記録ID: 35198
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ハイキング
栗駒・早池峰
トホレコ(日本縦断徒歩旅行の記録)21・仙台へ。
2006年08月19日(土) 〜
2006年08月22日(火)
- GPS
- 80:00
- 距離
- 64.7km
- 登り
- 318m
- 下り
- 316m
コースタイム
8/19 女川〜石巻〜鳴瀬川
8/20 鳴瀬川〜松島〜多賀城
8/21 仙台滞在(風雲!Crane城)
8/22 仙台滞在(ネット難民)
8/20 鳴瀬川〜松島〜多賀城
8/21 仙台滞在(風雲!Crane城)
8/22 仙台滞在(ネット難民)
過去天気図(気象庁) | 2006年08月の天気図 |
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アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
8/19 定期船の待合室が開いたので、中でカップめんなどすすって朝食とする。例の如くのびのびのカレーヌードル。7時頃までうだうだしていたが、何時まで此処にいてもしょーがない。諦めて重い腰を上げる。丁度いいことに、またしても洗濯物が溜って来たところなので、コインランドリーで洗濯などしつつうたた寝すればよろしかろう、などと思う。 万石浦のぼんやりとした景色を左手にみやりつつ、せまっ苦しい道を歩いていく。今日も風景は深い霧の彼方だ。湖のやうにも見えるが、ここは一応海になるのかな。海苔かなんかの養殖を盛んに行っているやうだった。 石巻の市街に突入する前にてきとーなコインランドリーを見つけて洗濯タイム。近所には中学だか高校だかがあって、グランドではサッカー部の試合がはじまりそうな気配。僕も高校時代まではサッカー少年だった。自称プラティニを標榜していた懐かしい時代である。洗濯の終わるまでの間、サッカーを見て暇を潰す、なんてのも仲々オツなものであるとは思ったのだが、いかんせん眠すぎる。それに試合も始まりそうで始まらない。敢えなくコインランドリーのソファーで小一時間爆睡。ふと目覚めると、隣に座っているオッチャンが、熱心にエロ本を読んでいた。 荷をまとめて出発すると、サッカーの試合は始まったと見えて、グラントの方からわぁわぁいう声が聞こえてくる。しかし、今さら見る気はしないね。 石巻で海岸に出てみる。「日和山公園」とかいうんじゃなかったかな。あまり綺麗とは言えない砂浜だが、ちゃんと整備されていて、若者達などわぁわぁ言って遊んでいる。今日は眠いし、ここで泊まってしまっても良かったのだが、なんとなくもう少し歩いてみることにする。 くさやの干物みたいな臭いのする、石巻漁港の殺伐とした倉庫街を抜けて、旧北上川の河口に架かる大きな橋を渡って行く。北上川には二つの河口があって、こちらが「旧」という事は先日泊まった河口は新しく出来たものなのだろうか。ひょっとして人為的に川の流れを変えたのかもしれないが、そのへんの事情はよく分からない。眼下の川面には色々な船が行き交っている。観光船と覚しき船もやって来る。妙ちくりんなデザインではあるが、煤けてブルージーな風情を醸し出している、と言えなくもない。正面には製紙工場の煙突。なんか、殺伐としてるなぁ。 国道45号線を矢本へと進んで行く。道の両脇には郊外型の量販店や、車の販売店、コンビニ、ファミレスなどが変わり番こに立ち並んでいる。つまらん。車社会の権化のやうな風景だ。煌びやかではあるが、没個性な街並みが何処までも続いている。それにしても眠い。 地図で見ると、矢本海浜緑地というところが野営に適しているやうだが、間に自衛隊の敷地があるせいか、海岸に向かう道がはっきりしない。はじめから海沿いの道を選ぶべきだったかもしれない。 