高山城山
- GPS
- 05:15
- 距離
- 10.4km
- 登り
- 202m
- 下り
- 206m
コースタイム
天候 | 雨後曇り後晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
整備された公園の道 |
写真
感想
夜明け前は激しい降り方だった。雨が止んだので出発したが2分も歩くと再び降り出した。街中歩きが殆どなので傘を差して先ずは高山陣屋に立ち寄った。勿論開門は未だで門前では朝市の準備の真っ最中だった。宮川を渡り城山の南端に回り込むように歩いて厳かな参道の日枝神社に立ち寄った。石段を歩み拝殿に達すると樹齢1,000年の杉の大木がどんと鎮座していた。南東側には富士社の立派な社殿もあり参拝した。雨が激しく降り出し拝殿の屋根の下で雨宿りをした。小降りになり歩き出し南側の谷間の登山道から稜線に達した。山頂域は城山公園として整備されていて城山(681m)山頂に達すると本丸跡で案内板が設置されていた。
案内板によると文安年間に飛騨の守護代多賀出雲守徳言によって築かれた。当時は天神山城と呼ばれていた。天正13年7月秀吉の命を受けて侵攻した金森長近が飛騨一国を賜り居城としたと云う。臥牛山、巴山の別名もある。北に向かって二の丸、三の丸と続き、三の丸は略平地で、護国神社が鎮座している。街中に入り北に進むと馬場町にクラッシックな建物があり、何だと思ったら高山市の図書館だった。松本市にある開智学校を思わせる建物だった。鉄炮町で高山祭の屋台が格納された倉庫を見て再び山に入って行った。
車道続きで古びた高山観光ホテルがあり、感じのいいカフェの前を通り北山公園に達すると軍人墓地があり先端部に鮎崎城址の案内板があった。これによると天正13年秀吉が佐々成政討伐のため越前大野城主金森長近に南西にある松倉城を攻めた際に築いた城と云うことだ。この戦いで功績のあった金森氏は飛騨の国を与えられ先程行った高山城を築いて居城とした。カフェまで戻り市街へと下ると高山祭屋台会館があり隣にある桜山八幡宮に立ち寄った。一旦宿に帰り朝食を取りお風呂で汗を流しチェックアウトした。
車は置いたまま割引券を持ってきた日下部民芸館に足を延ばした。宮川沿いに北上すると10時を回っていたがまだ朝市をやっていた。日下部民芸館は国指定の重要文化財で天領時代の御用商人として栄えた商家屋号を谷屋と云った。明治8年の大火で焼失し、明治12年に現在の建物が建てられたそうだ。敷地面積は518坪、床面積は土蔵まで合わせると356坪もあると云う。
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