記録ID: 4004971
全員に公開
ハイキング
京都・北摂
京都低山ハイク〜高塚山・大宅奥山・行者ヶ森
2022年02月16日(水) [日帰り]


体力度
2
日帰りが可能
- GPS
- 03:56
- 距離
- 8.8km
- 登り
- 580m
- 下り
- 557m
コースタイム
天候 | 晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
復路 京都市営地下鉄東野駅から六地蔵駅下車 |
写真
源頼政(1104〜80)は,摂津源氏の棟梁で平治の乱(1159)では同族源義朝(1123〜60)を裏切り平清盛(1118〜81)に味方し,その推挙で従三位となり源三位頼政と称した。治承4(1180)年,以仁王(1151〜80)に勧めて平氏追討の令旨を出させ,これを奉じて挙兵したが敗れ,南都に逃れる途中宇治平等院で自刃した。この時醍醐から宇治に通り抜けた山道を頼政道と称する。この石標は頼政道の跡を示すものである。by京都市
宇治市にも頼政道の石碑等があります
宇治市にも頼政道の石碑等があります
階段を上ると、これまで気づかなかった看板に目をやると、新しい発見がありました。
此処はかって、洛東用水と呼ばれた、灌漑用水路でした。
醍醐から日野にかけての水田は河川の水とため池の水で養われてきましたが、干天が続くと、水不足に見舞われてきました。
大戦中の昭和17年(1942)から、昭和20年(1945)にかけて、小野まで来ていた琵琶湖疎水を取り入れた用水路を日野まで延伸(5.24キロ)までし、灌漑用水を賄ってきました。
ここの標高は約72米で、琵琶湖の水面標高は約84米です。
(京都市水道局刊)(琵琶湖疎水の百年より)
此処はかって、洛東用水と呼ばれた、灌漑用水路でした。
醍醐から日野にかけての水田は河川の水とため池の水で養われてきましたが、干天が続くと、水不足に見舞われてきました。
大戦中の昭和17年(1942)から、昭和20年(1945)にかけて、小野まで来ていた琵琶湖疎水を取り入れた用水路を日野まで延伸(5.24キロ)までし、灌漑用水を賄ってきました。
ここの標高は約72米で、琵琶湖の水面標高は約84米です。
(京都市水道局刊)(琵琶湖疎水の百年より)
感想
近場でがまんしてのんびり山歩きしてきました。低山アンド地元ということで装備は適当、西高東低の気温は低く、極寒の標高400メートルとなりました。今日はほんとに寒かったです。もう少し眺望を期待したのですが、残念でした。まん延防止終われば遠くへ行きたいです。
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
訪問者数:374人
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する