石碑に刻まれた 望郷山(女川町)

- GPS
- 01:10
- 距離
- 1.9km
- 登り
- 218m
- 下り
- 208m
コースタイム
- 山行
- 1:11
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 1:11
過去天気図(気象庁) | 2021年11月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
「しばらく前、女川町に望郷山という名前の山があることを知った。地図にはその名が記載されていないので...」
(出典:T教官のかわいい山より)
■山頂の石碑には望郷山の由来があった
いわゆる軍国主義思想の中、当時どのような思いで名付けたのだろう?
石碑を読み進めるにつれ思いは強くなった。
石碑裏に刻された内容は以下の通りである。
(刻字近代語をそのまま現代語にしています)
「望郷山の由来」
昭和11年11月25日、日独防共協定(*1)成立を記念して職員児童、命名したる所なり。
これより道路開発に着手し、翌12年 日独伊三国防共協定締結(*2)を機とし、小祠を建て明治天皇の霊を祀る(*3)。
現在の祠(*4)は 元賞校 訓導(*5) 内田はつ?女史の寄付金と職員児童奉仕により本月完成したるものにして、
祠前 木造鳥居(*6)は昭和14年木村熊蔵氏の寄進に係るものなり。
中腹 松の植林は、青年学校・小学校の紀元2600年記念事業にして本年の補植を合し八千本あまりに達し、
別に山頂周囲に桜200本を植え(*6)、
望郷山の開発はその目的とするところ、児童の脳裡に郷土を興(あた)へ、併せて心身鍛錬の道場たらしめ、
昭和14年夏、第二高等学校科学部職員生徒登山しその風光を嘆賞して凌雲先生(*7)表記の詩を寄せられる。
深謝して之を刻す。
昭和16年6月30日
望郷山居士
女川町 阿波源吉 刻(*8)
*1
日本とドイツの間で締結された反共産主義の協定。
*2
日独防共協定、および昭和12年の日独伊防共協定では曖昧だった三国の協力関係が具体化、相互に援助するとの取り決めがなされる。
*3
今日にいたっては、*4の祠の内部に収められている。
*4
小詞を覆うようにつくられたコンクリート製の祠。
*5
第二次世界大戦前の日本の教育制度(旧制)における尋常小学校などの正規教員の職階の1つ。
*5
今日には現存しない
*6
山頂周囲には何本か古桜がある
*7
本名:有井癸巳雄(きみお) 大学長であり茶道、書家としても有名
*8
アンバ
なお、
山頂には三等三角点が設置されている。
点名:大平山(おおひらやま)
選点:明治43年5月19日
最終観測:平成23年9月6日(倒木なし)
途中、大字界(町の境の意)の杭を見ながら山を登った。
今まだその役目を担ってるのだろうか。
昔の作業道跡も同心円状にうっすら続いているようではある。
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