記録ID: 40011
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ハイキング
中国
トホレコ(日本縦断徒歩旅行の記録)43・日本海、ひたすら〜7(石見銀山へ。)
2006年11月06日(月) 〜
2006年11月09日(木)


- GPS
- 80:00
- 距離
- 75.6km
- 登り
- 854m
- 下り
- 861m
コースタイム
11/6 田儀ー波根ー鳥井
11/7 停滞
11/8 鳥井ー大田ー石見銀山ー温泉津
11/9 温泉津ー波子
11/7 停滞
11/8 鳥井ー大田ー石見銀山ー温泉津
11/9 温泉津ー波子
過去天気図(気象庁) | 2006年11月の天気図 |
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アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
11/6 出雲までの道すがら、「石見銀山を世界遺産に!」みたいな看板を見かけた。石見銀山というのは700年ほど続いた銀鉱脈で、世界シェアの7割を誇り、往時には20万の人々が暮らしていたという。軍艦島とか、今は無き九龍城砦のやうな人口過密地帯が残されているのだとしたら、一見の価値がありそうである。 その石見銀山まで、ここ田儀の砂浜からだと距離的に微妙なところにある。行こうと思えば今日中にたどり着けるが、ちと行程が長くなる。今日は何故だかとても体が重いのであまりハードな行動にはしたくない。では、仁摩くらいまでにしておくか。あるいはもっと手前の波根海岸?あるいは大田市郊外に運動公園でも探してみるか。悩ましいところである。 波根の塩っ辛い町並みで取り敢えず買出ししてみる。ギョニッキー、白菜、ポップコーンなど。ポップコーンを齧りながら鳥井へ向かう。それにしても体が怠い。頭もぼんやりとして重たい。先日の風邪がぶり返してきたのだろうか。 鳥井の海岸は果てしなくだだっ広い砂浜である。今日の行動はここで打ち切ることにする。体調が悪いし休養である。昼寝して、夕方になってから町に水を汲みに行く。公民館で水道を借りたが、この辺の蛇口はみんなハンドルを外してある。水道を勝手に使われない為の工夫なのであろう。徒歩旅行者に厳しい土地柄である。 焚き火してラッパ吹いていると、どんどん風が強くなってくる。真っ黒い雲が足早にやって来て、すぐに月も星も隠してしまう。慌てて夕食を作り始めるも、風のせいで火力の調整がうまくいかない。米は生煮えで砂も入ってしまった。ジャリジャリでいと不味し。風はいよいよ勢いを増してゴウゴウピュウと唸りも高く、夜空を駆け回っている。鍋を持ってテントに避難。ポールが傾いでテントがぶっ倒れそうだ。食事を済ませて早々に寝てしまう。寝ているうちに災いは去っているだろう。 夜半、ドブンと鈍い音と共に、外からテントを押されるような衝撃を受けて目を覚ます。なんと波がここまで到達したのである。慌てて外に出てみると、波はシタシタと引いていった後で、濡れた砂浜がだらしなく闇の中に横たわっているのが、ヘッドラムプの明かりに照らし出されている。風は依然として強く、横殴りの雨である。僕がテントを設営したのは砂浜ではあるが波打ち際からはかなり離れたところである。100mくらいあったろうか。こんな所まで波が寄せてくるなんて信じ難い。一度引いた波はヘッドラムプの明かりさえ届かない、遥か先の闇の中でゴウゴウと低く唸っているのである。ふと見ると沖の方の様子がどうも変だ。何だ・・・、アレは?闇のせいだろうか、海面が不自然にこんもりと盛り上がっているやうに見える。先ほどの波でテントの外に置いてあった酒瓶や靴なんかが持っていかれてしまった。波打ち際に向かって走っていくと、それらがあちこちに転がっている。靴は無事回収出来たが、酒瓶は見付からない。しかしそんなことを言ってもいられないだろう。次の波が来る前にテントを移動しておいた方が良さそうだ。 