(西日本遠征その3) 湊山にそびえる米子城から街を見下ろす


- GPS
- 01:10
- 距離
- 3.0km
- 登り
- 118m
- 下り
- 120m
コースタイム
天候 | 晴れ 猛暑 気温38℃ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
タクシー 自家用車
米子駅からタクシーで車に戻った。 |
その他周辺情報 | 宍道駅 イオン出雲 |
写真
感想
本当は、この日へ別の山に登る予定だったのだけれど朝方の雨、そして昼からの雨予報によりキャンセル。米子方面に移動しました。
この辺り、20年ほど前に来て、水木しげるロード、出雲大社、松江城などは見たことがあります。それ以外で行きたいと思っていたところはどこだろうとネットで検索をしましたところ「米子城」と出ました。
2日間そこそこの山登りをしているし、運転疲れもあるし今日は休憩・休息を兼ねた1日と思っていたのですが、なかなかそうもいかないようで・・・。
天守閣に1番近いと思われる第3駐車場に車を入れました。テニスコートの裏になります。かつてはテニスコートだけではなく野球場などもあったようでその跡が残っています。テニスをしている人たちもそこそこいて、この真夏の猛暑の中よくやるなと。
まあ、こんな日に城登りの私もそうなのですが。
米子城は最初に築城されたのは応仁の乱の頃と言われています。山名氏に対抗して地元の伯耆氏がここに城を築いたのが最初と言われています。その後、戦国時代の中で尼子氏、毛利氏に城の所有は移っていきます。関ヶ原の戦いの際には吉川広家の居城となっていましたが西軍方に与したために改易、岩国に転封されます。
江戸時代になると中村氏が伯耆一国を与えられ米子城を居城とします。ここで米子城の第改築が行われることとなります。しかしながら、中村氏はお家断絶し、加藤氏が入りますがここも改易、米子藩は無くなってしまいます。その後は、鳥取藩池田家が家老を出し米子城の運営が行われたと言うことです。
明治になり、この城は売られ、木材などは薪として燃やされてしまったそうで、石垣のみが現在まで残されています。現在は湊山公園として市民に愛されると共に、「続・日本100名城」としてお城好きが集うところとなっています。
確かに壮大な石垣が自慢のお城で、逆に復興天守がないのも悪くないと思います。4つの櫓や大きい天守閣跡、いいお城だと思いました。
下りは、自家用車方面に降りずに、駅を目指しました。駅や市役所は町の顔なのでそちらに繋げておこうと思うからです。しかし暑すぎます、街の中は日陰を求めて歩くしかないし、とうとうイオンの中で涼んでしまいます。ここで自動販売機の麦茶を一本一気飲み、冷風で汗を冷やしまた熱風の中へ、駅に辿り着きました。
米子駅はただいま改装中、数年後には線路を跨ぐような2階建てに駅が出来上がるのでしょう。しかし、時刻表を見ると結構な電車が出ているようですし、特急も多くやはり山陰の中心地の一つなんだろうなと思いました。ここから自動車まではタクシーで戻りました、640円でした。
その後、宍道駅に向かいました。この駅は私個人的に「ムフフ」な駅なんです。そう、日本全国JR完全乗車を達成した駅なんです。14年ほど前の夏、ちょうど暑い季節でした。最後の木次線、備後落合から宍道駅までを乗り継ぐ電車は1日3本しかなかったのです。備後落合駅には他の路線もありますが、それらも1日数本。この辺りが最後まで残ってしまったんですね。
それでも、最後の木次線、備後落合から宍道駅に向かう電車の中で緊張していた私。到着して「着いたー!やったぞー!」と心の中で叫んだ私。自動販売機でコーラを買い一気飲みした私。松江に宿をとり近くの居酒屋で海鮮を食べた私。次の日には贅沢をして特急と新幹線で自宅に戻った私。そんな私たちを思い出しました。
その後温泉に入りまして、次の日の山近くの道の駅に車中泊しましたが、夜中は豪雨、次の日登れるんでしょうか。
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