鳴瀬川まで国道沿いを歩いて、川縁のコンクリートブロックの上で野営。鳴瀬の町を徘徊してみるも、食糧を調達できるやうな店が一軒もない。この辺の人はみんな矢本まで車で買い出しに行くのかもしれない。これが車社会ってやつなのかもしれない。仕方ないので小野のコンビニまで戻って買い出し。往復で一時間以上かかったかもしれない。 8/20 何を血迷ったか、鳴瀬川を上流に向かって歩き始める。なんで素直に頭上に架かる橋を渡らなかったのか、今となっては思い出せもしない。そうこうするうちに激しい便意に襲われる。うまい具合にすぐ右手の土手の下に、ガソリンスタンドの看板が見えていたので、トイレを借りに行く。急を要するのでザックは土手の階段に置いておく。危うく用を足して戻ってくると、土手のところにパトカーが止まっている。放置プレーしておいたザックの脇にはお巡りさんの姿が。比立内のお巡りさんに大変親切にして頂いたこともあって、お巡りさんというものに完全に無防備な状態。 「これは、アナタの荷物ですか。」 「へえ、さいでございます。」 「中身はなんですか。」 「テント、寝袋、炊事具などなど・・・」 「これは?」 「あ、ラッパです。」 などと根掘り葉掘り質問される。これが世に云う“職務質問”である。こんな所でそんなものに出くわそうとは思っていなかったので、僕としてはまだ事情がよく飲み込めない。 「旅行をしてらっしゃる?」 「へえ、札幌から歩いてまして・・・」 「じゃあ、何か身分を証明出来るものはありますか?」 「はぁ?」 このへんまで来て漸く、鈍い僕にも状況が飲み込めてくる。 「これってもしや、“職務質問”ってやつですか?」 巡査は軽く肯いたやうだが、ロクに返事もせずに黙ってこちらを見ている。死んだ魚の目だ。お巡りさんというのは、質問されるのを嫌う人種のようで。 しぶしぶとパスポートを提示しながら、もう一度聞いてみる。 「見ての通り、ただの徒歩旅行ですけど、何か問題でも?」 「家出人、という可能性もありますから。」 なに言ってるんだろうね。普通、家出人は30kgのザックを担ぐやうなガッツはないだろ。僕も学生時代にはヒッチハイクであちこちの山を登りつつ日本中をさ迷ったものだが、職質なんてものは一度も受けたことがなかった。札幌でくすぶり続けているうちに、例の9・11テロなど起きたし、世の中が物騒になったせいかもしれない。しかしこんな所で貧乏旅行者をいぢってるより他にもっとましな仕事は出来ないものなのか?できねーか。まあ、ワイロを要求されるわけでもないし、東南アジアなんかの恐い警察に比べれば、日本の警察は規律正しくて安全だよ、ってあたりで納得しとくしかあるまいな。それにしても、氏名やら現住所やら本籍地やら、警察手帳に控えられるってのはあまり気分のいいもんではない。 すぐ近くに古ぼけた橋があったので対岸に渡る。右岸側にはたいそう雰囲気のある田んぼなど広がっている。この辺の里山を越えて松島方面へ抜けれたら楽しかろうな、と思い、なんの根拠もなくこのささやかな田園風景の中にさ迷い込んで行く。三陸海岸に入ってから十日以上というもの、海と山とに挟まれたせまっこい辺りを歩いてきたので、田んぼっていうものをほとんど目にしなかった。久しぶりに平地に出てみると、稲穂はすっかり大きくなって、みんな恭しく頭を垂れている。風にふさふさと揺られる姿がなんともお茶目だ。こりゃ、今年は豊作かな? 路傍には岩などが御神体として奉られていて、その縁起を記したユルい看板など立っている。愉快だ。やはりこういう静かな道はいい。が、案の定、山裾の辺りで道は尽きてしまう。地元の人が使う抜け道などありそうなものだが?所詮1/20万の道路地図ではそんなマニアックな道は分からない。尋ねようにも、辺りには人影もない。白昼堂々ひっそり閑として、パタパタとバッタの羽音が聞こえるばかりだ。泣きながら引返す。 野蒜へと抜ける道を行く。この辺は奥松島と呼ばれているらしい。