激しい風に邪魔されて、撤収に手間取る。取り敢えず持ち運べる様にテキトーに荷物を丸め込んで高台に移動。丁度良い具合に海の家の残骸と覚しき物が海岸に打ち捨てられている。屋根が残っているし、風除けにもなる。中はゴミが散乱していて気持ちの良い有り様ではないが、この際文句も言ってられないだろう。辛うじてテントも立てられそうである。ふと気付くとポールが一本曲がってしまっている。 11/7 ひたすら眠り続ける。どうやら昨夜の騒動で、すっかり風邪をこじらせたやうだ。頭が猛烈に痛いし食欲もない。立ち上がると目が回る。昨夜はかなり大きな低気圧が通過していったようである。ラジヲによれば、大山が真っ白になったんだとか。やれやれだ。 食料も水もないので、夕方町に出てみる。途轍もなく寒い。まるで年の瀬の空っ風に吹かれているやうな気分だ。米は喉を通りそうにもなかったのでうどんを買って帰る。昨日の公民館で水を汲ませてもらった。 暗くなってからお巡りがやってくる。また誰か通報したのだろうか。流石に応対するガッツがない。今は風邪で身動きが取れない。明日になれば出て行くということを辛うじて説明すると、諦めて立ち去っていった。日本の田舎ってこんなもんだったろうか。ここ数年でだいぶ変わったんじゃないかと思う。犯罪の質が変わってきたことと無縁ではあるまい。とても悲しい気分になる。 なんとかうどんを流し込んで、再び寝る。もう寝るより他ない。そしていくらでも寝れる。 11/8 一夜明けたが、気分は冴えない。寝過ぎというのもあるが、フラフラだ。食欲も相変わらず乏しい。無理やりうどんを掻き込んで出発。もう一日くらい休みたい所だが、お巡りがまた来ると面倒だしな。 小学校の前では、ガードマンのおっちゃんが独り寂しく旗を振っている。工事現場は2〜3km先だが、ここが迂回路の分岐点なのだ。たいして車が通る訳でもなく、こんなところで一日中ぼんやりと無為の旗をはためかせていたらどんな気分だろうか。軽く会釈して通り過ぎる。 軽い峠を越えて大田の市街へ。中心は9号線なのだろう。線路沿いの道は至って閑散としている。市役所に寄ってみるとパソコンを閲覧出来たので、石見銀山について少し知恵を付けておく。 石見街道のひたすらなだらかな道を行く。所々道幅が狭くて難儀する。世界遺産にするのならこういう所も考えないといかんよな。途中、くだもの屋のねえさんにミカンを一個貰う。車から、歩いているのを見かけたんだとか。ハキハキした感じの気風の良いねえさんである。有難いことである。缶入りのコーンスープなど飲んでみる。こんなのを啜ってると病み上がりって気分が盛り上がってくる。 やがて銀山に到着。なんだか寂れた田舎町って感じのところである。人口20万人を誇った、往時の面影など見る影もない。まあ、当たり前か。 町にはヘンテコなアート作品などぽこぽこと陳列されており、穏やかな陽射しが心地よい。体を動かしたらわりと気分も回復してきて、漸くお腹が減ってくる。くゎんこう客のごった返す蕎麦屋で食事。食事を出来る所は限られている。景観保護の為か、コーラの自販機が木目調のボックスの中に入っていたりした。 銀鉱脈を掘り進める為の坑道を「間歩」というのだそうで。現存する間歩のうち、状態の良いものが一部公開されている。これは勿論見ておくべきだろう。大人400円也。1kmくらいの坑道がくゎんこう用に整備されている。蛍光灯で照らされた主要道の脇には、鉱脈を掘り進んだ跡がいくつも黒い口を開けている。もちろんそちらに入ることは出来ない。入り口から見た限り、かなり狭いもので、大人なら立ち上がることは出来ないだろう。恐ろしい所だ。僕は軽い閉所恐怖症の傾向がある。こんな所で働くなんてとても考えられない。鉱山の暮らしを綴った古い絵巻が公開されていた。それに拠れば、ここで働く坑夫たちは貝殻のラムプを頼りにこの鉱脈を彷徨い歩いたらしい。確か「じみへん」っていう漫画に、小さいトンネルをハイハイで進んでいるサラリーマンの一行の話があったのを思い出した。