道の駅いっぷく処横川さんの駐車場を利用させてもらいます。ここより先にトイレはありません。
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道の駅いっぷく処横川さんの駐車場を利用させてもらいます。ここより先にトイレはありません。
川の右岸を逆登り、分岐を左に取り林道に入ります。分岐には光明山の案内が建っています。川の桜並木は二分咲でしたが下山後は三分咲きに増えていました。
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川の右岸を逆登り、分岐を左に取り林道に入ります。分岐には光明山の案内が建っています。川の桜並木は二分咲でしたが下山後は三分咲きに増えていました。
道の駅を出発して約10分、林道の左に横川古道の登山口があります。かつての光明寺の参道なので、丁目石が建っており、登山口はいきなり2丁目です。1丁目は川の堤に建っているかと思われます。
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道の駅を出発して約10分、林道の左に横川古道の登山口があります。かつての光明寺の参道なので、丁目石が建っており、登山口はいきなり2丁目です。1丁目は川の堤に建っているかと思われます。
九十九折を登って行くと3丁目が現れました。光明山遺跡まで26丁あり、頑張る目標になっていいですね。江戸時代から明治大正にかけて奉納されたらしいですが、それほど朽ちていません。見付宿の住人が奉納者になっていました。
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九十九折を登って行くと3丁目が現れました。光明山遺跡まで26丁あり、頑張る目標になっていいですね。江戸時代から明治大正にかけて奉納されたらしいですが、それほど朽ちていません。見付宿の住人が奉納者になっていました。
17丁目を過ぎ、東側が開けた崩壊地はビューポイントです。運が良ければ富士山が…残念ながら雲に隠れています。
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17丁目を過ぎ、東側が開けた崩壊地はビューポイントです。運が良ければ富士山が…残念ながら雲に隠れています。
この後、丁目石が無い、台座だけ残っているが続き、ペースが狂って、息が上がる頃、22丁目が現れます。石像も建っています。両手を合わせて小休止。
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この後、丁目石が無い、台座だけ残っているが続き、ペースが狂って、息が上がる頃、22丁目が現れます。石像も建っています。両手を合わせて小休止。
高圧鉄塔下に到着、ここも富士山ビューポイントです。右は春埜山から、左はボンジ山まで見えています。さらに左の秋葉山は山の陰で見えません。
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高圧鉄塔下に到着、ここも富士山ビューポイントです。右は春埜山から、左はボンジ山まで見えています。さらに左の秋葉山は山の陰で見えません。
雲に隠れていた富士山が顔を出しています。ラッキー。目の前の鉄塔が建つ稜線が下山路です。
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雲に隠れていた富士山が顔を出しています。ラッキー。目の前の鉄塔が建つ稜線が下山路です。
湧水の明星水を過ぎると石垣が見え始め、光明山遺跡に到着です。この石垣は城のものではなく焼失した光明寺の石垣です。
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湧水の明星水を過ぎると石垣が見え始め、光明山遺跡に到着です。この石垣は城のものではなく焼失した光明寺の石垣です。
石段を登ると無料の双眼鏡が建っており、絶景スポットです。絶景を見ながらランチにします。
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石段を登ると無料の双眼鏡が建っており、絶景スポットです。絶景を見ながらランチにします。
右に目をやると太平洋と浜名湖が見えます
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右に目をやると太平洋と浜名湖が見えます
正面に目をやると蛇行する天竜川と浜松駅前に建つアクトタワーが見えます。
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正面に目をやると蛇行する天竜川と浜松駅前に建つアクトタワーが見えます。
左には、浜岡原子力発電所の近くに建つ風力発電群が見えます。ここからなら戦況報告の狼煙が上がるのが見えるので武田軍がここを手に入れようとしたのがわかりますね。
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左には、浜岡原子力発電所の近くに建つ風力発電群が見えます。ここからなら戦況報告の狼煙が上がるのが見えるので武田軍がここを手に入れようとしたのがわかりますね。
広々とした本堂跡には寺院の礎石が残っていました。奥に立派な桜の木と小屋が見えます。
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広々とした本堂跡には寺院の礎石が残っていました。奥に立派な桜の木と小屋が見えます。
小屋は当時の祠を守るように建っています。中には木彫像が2体祀られていました。
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小屋は当時の祠を守るように建っています。中には木彫像が2体祀られていました。
当時の寺院図が本堂跡に建っています。武田が滅亡すると光明城は用が無くなり廃城、江戸時代に光明寺が建てられ徳川家の祈願所となりました。秋葉山は火の神様、光明山は水の神様として両参りが庶民の間に広まります。立派な寺院となり繁栄しましたが、昭和6年の大火で焼失しました。
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当時の寺院図が本堂跡に建っています。武田が滅亡すると光明城は用が無くなり廃城、江戸時代に光明寺が建てられ徳川家の祈願所となりました。秋葉山は火の神様、光明山は水の神様として両参りが庶民の間に広まります。立派な寺院となり繁栄しましたが、昭和6年の大火で焼失しました。
