神童寺〜北山〜三上山☆晩秋の山背の里山を逍遥
- GPS
- 05:20
- 距離
- 19.5km
- 登り
- 913m
- 下り
- 915m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2021年12月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
午前中の京都市内での用事が思いの外、早くに終了したのでその足で軽い山行に出かけることにする。
南山城の神童寺は以前、幾度か訪れたことのあるところであるが、丘陵地を奥に入っていくと忽然と寺と門前に数件の旧家が現れ、初めて訪れた時はタイムスリップしたような趣に驚いたものだった。神童寺の先に伸びる桜峠を越える道はかつての伊勢本街道であったらしく、このあたりの旧家の雰囲気はかつての旧街道の面影を留めているように思われる。
まずは棚倉の駅から神童寺に向かう。長閑な田園を取り囲む周辺の丘陵は紅葉の盛りのようだ。道は未舗装の林道となるが、やがて少々荒れた竹藪の道になる。滅多に人が通らないのだろう、竹藪の中には靄が漂い、幻想的な雰囲気であるが、周辺で落葉を焚いた煙のせいだろう。
竹藪を抜けると茶畑が広がるようになる。作業をしておられる農家の人から「写真を撮りに来られたんですか?」と聞かれるので「いえ、神童寺へ」とお答えする。「神童寺へはこの道でいいんですか?」と聞くと「昔はこの道が本来の参道だったんだが、今はもっぱらあっちの道じゃ」と言って谷の東側の舗装道を指す。
神童寺を訪れると境内の銀杏がすっかり落葉していた。ここは立派な仏像が少なくない。本堂の大きな蔵王権現像はかなりの迫力だ。傷んではいるもの十一面観音像も
収蔵庫では収められた役行者像、一木造りの日光、月光菩薩像、明らかにかなり古い時代のものと思われる白い不動明王像などの見応えのある仏像群はいずれも幾たびの兵火を免れて残ったものであるが、かつてのこの寺の栄華と風格を偲ばせる。
寺を後に桜峠までの道を辿る。集落の奥の廃屋の前では私が近づくと数匹の猫が逃げ出す。一匹、小さな仔猫が残っていると思えば、生まれてまだ間もないのだろう、目が見えないようだった。
桜峠までは国土地理院の地図では実線で記されているが、舗装道が続いていた。峠の法面はコンクリートの擁壁となっており殺風景な雰囲気だ。峠からは尾根伝いの道は見当たらないが、南斜面をトラバースする薄い踏み跡を辿ってみると、果樹園でもあったのだろうか、忽然と斜面に切り開かれ広地に出る。
丈の低い笹が繁茂する草原状の斜面を登って尾根に乗ると、尾根上にも踏み跡が現れた。先に進むが、踏み跡はやがて南側斜面の密生した笹原の中に入っていくかと思うと、そのまま消えてしまう。周囲を見回しても濃厚な藪があるばかりだ。
再び尾根に戻り、藪を漕ぎながら進んでみる。p257が近づくとピークのあたりは竹林となる。竹林の中は笹原と同様、滅多に他の植物が見られることはない。他の植物は笹や竹の吸水力に叶わないので、成長することが出来ないのだろう。
竹林の尾根を登ってp257までは難なくたどり着くが、いざ尾根を辿ろうとすると倒竹で大変な状態だ。倒竹の多い竹藪を進まれた経験がある方はお分かりになるだろうと思うが、まるでジャングルジムのような状態だ。やがて左手に小さな谷が現れると谷沿いはなぜか竹が少ないので、竹藪の藪漕ぎから解放され、無事に林道に着地することが出来る。
対岸の斜面を登ると尾根上には明瞭な道が現れ、「神童寺↔︎海住山寺」と記された木津川市観光協会による道標が現れる。天神社のあたりから続いているのだろ。桜峠からの踏み跡が途切れた時点ですぐに撤退して、最初からこの道を探るべきであった。
歩きやすい道を進むとすぐに鳶ヶ城への案内が現れる。山頂の一帯は笹原となっていたが、道の周囲は綺麗に刈り払いがされている。道を辿ると少し開けた場所があり、鳶ヶ城ことを記した案内板がある。三角点があるのはその手前の小高い隆起であり、達筆で記された鳶ヶ城の山名標が近くの低木に掛けられていた。
快適な登山道を辿って尾根を先に進むと、周囲は低木になると正面に三上山、右手には木津川沿いの加茂の展望が広がる。周辺の山々は紅葉による茶褐色の山肌を見せている。
左手から小さな支尾根が合流すると「サンフォレスター広場→」という道標と尾根上の踏み跡が目に入る。キャンプ場のある山城森林公園に出る道があるのだろう。