常にくゎんこう客で賑わう本家・松島と違って、物静かでいい雰囲気のところである。素直に県道27号を伝って松島へ。途中例のモモ売りの軽トラが道端に止まっていた。今回のところは素通り。また物欲しそうな目で接近したりするのはいぢましいやうな気がしたので。麦わら帽子を被った売り子のネエチャンは、運転席でハンドルに足を乗っけて、咥え煙草で読書に夢中の御様子。 松島海岸まで来ると急に往来がせわしなくなる。すごい人出。すごい車。もの凄く場違いな感じ。あとで聴いた話だと、33年振りに秘仏を御開帳しているとかで、そのせいもあるのかもしれない。それに巷では、あの、日曜日ってゆうやつらしい。まあ、松島は今回が初めてではないし、素通りしておくにこしたことはないだらう。 もう5年以上も前の話になるが、僕は「太平洋フェリー」という船会社でアルバイトをしていたことがある。仙台と苫小牧を往復する便のレストランの厨房で皿洗いをしていたのである。一度乗船すれば、ひと月近くも休みもなく働き続けるという、妙なバイトであった。しかしちゃんと個室も与えられており、洋上生活は割りと気ままであった。停泊中にはラウンジのピアノをいぢって遊んだものである。今にして思えば、不安定な足場ながらも、ある意味有頂天だったひと頃のことである。(ちなみに、このヤマレコでも使っている“nezzrow”なる雅号はこの頃から使い始めたものである。2002年前後の“スイング・ジャーナル”誌のバックナンバーを紐解くものがあれば、読者投稿コーナーに“根津鼠郎”なる珍妙なペンネームの持ち主の手になるイラストの数々を見出すであらう。)そんな訳で、僕は仙台港界隈には割りと詳しいのだ。 大渋滞の松島を抜け、夕暮れ近い道を、塩釜、下馬と辿って行けばそろそろ見覚えのある街並みが現れてくる。フェリーターミナルのある多賀城まで来れば、もう庭みたやうなもんである。フェリーの停泊中には友達に自転車を借りて、隈無くさ迷い歩いたものである。駅の近くには行きつけの寿司屋まであるやうな始末。その名も「ん寿司」。ここのあなごはほんたうにうまい。大将曰く、このふざけた屋号は、「もう後がない」ということを意味しているらしい。ホントかよ。という訳で、久しぶりに「ん寿司」の暖簾をくぐってみる。多少汚らしいが、昨日着替えたばっかりだし、大目にみてもらうとしよう。大将、ちゃんと僕の事を覚えていてくれた。 したたか酔って、Tacoさんに連絡を入れてみる。Tacoさんというのはフェリーのラウンジで演奏するミュージシャンである。僕は暇さえあればラウンジをうろついていたので、Tacoさんはじめ、多くのミュージシャンの方たちと親しくさせていただいていた。Tacoさんは僕が仙台についたことを知ると、早速会いに来てくれた。このところ、糖尿病の状態がシャレにならなくなってきたそうで、医者からは入院を勧められているという。そんな訳で今夜はファミレスで軽くコーヒーを一杯飲んだ位ですぐ別れた。9月には福島の桧原湖畔でライブがあるとかで、その時にでもまた会いましょう、ということになった。多分、歩いて行くには丁度いいやうなタイミングである。 フェリーターミナルに戻って、公園で野営。この公園はだーれもいなくて、イノセントな公園である。春には見事な桜を見ることができる。フェリーで働いている時は、昼の停泊中に、よく缶ビールを持って花見をしにきたものであるが、まさか、ここで野宿することになろうとはなぁ。 8/21 例によってよく寝つかれず、そのへんをぶらぶら散歩したりして朝を待つ。コウモリがぱたぱたやってた。 昼近くまでこの公園でうだうだしてから、仙台市街に突撃を試みる。荷物は多賀城のコインロッカーにデポ。仙台級の都市には今後いつ訪れる機会があるかわからない。都会でしか手に入らない物は買い込んでおかねば。 まずはヨドバシに行ってウェストポーチを物色。