光明山に向かう途中に五人塚があります。武田軍との激戦で命を落とした有力な徳川家臣の塚です。
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光明山に向かう途中に五人塚があります。武田軍との激戦で命を落とした有力な徳川家臣の塚です。
光明山山頂に到着。二等三角点が建っています。樹木に遮られ展望はありません。西側に下ると稚児の滝方向に行けるようですが、地理院地図には載っていません。
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光明山山頂に到着。二等三角点が建っています。樹木に遮られ展望はありません。西側に下ると稚児の滝方向に行けるようですが、地理院地図には載っていません。
静岡県独自の串団子山頂標識です。
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静岡県独自の串団子山頂標識です。
奥の院跡、家康隠れ岩、鏡岩に向かいます。
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奥の院跡、家康隠れ岩、鏡岩に向かいます。
奥の院跡です。大火による焼失から免れ、昭和9年、山東に移築しました。当時の手水鉢が残っていますが建物があったような痕跡はありません。
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奥の院跡です。大火による焼失から免れ、昭和9年、山東に移築しました。当時の手水鉢が残っていますが建物があったような痕跡はありません。
すぐ隣に鏡岩があります。陽が当たると輝く岩は航行中の船の目印となり鏡岩と呼ばれました。鏡岩の上からは富士見ポイントですが、雲に隠れて見えませんでした。
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すぐ隣に鏡岩があります。陽が当たると輝く岩は航行中の船の目印となり鏡岩と呼ばれました。鏡岩の上からは富士見ポイントですが、雲に隠れて見えませんでした。
鏡岩横の崖を下ると家康隠れ岩の標識があります。急な崖ですので登山経験の浅い方は止めた方がいいでしょう。
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鏡岩横の崖を下ると家康隠れ岩の標識があります。急な崖ですので登山経験の浅い方は止めた方がいいでしょう。
洞穴ではなく、この窪みが家康隠れ岩のようです。崖の上に戻り、横川お目たで池古道で下山です。
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洞穴ではなく、この窪みが家康隠れ岩のようです。崖の上に戻り、横川お目たで池古道で下山です。
下山路を鉄塔下まで来ました。展望ポイントです。ここからなら左に秋葉山が見えます。右端は富士山なのか雲なのかわかりません。
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下山路を鉄塔下まで来ました。展望ポイントです。ここからなら左に秋葉山が見えます。右端は富士山なのか雲なのかわかりません。
下山路の終盤、トタンと金網で囲われた物が現れます。家康の目の病気を治したと言われる「お目たでの池」です。中を覗くとポタポタと湧水が垂れています、「え〜?これが池〜?水溜まりじゃん」
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下山路の終盤、トタンと金網で囲われた物が現れます。家康の目の病気を治したと言われる「お目たでの池」です。中を覗くとポタポタと湧水が垂れています、「え〜?これが池〜?水溜まりじゃん」
この橋が見えてきたら登山口間近です。道の駅で一休みしたら、移築した光明寺奥の院を見学しに移動します。
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この橋が見えてきたら登山口間近です。道の駅で一休みしたら、移築した光明寺奥の院を見学しに移動します。
山東の光明寺にやって来ました。背後の山の上に移築した奥の院が建っています。下を走る国道152号から見えるので、以前から気になっていました。
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山東の光明寺にやって来ました。背後の山の上に移築した奥の院が建っています。下を走る国道152号から見えるので、以前から気になっていました。
狛犬は猪です。
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狛犬は猪です。
奥の院の上に展望台があり、そこからの展望です。
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奥の院の上に展望台があり、そこからの展望です。
大火の際、消火のために切り倒された御神木を利用して大黒天が作られ、光明寺本殿に祀られています。寄木ではなく一刀彫の大黒天では日本一の大きさだそうです。
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大火の際、消火のために切り倒された御神木を利用して大黒天が作られ、光明寺本殿に祀られています。寄木ではなく一刀彫の大黒天では日本一の大きさだそうです。
当時の御神木の写真が飾られていました。その大きさがわかりますね。
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当時の御神木の写真が飾られていました。その大きさがわかりますね。
光明寺の正面に光明山古墳があります。浜松で唯一の前方後円墳で全長83mもあります。内部は未調査のため、誰が埋葬されているのかわからないそうですが、かなり有力な豪族ではないかと推測されます。
これにて山歩きおしまい。
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光明寺の正面に光明山古墳があります。浜松で唯一の前方後円墳で全長83mもあります。内部は未調査のため、誰が埋葬されているのかわからないそうですが、かなり有力な豪族ではないかと推測されます。
これにて山歩きおしまい。
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