海住山寺への分岐に至ると、北側の斜面を下降してゆく道がある。偽木階段が設けられているので、しっかりした道が続いていることが予想される。この道を辿ると三上山まではすぐではあるが、尾根上には踏み跡が続いているようなので、尾根をさらに先に進んでみることにする。
左手に三上山を見ながら痩せ尾根を進んでゆく。やがて尾根は二重尾根になると、右手の尾根には檜の植林が広がっている。二重尾根の踏み跡は尾根の間の谷を進んでゆくが、谷を登りつめたところでそ途端に踏み跡は完全に不明瞭となる。
ここからはほぼ直角に左手に曲がり、左手に伸びる自然林の緩やかな尾根を登ってゆくことになる。尾根上には踏み跡はないが、所々に樹に巻かれたテープが現れる。最初のピークp358にはオガヤ山と記された小さなプレートが掛けられていた。どういう漢字を宛てるのか気になるところだ。
尾根を北に辿ると自然林の快適な尾根が続く。頭上の樹々は紅葉しているのだが、下生えの常緑の広葉樹が多く、紅葉の樹々を堪能できないのが残念だ。やがて尾根を越える古道が現れる。国土地理院では鳴子川の上流の左岸に破線が記されており、恐らくはこの道に繋がってゆくのだろう。
次のp429ではプレートの類は見当たらないが、山神と刻まれた石標がある。ここで東に向きを変えて尾根を進む。突然、開けた場所に出たと思いきや茶畑が広がっているのだった。地図上で尾根に記されてた破線はなんと舗装路であった。
茶畑ではここでも作業をして方が多い。茶畑越しに和束から加茂方面の展望が広がる。しばらくは茶畑を眺めながら、尾根が北西に向きを転じるあたりで、舗装路から再び檜の植林地の中へと入ってゆく。
自然林になると、このあたりはマツタケ山なのだろう、道沿いには「入山禁止」の立て札が多く目立つ。勿論、入山が制限されるのはマツタケのシーズンに限ってのことだ。道が良好に整備されているのはマツタケ山のせいだろうか。
北山のピークは辿ってきた尾根道から逸れて、なだらかな吊尾根を南下したところにある。常緑の広葉樹に囲まれた山頂は鬱蒼として雰囲気。木製の山名標が掛けられていたが、おそらく鳶ヶ城の山名標と同じ人物の手になるものだろう。
北山から先ほどの尾根道に戻り、快適に進んでいるつもりではあったが、気がつくと北西の方向に進んでいる。三上山に向かって南西に伸びる破線の道を辿るつもりだったのだが、どうやら分岐を見過ごしたらしい。
引返すのも煩わしいので、そのまま道を辿り先に進む。地図では破線が途中で途切れているが、尾根上には明瞭な道が続いている。道に導かれるままに尾根を下ると唐突に集落に出る。井出町飛地と記されたところだ。こんな奥まったところに生活を営む人がいることに驚くが、道路の周辺で作業をしておられた集落の人達も登山者が現れたことに驚かれたかもしれない。
集落からは小さな沢沿の林道を辿って谷奥へと入ってゆく。右手に尾根が近づいたところで下生の少ない支尾根を選んで尾根に登る。尾根上に記されている破線の道に出ることを期待してのことだったが、なんと尾根上に現れたのは舗装路だった。
舗装路を歩き、三上山の山頂の直下で「かいがけの道」と合流すると、すぐにも山頂に出る。展望台に上ると、ほぼ360度の展望を眺めることが出来る。雲の合間から零れる光の筋が山麓を明るく照らしているが、北の方角を眺めると比叡山の左手、京都市街と思われるあたりでは雨が降っているようだ。
三上山の山頂を後にすると再び登ってきた道を引き返し、かいがけの道を下る。山頂近くでは檜の植林が広がっているが、まもなく植林を抜けて自然林の中をなだらかに下ってゆく。
森林公園が近づくと尾根を横切る舗装道に出る。舗装道のヘアピンカーブから先は人があまり歩いていないのだろう、急に道が細くなる。すぐに小さな三角点ピーク△207.5を通過することになる。枯木に打ち付けられた山名標によると、点名は鳴子谷というらしい。
地図上の実線と合流すると幅広い二車線の舗装道路に出る。あとはこの道を辿れば良いのかと思って、坂道を下るが、神童寺の近く茶畑に向かう道であり、駅に向かうには右手に分岐する細い林道に入る必要があったようだ。
西の空では雲の合間が琥珀色に明るく輝いているが、この日は雲が多く、夕空を見ることは叶わない。駅が近づくとまだ17前だというのに急速に薄暗くなってゆく。図らずも長い距離を歩いた半日の山行であったが、漕ぐ必要のない藪は漕がないことに越したことはないと反省するのだった。
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