これまで何度かカメラのことをあーだこーだと言って、あたかも写真にはこだわりがあるかのやうに装ってきたが、その実、僕のカメラ趣味というのはいい加減なものである。例えば、このウェストポーチ。ザックを担いで歩いている以上、カメラはウェストポーチにしまわなければならず、そういう用途の物も売られているのだが、僕はここまでごくフツーの昭和の一頃流行ったやうな奴を使っていたのである。そのくせ、レンズはズイコーじゃなきゃやだとか、単焦点じゃなきゃダメだとか、やっぱスナップには21mmサイコーとか、うるさいやうなことをいうのである。フツーのウェストポーチの何処にそんな交換レンズを収納すれというのか。我ながら遣りづらくてしょーがなかった。そのウェストポーチが丁度良く(?)大破したので、新しいものを購入してみようという事になったわけだ。カメラバックコーナーを物色してみると、ちゃんとカメラ用のウェストポーチが売られている。LOWE-ALPINEとかってメーカー物だが5000円程度と割りと手頃。両サイドに交換レンズを収納するためのポケットが付いている。いいんじゃないの。早速購入。こういうのあるんだったら最初から買っておけばよかったね。さらに富士フィルムのネオパン・プレストっていうモノクロフィルムを40本ほど購入。20本セットで買うと相当お徳になる。大体三割引くらいな感じ。 つづいてLoftへGo。薄汚ねえ徒歩旅行者の分際で、Loftだと?などと侮って貰っては困る。ファブリーズはしてないが、ちゃんと着替えもしたし、ザックさえ背負ってなければわりとシュッとした好青年なのよ、僕は。で、その好青年がLoftに何の用かといえば、ノートを物色しようというので。僕は今回の旅行で使っている日記帳についてはこだわりがあって、モールスキンと決めているのだ。モールスキンとは黒い皮張りの輸入物のノートである。かのゴッホやマティス、ヘミングウェーも愛用したという大変由緒正しい逸品である。一冊1500円位するこのノートは、長いこと僕の憧れの品であったが、今回の旅行で奮発して使ってみたのだ。いいよ、このノート。お蔭様で毎日ちゃんと日記を付けている。僕はよく挿絵を挿入したりすることから、羅線ではなくて枡目状のSquaredって奴を使っている。札幌を出るにあたって2冊ほど購入してきたのだが、この先仙台を過ぎると次にいつ買えるか分からないので、ここで購入しておこうというわけだ。モールスキンのノートはふつーの文房具屋ではまずお目にかかれないが、Loftとか東急ハンズには大概置いてある。仙台のLoftにもちゃんとあった。こんなことでもない限り、Loftには用がねえよな、俺は。 アーケードを冷やかしつつ国分町へ。国分町は札幌で云う所のススキノ、いわゆる歓楽街である。まあ、今回のところは艶っぽいことをしようというわけではなく、天下一品ラーメンでランチ。天下一品ラーメンは確か京都のお店だったと思う。京大の山岳部の連中が北海道の山に登りにくると「天一」のラーメンをお土産に持ってきたものだ。ここ仙台にも謎に2〜3軒ある。ドロドロスープが特徴のやたら重たいラーメンで人によって好みが分かれる所だが、僕は割りと好き。江口寿史の楽屋オチ的なマンガに、〆切間際なのにどーしても天一のラーメンが食べたくなって新幹線に飛び乗っちゃった、みたいのがあったな。別にどーでもいいか。 食後に一番町のジャズ喫茶、「カウント」で腹ごなし。この店はコテコテのハードバップやビッグバンドジャズばかりを容赦なく大音量でかけている由緒正すぃジャズ喫茶である。僕はmp3プレーヤーみたいな便利なものは持っていないので、音楽を聞くといえばラジヲしかない。ジャズが聴ける番組は土曜日のアバンティかセッション2006くらいなものだ。それだってFMの電波次第である。ここぞとばかりに浴びる程ジャズを堪能しておく。文字通り車軸を流すやうな、土砂降りのハードバップの嵐。面白いのは、この店のテーブル席。向かい合ってなくてみんな同じ方を向いている。