登山道整備 ’ 07 飯豊
過去天気図(気象庁) | 2007年09月の天気図 |
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感想
15年前の山日記 リンク切れしておくには と思い ここに残しておきます。'22.2.24
登山者情報 1117-3,4 参照 > https://www.iideasahi.jp/1117.htm
飯豊朝日連峰の登山者情報で「登山道維持管理修復の実証実験」への参加をよびかけていた。
登山者による踏みつけ、幕営などにより裸地化してしまったフィールドを草地によみがえらせたり、雨水の流れでえぐれてしまった登山道の水の流れをコントロールしてそれを防ぐなどが、飯豊を愛する多くの人の手によって行われた。
【9/21.朝5時半,HZUさんへのメール】
井上さん、おはようございます。ハタノです。
登山道整備、22が仕事なので 23に梶川尾根で梅花皮小屋まで、ほぼ1日工程だと思います。
翌24往路下山。メインの23の作業のお手伝いは出来なさそうなのですが 参加?したいです。
最悪(山へ行く許可が出なかった場合)24日帰で梶川尾根の予定です。
【HZUさんからの返信】
私の住む所には「飲み手伝い」という言葉があります。地域の皆ができる範囲で参加することが大切ということだと思います。
私の考えなのですが、山の整備は行政が予算を出して業者が施工して終り、それだけで良いのでしょうか?
山の整備を通して登山者が「私の飯豊、大切な宝物、大事にしたい」と実感することが重要なことだと信じています。
皆さん、仕事など様々な都合を抱えています。可能な範囲で参加していただければと思います。
当然ながら、仕事はしていただくつもりです。朝食後の食器などを洗ってくれたり、
小屋の中を整理して、食事の準備をしたり、疲れて帰ってくるメンバーを「お疲れ様」と言って迎えてくれる。
そうであれば、思い切り仕事ができます。
波多野さんであれば、22日夜用のアルコールを担ぎ上げていただけると、大変に有難いです。
上記のメールをいただき、これは何を置いても行かなくてはとの決意を新たにする
【9/23(日)】
当地では彼岸に墓参りの風習はさほど浸透しておらず仏壇を参るのみの家庭が多い。拙宅もしかり。自宅と実家(共に安田)を参って、自由の身になれたのは午 前10時50分。非常に微妙な時刻ではあるが、一路山形県西置賜郡小国町天狗平を目指す。関川道の駅付近で欧米系若人2名のサイクルツーリストと行き交 う。
12:43 天狗平[92.3km]
さすがに3連休駐車場はほぼ満杯。
13:09 スタート
ストックはザックのサイドに格納、両手を使って確実に一歩一歩。1枚岩で中高年男性ソロと行き交う。センサーを13:25に通過。中高年ペアと行き交い、登り始めから31分で、、
13:40 楢ノ木曲り
ザックを下ろし汗を拭う。そこ(楢ノ木曲り)から20分ほどで、登山者情報1110号で「オソ場」と仮称されていた所を通過。平らなので幾分心拍数も下げ ることができた。14:22、湯沢峰の肩。多くの人は湯沢峰まで行って休むと思うが、今日はここで休もう。自分でにぎってきた(朝はたっぷり時間があっ た)おにぎりと冷蔵庫から適当におかずをタッパに詰めてきた。それを食べる。曇り空。
14:31 湯沢峰
1.56km 稜線はガス、しかし上空は青空も見える。下って、しばらくなだらか、民宿「越後屋」の切り付けを見つける。亀田山岳会の小堺さんと行き交 う。彼とはよくいく体育館で顔を会わせていたが山もやるとは初めて知った。本業は酒屋さんで、2月の白太郎山の寒梅も小堺さん配達によるものだと後で聞 く。さらに登って行くと今度は、福島の小泉さんと。去年の6月石転び以来。前日(昼と夜)の様子を聞き、多少遅い着時刻になっても大丈夫かなと思い始め る。