向こう側から別の一行がやって来て立ち往生するってオチである。そう思ってみるとなんとなくこの絵巻の画風は中崎タツヤに似ているような気もしないでもない。似てないか。 間歩の見学道は一方通行である。一度出口を出たら、荷物を預けて置いた入り口に再び戻らねばならない。面倒だ。荷物を回収して、下降路へ向かう。なんでもかつて銀を港へ積み出す為に使われていた道が残っているのだとか。下降路ってくらいだから下りなのかと思っていたら、結構しょっぱい登り。まるで登山道だ。病み上がりでこんなとこを歩いていていいんだらうか?ホウホウの体で峠を越えて下っていくと、西田という集落に出る。ここは「ヨズクの里」として有名なところなんだそうで。ヨズクというのはフクロウであるとのこと。稲を収穫した後に、束ねた姿がフクロウに似ていることから「ヨズクの里」という呼び名があるそうだ。里山のお手本みたいな風景である。 石見銀山は“軍艦島”とか“九龍”とかって過度の期待をしていたせいもあって、全体に拍子抜けの印象が否めない。むしろ下降路から西田へ抜ける道の方が好印象。ただしマイカーでお手軽に見物に来たのでは辿ることの出来ない道筋である。 9号線に合流してしばらく行くと温泉津に到着。あたりは既に真っ暗である。小浜温泉の四辻の商店で買い物。店のオヤジお薦めの温泉は“元湯”だという。 「熱くて汚い湯だけど良い湯だよ。」 とのこと。それはお誂えである。 温泉津の温泉街は駅からは随分離れている。普通の人はバスかタクシーを使うんじゃないだろうか。小浜から更に海沿いの道を行くと程なくして温泉津の温泉街に到着。暗くてよく分からんが、こぢんまりとしていて良さそうなところだ。何でも、種村季広や池内紀などといった優れた文学者の著作にも登場するそうである。何ていう本なのかは分からないけど、読んでみたい気もする。 オヤジに教わったとおり、元湯にトライしてみる。歴史を感じさせる、良い面構えだ。湯は容赦なく熱い。一応浴槽は「ぬるい」「あつい」に分けられているが、「ぬるい」と言いつつ相当熱い。43度はあると見たね。一度湯船に体を沈めれば、身動きを取ることは許されない。尻に噛みつくやうな熱湯とはまさにこのことで。「あつい」の方は僕の如きド素人には殆ど危険と思えるほどの茹で釜に見えた。非常に良い湯である。こういう泉質は東北以来じゃないだろうか。大量の汗をかく。湯上がりの疲労感。大満足である。ここ数日の体調不良が一発で吹っ飛んでしまった。 「ゆうゆう館」とかいう道の駅風の施設の裏手で野営。 11/9 朝のうち、温泉津の町をふらついてみる。昨夜は暗くなってから到着したので写真など撮りつつ散策してみる。昨日入った“元湯”の向かいにはもう一つの外湯、“薬師湯”がある。薬師湯は大正の大地震で湧き出たものであるとのこと。別名を「震湯」という。薬師湯は泉質が非常に優れているらしいが、午前中の中途半端な時間帯に行ったせいか、番台に人がいなくて入るのは諦めた。ちなみに昨夜入った元湯は平安時代から湧いていたらしい。 ゆうゆう館のベンチでポテチを齧って黄昏ていると、またしてもお巡りがやって来た。なんだってんだよ。旅人はポテチ食うなってか?気分悪いぞ。水道のハンドルは外してあるし、島根ってちょっと了簡が狭いんじゃないのか。わりとガッカリしてるよ、俺は。 非常に不愉快な気分で出発。しかし温泉のおかげで体調はだいぶ良い。黒松からは海沿いの道を行ってみる。しかし流石に飽きてきたな、山陰の海岸線も。 江の川を渡って江津へ。あやしい商店街や、いい感じのワインショップも見かけたが素通り。今日は浜田の手前までひたすら移動していくだけの冴えない行程である。敬川あたりで日が暮れて、波子に入った所で野営。パーキング近くの砂丘じみた砂浜である。夜、東の空で激しい雷。遠くに見る夜の積乱雲は良いよなぁ、なんて思っていたらこちらにもやって来やがった。 |
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