その視線の先にはAltecの超巨大なスピーカー。会話なんかしてねえで黙って聴け、とでも言わんばかりだ。僕は幸いにして、オーディオ趣味みたいなものには蝕まれていないのでよく分からないが、見る人が見たらビックリするやうなスピーカーなのかもしれない。Tardo's Tempo とかっていうピアノトリオが良かったなあ。 そんなこんなで8時ころ多賀城に帰着。今夜の泊りはCrane氏の邸宅である。Crane氏はまだ30代前半の若者であるが、ちゃっかりマイホームを購入してたりする。謎の処世術を持った男だ。僕とは例の太平洋フェリー時代からの友人で、いかれたサーファー野郎なのである。フェリーで働いている時には、実にさまざまな便宜を図ってもらったものだ。ロクに勉強はしねえくせにやたら頭の切れるヤンチャ坊主ってのが世の中には存在するが、Crane氏はまさにそのタイプの男である。僕とは対極にあると言っていい。僕は自慢じゃないがテストの点数はすごく上等なのだが、頭の回転は少々鈍い。徒歩旅行なんてしてる時点で、頭悪い感じするよね。数々のサーフトリップを綴ったホームページ「波の細道」の管理人と言えば知ってる人も・・・、いねえか。もう閉鎖しちゃったみたいだしな。僕はサーフィンとはおよそ縁遠い人間であるが何故かサーファーって人達と仲良くなったりする。不思議なもんだ。世間からはぐれちゃってるあたりとか、共感するところがあるのかもしれない。 ところが今夜はCrane氏は不在。というか転勤で名古屋に行ってるらしい。でも彼女のKちゃんがいるから泊まってけばいいさ、というんで甘えさせていただいた。ふつー遠慮すんのかな、こういう場合。Crane氏ってのはその辺、おおらかな奴だし、俺もあまり気の効くほうじゃねえしな。というわけでKちゃんに迎えに来てもらって、いざ「風雲!Crane城」へ。これが割りと良い家なんだ。一体どういう処世術なんだらうね。 Kちゃんは明日は遅番だというんで、多少夜更し。これまでKちゃんとはあまり話したことがなかったが、色々話した。主に質問責めにされた。「歩いてる時何を考えているのか」とか「何故歩きなのか」とかそういった答えにくい質問ばっかり。「泉鏡花の“歌行灯”を映画化した場合、キャスティングをどうするか」とかそういうこと考えてる、などとかなりいい加減な答えしかしなかったような。実際そんなもんだからしょーがない。すみませんね。今度はもっとカッコいい旅行者と出会ってね。 8/22 今夜はなんか用事があるとかで、早々に“Crane城”を追い出されてしまった。まあ、主のいない家にそう何日も御厄介になる訳にもいかないと思うよ。ってことで荷物をまとめてCrane城をあとに、多賀城駅に荷物をおいて再び仙台市街へ繰り出す。行く宛もないが、もう一日くらい都市生活って奴を堪能したいものだ。 僕は仙台って町がわりと好きである。だいいち食べ物が美味い。仙台っていうと牛タンのイメージが強いが、それだけじゃない。三陸の海の幸がある。北海道の魚介類も美味しいが、それに引けを取らない。バラエティーの面では北海道なんかより優れてるんじゃないだらうか。例えば、穴子。札幌で美味い穴子を食べようと思ったら大変な覚悟が必要になってくるんじゃないかと思う。僕自身は札幌で美味い穴子を食べようなんて心得違いをしたことがないからよく分からないけど。そこへいくと仙台の穴子は美味い。デカくてふわふわ。先日行った“ん寿司”もそうだが、仙台では大抵美味い穴子が出てくる決まりになってるんじゃないだらうか。しかし下手に“ん寿司”の大将に 「仙台の穴子は美味いっすよねぇ」 なんてことを言うと、 「仙台のが美味いんじゃない、うちのが美味いんだ」 などと、たちどころにやり込められてしまう。気を付けなければならない。あとシャコも美味い。デカくてぷりぷりしてる。山の幸だってある。お米も美味しい。 町並みも面白い。