15:03 滝見場(分岐)2.51km
15:36〜53 五郎清水 3.25km
水を補給。五郎清水を発足しても依然きつい登りは続く。ザックを下ろし2個目のおにぎり。
16:21 3本カンバ 3.53km
若人2+中高年1の男性3名(小国の人らしい)と行き交う。
16:46 梶川峰 4.20km
主稜線全て見える。遠くにケルンのとんがり。そのケルン16:58通過。その先、四方の見晴らし良好な場所にて休憩中のソロ。門内小屋はすぐだと教えるがここでビバーグのこと。扇の地紙の標柱も見えるころ、左太ももが「つる」一歩手前のような感覚。右足首にも違和感。
17:25 扇の地紙 5.53km
いつもは直進して新潟側の展望の有無を確認するのだが、この脚では少しの登りでも省略できるものは省かなければならない。よって左折。期待していた西(新 潟)側はすっぽり雲の下。ちょっとした胎内山の登りでもやっとやっと登る有様。門内小屋の近くで夕陽を眺めている人も目視できるようになる。そして近づい てみると、、
「山の遊学道」の著者K山さん。
「山の遊学道」は届いたばかりだった。うれしくて思わず握手する。K山さんは前日22日にここ門内で泊り、23日は現場の天狗の庭までピストンしてきたと のこと。そして今晩の梅花皮小屋の宴はそうとう盛大になるだろうとのこと。ここまでは門内泊が濃厚だったのが、梅花皮小屋まで、はってでも行きたい気持ち がむくむく大きくなる。さらに「今晩、梅花皮小屋まで行かないと後悔するかもしれませんね。」亀山さんにそう言われて決心する。よし、行くぞと。 17:45門内小屋を後にして歩きだす。
しばらくは水平移動なのでなんとか脚を前に出せていたが、北また岳の登りにかかるとかたつむり歩行となった。何度か腰を下ろし行動食やおにぎりをひとくち ふたくち食べて休んだ。遠く高い山頂だった。なんとか2024.0mまで辿り着いたが、そこからの下りは限界を越えた脚には荷が重過ぎた。加えて足場はガ レている。慎重×慎重と自分に言い聞かせゆっくり歩く。梅花皮小屋の灯りが手招き。飛んで行きたい気持ちと進まない脚。この下りでも休みをはさまざるをえ ない脚の状態。梅花皮小屋が目の高さになったころ、気が抜けたのか、右(南)側に転んで半回転する。かなりあせったがなんともなかった。
小屋へ辿り着くとVCKさんともう一人管理棟の前にいたのがわかった。「VCKさん?」と言うと「はい。」そして「登山者1名、入りまーす。」と言い、疲労感と達成感とごちゃまぜな気分のまま小屋のドアを開ける。
19:03 梅花皮小屋着
もうとにかくザックを下ろすのもやっとやっとの状態だった。みんなヘッドランプを点けているので顔がよく見えない。みんなはこちらを認識してくれたようだ が、こちらは誰が誰だがいまいちわからない。わからないが、なんとなく状況は読めてきた。ここ一階が楽屋で、2階がステージのようだ。野郎どもがすごい衣 装を身にまとっている。疲れはてて、腹が減って、お茶の一杯でも欲しい所だったが、半分やけくそでステージに立って踊った。観客の中には綴さんや桃パパの 顔がわかった。ひとしきり踊り楽屋(一階)に降りて自分のペースで寝床を準備しはじめる。2階も静かになり「ラーメンができましたぁ」と声がしたので、お 椀を持って2階へ。よそってもらい一階のパーソナルスペースでゆっくり食べる。かなりおいしい。白太郎山で弥助さんの作ったラーメンもとびきりうまかった が、これもいい勝負だ。
2階では第2、第3のステージが開催されていた。やや静かになったころ大鍋にあったサラダをいただく。酸味が効いていてこれまたおいしかった。腹ごしらえ もたっぷりとり、寝袋にもぐって体を休めた。眠りの底へは沈まなかったが、横になるだけで気持ちよかった。しばらくして起き、壁にもたれかかりぼけ〜っと していたら、MHさんが管理棟へ行きませんかと誘ってくれたのでおじゃますることにした。カップを取りにもどろうとした時、一升瓶をけっぽってしまいみな さんの手を煩わせる。どかっと座り、ハイジさんやコンちゃんといろいろ話す。
