。一杯水の水場はホースが外れていたので、手直ししたところ、水が汲める程度の水量はありました。 一杯水から先は傾斜も緩み歩きやすい尾根道となりました。 酉谷避難小屋はトイレ(バイオ)、水場、小屋内すべて綺麗でとても快適に過ごすことが出来ました。小屋内にはマットや毛布もあります。キャパは四人を越えると土間に寝る必要がありそうです。 酉谷山から天祖山までの道はアップダウンがある縦走路となります。特に天祖山直下は急登となります。 やや道が不明瞭なのでGPS、地図、踏み後を確認しながら慎重に。 最後は林道を歩いて、日原の集落まで帰ることが出来ます。 |
その他周辺情報 | 温泉:もえぎの湯(日帰り850円) 食事:瑞穂の丸亀製麺 |
写真
装備
MYアイテム |
りょう
重量:-kg
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個人装備 |
防寒着
雨具
靴
ザック
昼ご飯
行動食
非常食
飲料
地図(地形図)
コンパス
笛
計画書
ヘッドランプ
予備電池
GPS
ファーストエイドキット
常備薬
日焼け止め
保険証
携帯
時計
タオル
ストック
カメラ
|
感想
どこかの沢に・・・と言いたいとこだが残念ながら梅雨の時期。
ころころと変わる天気予報に振り回されっぱなし。
先週も北岳の白峰三山縦走が雨天中止となり鳥海山の登山となった。
今回は酉谷山避難小屋を使用した奥多摩ループとした。(決めたの当日)
転進の際いつも使用していなかった計画を引っ張ってくることからも計画を立てておく重要性を再認識。
計画をストックしとくことで転進も簡単にできるんだなぁ・・・。
しかも前日の午後に1名誘ったら追加参加表明の方がでて3名で行くこととした。
夜発だったので前日にスーパーで炊き込みご飯元、鍋の具材などを購入。
※3名とも自炊スキルが壊滅的だったので鍋の具材はカット野菜の具材で済ます。
朝は八王子ラーメンの袋ラーメンを購入したが高級(1袋150円)なだけあって乾燥野菜の刻み玉ねぎが入っており、麺も生めんタイプでおいしかった。
全国的に雨模様ということで、以前見送った奥多摩の避難小屋縦走を決行しました。
予想外の猛暑&接待登山(食料、水、共同装備ぼっか)で序盤の急登で一気にバテましたが、傾斜が緩むと調子も上がり、奥多摩らしいロングコースを楽しむことが出来ました。(荷物が重すぎて、トレーニングにもなったかな、、、)
バリエーションルートや獣道が多数あり、道はやや不明瞭なのでこまめに現在地を確認することを推奨します。
酉谷避難小屋は水場、トイレ、小屋設備ともに完璧で、沢登などでもまた使いたいと思いました。
夜は早々に宴会を開始し、快適な避難小屋泊となりました。
避難小屋を繋いで、奥多摩のマニアックルートを攻めるのも良いなぁ。。釣りも沢も楽しめそうです。
PS
天祖山の朽ちた神社が気になったのでインターネットで調べてみました。以下は抜粋。
・江戸時代は白石山と呼ばれていた山で、明治以降「天学教」の霊山となり、山名が天祖山に変更された。
・山頂に天祖神社が祭られ、その表参道には大日神社が鎮座(現在は荒廃)しており、今でも8月上旬の礼祭日には信者による登拝が行われている。
・登拝コース(我々が下山したコース)は奥多摩屈指の急登らしく不人気であるとのこと。
・天学教は明治初年に新しく興った、農民救済に重きをおいた宗教。
・教祖の服部国光は1847年2月神奈川県の荏田生まれ。十代半ばで修行に入り、奥多摩の白石山(今の天祖山)で荒行を行い、二十代の若さで天学教を開いた。
・ 最盛期の明治後期から大正時代にかけては信者十数万を擁した天学教だが、昭和になり戦後の神道離れ、周辺の都市開発により、信者のほとんどが農業を放棄してしまい、農民救済に重きをおいていた天学教は、次第に衰えていった。
参考URL
https://www.yamarepo.com/000/tensozan.html
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