駅前はアーケード街になってしまっているが、ちょっと郊外に出ると味わいがある。僕はかつて郊外にある“鹿落温泉”なる鉱泉宿に何日か滞在したことがある。これで「ししおち」と読む。鹿が転げ落ちたとかって言い伝えのある、川沿いの急な坂の途中にある宿だ。ここから仙台駅に向かって歩いて行くとなんとも楽しい。御霊屋橋から評定河原を広瀬川に沿って・・・などと地名にも味わいがある。気候的にも暑過ぎず寒過ぎず、丁度良いんじゃないだらうか。 そんな訳で意味もなく仙台の町をぶらついて遊んでみた。夕方、高校時代からの腐れ縁であるR.Zに連絡してみる。ロボットではない。本名のイニシャルがR.Zなのだ。とても人間とは思えんが、一応人間だ。電話が継らない。まあ急に連絡してもダメか。 仕方ないので駅ビルの中にある立ち喰いの寿司屋で独り酒と洒落てみる。この寿司屋も安くて美味い。仙台に来ると大抵立ち寄ることにしている。新入りと覚しいイガ栗頭の小僧さんが一生懸命働いている。この小僧さん、ちょっとおつむが弱くて見ているこっちがハラハラしてくる。 「はい、イサキ一丁です!」 「だから、イサキはヤマだって。」 「え?・・・あ、こちら御注文なんでしたっけ?」 「だからアイナメだって。」 って感じである。まあ、お寿司屋さんのオーダーってのは、あっちからこっちから単品でぽんぽんと飛んでくるから大変だらうね。ぐゎむばって立派な板前さんになって貰いたいものだ。他人事ながら、ホロリと涙してしまった。やけにワサビが効いてやがる・・・。 ホロ酔い加減で駅裏のネットカフェにしけこむ。今夜はネット難民だ。仙台、もう良いかなって感じだ。都市生活は金がかかってしょうがない。 |
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コメント
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これって平成の記録ですよね?
昭和の匂いがします。
(私もほんの少しですがさまよったことがあるので
思い出しました)
sakusakuさん、お久しぶりです。
ぼちぼち記述を進めております。
ヤマト復帰はもう少し先になりそうですが。
昭和の匂いがする、とのことですが、
たぶん気のせいでせう。
僕は文末表現にざーとらしく
「せう。」とか「だらう。」とかって
古くさい表記をするからではないかと想像されます。
内容は間違いなく平成も18年ほど過ぎたあたり、
21世紀もたけなわのものであります。
このやうな表現は、イラっと来る方もおられるかと
思いますが、(笑)とか絵文字とかと似たやうなものです。
どうぞお気になさらないやうに。
そんなわけで、どうぞこれからもごひいきのほどを。
先週、蔵王の山に行ったついでに仙台駅三階のお寿司通りの立ち食いでつまんできたわい。ならびは牛タンどおりだったが、やっぱ寿司でしょう。
ザックとスキー持ってあちこちいかずに済んで良かった。あそこは寿司食いながら廊下の荷物が見えるので安心だ。
ぼやぼやした件の小僧さんは仕事も飲み込んだようで、どの兄さんもちゃっちゃと働いていました。
山国そだちにゃ、うめえ寿司はたまんねえなあ・・・
そうですか、立ち食いして来ましたか。
Yoneyamaさんは仲々モノを勧め甲斐のある人ですね。
モールスキンも購入されたそうで。
あの店は一手間かけた変わりダネを安く食べれていいんですよね。
おバカな小僧さんはいなかったとのこと。
2年半も経ちますからね。立派になったのか辞めちゃったのかは分かりませんが。僕が涙したのは実は、〆にナミダ巻き(わさび巻き)を勧められたからだったりします。
そのうち、どーしても仙台〜苫小牧のフェリーに乗らねばならない事情など出来た時には、ぜひ「ん寿司」もお試しください。
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