南郷山から幕山梅林へ下る


- GPS
- 04:07
- 距離
- 7.2km
- 登り
- 663m
- 下り
- 552m
天候 | 曇りのち晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
白銀林道に向かうゴルフ場脇の道は以前(20年ほど前)に比べ、格段に広く歩きやすくなっていた。幕山の下りは急な箇所があるうえ、乾燥して砂利などが滑りやすいので注意(一度滑ってしまった)。 |
写真
感想
懸案の幕山を歩くことにした。低温が続いたため梅の開花が遅れ、いつ行くべきか思案していた。昨日も考えたが雲が多そうだったので延ばしていたが来週は天気が怪しくなりそうなのでとりあえず始発電車で湯河原駅に向かう。天気予報を見ると昨日より雲が多くなっており、梅林は少し遅めに着いたほうが良さそうだった。そこで鍛冶屋行きバスに乗り、五郎神社から南郷山と自鑑水を経由して梅林にできるだけ遅めに到着するようゆっくり歩き始めた。バスには他に一組のかなりご高齢の二人連れが先に進んでいった。こちらはゆっくり撮影などしながら急な坂を登ってゆく。初めはお二人の姿が見え隠れしていたがそのうちまったく見えなくなった。しばらく登るとゴルフ場の一角に出て左にゴルフ場に沿って進む。道は簡易舗装になっており大分良くなっていた。ゴルフ場左に巻きながら進むが私が最初にこの道を下山コースとして使ったのはおそらく二十年ほど前で、その頃は道が狭く、笹の切り払いも今のようにはキチンと行われておらず、藪コギまでは行かないが笹をかき分けながら下った記憶がある。今は道が広くなり、簡易舗装もあってとても歩きやすくなっていた。予定時間より十分ほど遅れたがようやく白銀林道に出てほっとする。三度目の水分補給をしてすぐ南郷山に向かう。標高差百メートルくらいをゆっくり登り南郷山山頂に出る。誰もいない。未だ誰にも抜かれてもいないが、先に歩いていたお二人の姿もなかった。ミカンを、半分とナッツ入りチョコレート一粒を補給してすぐ自鑑水に向かう。途中神社に向かう道があったが途中で自鑑水への道と分かれた。
自鑑水付近で昔はなかった新しい林道が交差していた。自鑑水付近は昔よりきれいに整備されているように思えた。至るところに鎌倉との関連を示す古道の表示があるところは新しい。タイムリーとも言える。
自鑑水からはすぐに白銀林道に出る。林道を渡って幕山に向かう。600メートルの道標だが、ここまで来ると600メートルは結構長く感じる。大石平への道を分けて幕山への最後の登りに向かう。たいした距離を歩いたわけではないがすでに足は疲れている。山頂で一休み、と言ってもベンチモナク、立ったままミカンとチョコレートと自宅から持参のコーヒーを少し飲んで撮影し終えるとまた梅林目指して下り始めた。
さすがにこの時間となると下から次々とハイカーが登ってくるが、中にはハイキングスタイルでないハンドバッグを下げた女性も登ってきた。ハイキングと出ていたのでもっと楽なコースかと思ったと嘆くがこうなったら意地で山頂に行くと言う。まあ、お若いのでスニーカーにハンドバッグでも、なんとかなるでしょう。
こちらも疲れでペースが落ちたが焦らずケガの無いようゆっくり下る。時々あとどのくらいあるか聞かれるがあと一息あとふた息などと答えていたが最高地点の少し上で苦しそうに歩く家族連れなはスマホの地図を見せて未だ半分以上あと標高差で300から400メートル登らねば上に行けないと示すと諦める家族もあった。普段山歩きなどしていない人にとっては結構な急な坂だ。これから上は梅もないのだからと諦める家族もあった。また以前は見かけなかった山から下る人も梅まつりの入場料を払えという看板が2-3枚出ていた。あるいは以前は気が付かなかっただけかもしれないが、山から下りて払った記憶はない。山頂付近では登ってきた人が初めて来たので200円の入園料はらうことを知らなかったという人もいた。
梅林最高地点まで下り、あとは開花した梅の写真をとりながら下る。幸い雲は多いものの、日差しが通ってきたので、予測通りになった。幕岩では大勢のクライマーが練習をしていた。上のほうはまだつぼみの多い木もあり七分咲きというところか?垂れ梅や紅梅も下のほうでは開花が進み、来たことは間違いではなかった。下のほうに来ると花が白と緑のつぼみが目立つ新しい枝垂れ梅がたくさん開花していた。その新しい枝垂れ梅のほうの新しい散策路を撮影しながら歩き、タクシー乗り場に近いほうに下った。タクシー乗り場にはいかずにバスのほうに向かった。バスはちょうど出る寸前だったので、急いで乗り込み、そのまま帰宅の途に就いた。
帰りの新松田駅付近で松田山の河津桜が開花していたのを見た。
今日訪問できなかった小道地蔵堂跡と135号線に再建された地蔵堂について
石橋山の合戦に敗れた頼朝主従七騎が、杉山山中をさまよい、ようやく星ヶ山中腹にこのお堂を発見した。
堂主純海和尚は、頼朝一行を堂の床下の穴の中に隠し、自分は何喰わぬ顔をして夕勤行の座禅をしていた。そこへ追手の大庭景親の軍勢が来て、「頼朝が隠れているだろう」と青竹で純海を責めたが、ついに白状せず、息絶えてしまった。
間もなく追手は退散し、あたりは静まり返った。
頼朝がそっと床下から出てみると、哀れな純海の姿があったので、愛憐の涙をこぼした。その頼朝の涙が純海の喉に落ちたので、彼は息を吹き返した。
頼朝はやがて鎌倉に政権を握るといち早く純海の忠誠に報いるため、寺領を与え、お堂を建て、頼朝山小道寺の称を贈ったという。
その後、1265年の火災により消失、現在の地(国道135号線沿いの朱塗りのお堂)に再建された。(ココシル湯河原HPより)
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