記録ID: 4882402
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ハイキング
東海
猫峠(旧峠跡から920無名峰)
2022年11月05日(土) [日帰り]

天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
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コース状況/ 危険箇所等 |
県道猫峠から旧峠への道は一応侵入禁止となっているが、道迷い危険個所等一切なし。 |
写真
これが920峰。三角点なし。
日本の植林治山技術はすごい。木を刈った後は土砂流出を防ぐための柵を必ず設ける。それと、完全に伐採するのではなく、根を張ったブナなどの大木をところどころ残している。新しく植えた苗が成長して次に伐採されるのは100年も後だらう。「ひ孫の代」を思う思想がある限り、この国は安泰だ。
日本の植林治山技術はすごい。木を刈った後は土砂流出を防ぐための柵を必ず設ける。それと、完全に伐採するのではなく、根を張ったブナなどの大木をところどころ残している。新しく植えた苗が成長して次に伐採されるのは100年も後だらう。「ひ孫の代」を思う思想がある限り、この国は安泰だ。
猫峠から大河原に降りて、能郷白山遭難の碑を訪ねた。直近では今年6月にここへ来たのだが、その時はシダに覆い隠されていたのだが、きれいさっぱり刈り払われていた。一週間ぐらい前のものだらうが、可憐な千日紅も供えられていた。合掌。
現在、昭和41年大阪市立大学ワンゲル部遭難の記録を調べているところだが、近いうちにヤマレコ日記にも紹介したいと考えている。今日の訪問はその確認の意味合いもあった。当時新聞にはあれやこれやと記者の憶測で書かれたが、実際はもっと壮絶な戦いがあったやうだ。11月の能郷白山で、一晩で背丈を超す雪がその日降ったそうだ。生々しい救助の様子を、実際に山に入った当時の黒津消防団員の方からもはなしを聞くことが出来た。
現在、昭和41年大阪市立大学ワンゲル部遭難の記録を調べているところだが、近いうちにヤマレコ日記にも紹介したいと考えている。今日の訪問はその確認の意味合いもあった。当時新聞にはあれやこれやと記者の憶測で書かれたが、実際はもっと壮絶な戦いがあったやうだ。11月の能郷白山で、一晩で背丈を超す雪がその日降ったそうだ。生々しい救助の様子を、実際に山に入った当時の黒津消防団員の方からもはなしを聞くことが出来た。
かつての能郷白山登山道。能郷谷からの道とここ大郷谷は二大遥拝道と呼ばれていた。わたしがこの道を歩いたのは20年ぐらい前だが、その時はもうほとんど踏み跡は消えていて、沢伝いに頂上直下の五合目付近に至った。
フランス文学者桑原武夫の「能郷白山と温見」で ”右おおの左ごんげん道” の道標があったのはこの付近。
フランス文学者桑原武夫の「能郷白山と温見」で ”右おおの左ごんげん道” の道標があったのはこの付近。
撮影機器:
感想
温見峠から能郷白山に登ろうと出かけたのだが、足の方はどうにもなかったのだが、肩が思うように回せない。昨夜風呂上りにシップをペタペタ張って寝たのだが、一週間経つというのにそこら中がまだヒリヒリ痛むような「気」がして、勢いが付かない。
女房に「行ってくるよ」と言って家を出た手前、すぐ戻るのもカッコウが付かない。ぐずぐず考えながら根尾樽見まで来て、滅多に人の歩かない猫峠の紅葉なら、勘繰り深い女房にも何とか説明が付くんじゃないかと思い、車をUターンして上大須方面に走らせた。
峠の奥の紅葉は他人に知られるのが惜しいぐらい見事なもので、立ち止まっては見上げ、振り返って谷を見下ろし、筋肉痛はだれの体だったのかと、そんなものはすっかり忘れてどんどん奥へと登って行った。
やれどこそこの紅葉はとか、絶景紅葉百名山は必見の価値ありだとかテレビは言うが、そんなものわたしの知ったことじゃない。きょう現在の猫峠こそがわたしの絶景なのだ。
きのうはダメだったかも知れない。あしたはゼンゼンだって在りうる。きょうこの時が大事なのだらう。ひとの感性なんていうものはそんなもので、ある意味いい加減なのかも知れない。でも、ほんとうにいい日に巡り合えたものだ。
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