記録ID: 4456922
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キャンプ等、その他
東海
能郷白山(テント泊)
2022年07月02日(土) 〜
2022年07月03日(日)


- GPS
- 32:00
- 距離
- 2.2km
- 登り
- 575m
- 下り
- 0m
天候 | 一日目酷暑、二日目下山時雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
温見峠からの入山で危険個所等特になし。1年ぶりの温見道だったが、コース途中の梯子、ロープが増えていた。 |
写真
ゆっくりぶらぶらのんびり歩いて来たら2時間も掛かってしまった。
背中の蚊取り線香は熊に人間の存在を周知させる為のもの。効果は抜群。熊の視力は人間よりやや落ちるが、嗅覚は数百倍鋭いと言われている。一晩中テントの脇にセットしておいた。
背中の蚊取り線香は熊に人間の存在を周知させる為のもの。効果は抜群。熊の視力は人間よりやや落ちるが、嗅覚は数百倍鋭いと言われている。一晩中テントの脇にセットしておいた。
ご来光は御嶽と乗鞍の間から昇ると予想していたのだが、穂高と槍ヶ岳の中間だった。お盆の頃は御嶽から上がる。それにしても、槍のとんがりはよく目立つ。
何はともあれ、今年もここから朝日を拝めたことに感謝。合掌。
何はともあれ、今年もここから朝日を拝めたことに感謝。合掌。
燃えるような朝陽。北アルプスの山々を真っ赤に染めながら昇ってくる。これは、能郷白山からでしか拝めない絶景。1300年前、僧泰澄もこのご来光を拝みながら五劫の大蔵経を読経したのだらう。
峠まで降りて来たら、突然大粒の雨に代わった。能郷の権現さんは決して善男善女を見捨てはしない。たかが100円の賽銭だったが、ここまで雨を待たせてくれていた。
三角点から休憩なしでちょうど1時間15分。
三角点から休憩なしでちょうど1時間15分。
先月Yoneyama、マツ両氏と女流歴史家が辿った這法師峠への道。10年まえに私が歩いた時は、峠までヤブが綺麗に刈り払われていて、彼らの半分の行程で這法師嶺まで行き着けたのだが。。峠の地蔵も草に埋もれてしまったようだ。
猫峠。這法師が蝿帽子と変化してしまったように、猫峠も元は「根子(根っ子)」だった。
(新撰美濃志参照。天狗党事件より半世紀前に編纂された記録)
画像の左手から徒歩15分ぐらいで旧ネコ峠に至るが、そこから見上げた能郷白山は雄大。
(新撰美濃志参照。天狗党事件より半世紀前に編纂された記録)
画像の左手から徒歩15分ぐらいで旧ネコ峠に至るが、そこから見上げた能郷白山は雄大。
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あの時のメンバーの方ですか。
わたしは能郷白山には、40年かけて150回ぐらい登りました。大抵は能郷谷からですが、10年ぐらい前に桑原武夫の「能郷白山と温見」を読んで、彼の辿った大郷谷ルートがあったのを知りました。そして、わたしもその道を歩いて見ようと大郷谷に出かけたところ、初めてあの碑に出会いました。シダに覆われて草ぼうぼうでしたが、不憫に思えて、鉈で草を刈り払って、蚊取り線香で線香の代わりとさせて頂きました。
下山後、岐阜県立図書館で当時の新聞や根尾村史でその壮絶な遭難の状況を調べてもみましたが、わたしの一番好きな山で、あんな事故が起こっていたことに衝撃を受けました。
晴れていれば毎日、岐阜市内の我が家から能郷白山が見えています。見るたびにそわそわしてしまって、「こんどの休みにはまた行くぞ」といつも思っています。如何せん、歳(72歳)と病気(癌)で若いころのようにはいけませんが、それでも今年の紅葉のころ、また登る計画を立てています。その時は大郷谷にも立ち寄って、またあの碑にお参りしたいと思っています。
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