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24(日)
日付が変わってしばらくして、寝床にもどり,いつのまにか眠っていた。4時頃外へ出てみると月は沈んだ後で、空は満天の星がひろがっていた。新潟方向に大きな北斗七星が印象的だった。
5時過ぎから、サブザックに水と行動食とカメラを持って梅花皮岳まで散歩。
治二清水で給水し、6時過ぎに小屋脇の広場へもどると、峡彩の成海さんと桃パパが出かける準備をしていた。小屋の中へ入りパッキングをしていると2階から 「先にごはん食べてしまいなさーい。」と声がし、「うん、わがったー、今行く。」と応え、2階でカレーライスをよばれる(注:「よばれる」は「いただく」 の意、さらにくわしく解説すると、出されたものをありがたくいただくという意味)。大谷さんが華麗なフライパンさばきを披露していた。昨夜は暗くてよくみ えなかったみんなの顔をよーくみながらカレーとおはぎ?だったか?をおいしく食べた。食べ終わり、パッキングをしていると、女性陣がほうきで掃いた後、ぞ うきんがけをしてくれた。小屋の外へ出て見上げる空は紺碧。ザックに昨日採取したススキの穂が入ったレジ袋を追加。全員の記念撮影を30分ほど要して完 了。
朝一の大仕事は北また岳への登り。石を転ばさないように気をつけて一歩一歩。ひと息では登れなかった。
視界良好の北また岳でたっぷり休んで門内へと歩く。HZUさんの後ろで、五味沢マタギ、小国の先人の話しなどを興味深く聞き、かつ、山々の視線に見守れな がら歩く、、至福の時であった。おだやかな登山道を後方からコウモリ笠の韋駄天野郎がびゅーっと駆け抜けていった。それに反応したHZUさんが追いかけ走 る。2人とも前夜あれだけ飲んだのに、、いや、それがパワーの源なのですね。門内小屋でザックを下ろし大休止。
扇の地紙で右折して梶川尾根へ。水流をコントロールしてえぐれを抑止させるための作業。通常、水は高い所から低い所へ流れるわけだが、一定量以上の水が流 れるとき思わぬ方向に向きを変える。HZUさんは、流体力学と説明していたが、それは机上の論理ではなく、実際にこの現場でいろいろ試してみて、その結果 を見たうえでの説明だった。だから実証実験なのである。専門家が研究室で計算してはじきだしたものではない、この現場での試行錯誤の後に試してみて、日数 を経て、やっとわかるものなんだと思った。そして去年敷いたネットにススキの種を蒔いた。穂をもみながらやるとよいと木内さんから教わる。
ひととおり作業も終わり、ランチタイムとなる。ぶどうパンに野沢菜をはさんだ物がうまいから食べてみて、とまわってきた。一口目は「ん?ミスマッチじゃな いの?」二口目、「あれ?けっこういけるかも」。サッポロ一番みそラーメンや、高級うどんなどたくさんのごちそうをよばれる。
五郎清水までノンストップ、以後湯沢峰までHZUさんといっしょに下る。血中の酸素濃度を高めるための呼吸法、すなわち定期的に意識して肺の中を空っぽに してやる。なるほどと思いまねしてみる。他に飯豊の小屋の管理の少し昔の話しなども聞く。行政区域が3県にまたがるだけにややこしいのは今も昔も同じ。湯 沢峰でも大休止。そして無事に天狗平へゴールイン。
今回の登山道整備に少しだけ参加できたこと、飯豊を愛するみんなと素敵な時間を共有できたことに感謝。ひとりでは小さな力でもそれが集まれば大きなものに。荒れた地に再び緑を。まだまだはじまったばかりだけれど。
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