鷲ヶ峰
- GPS
- 05:16
- 距離
- 10.8km
- 登り
- 249m
- 下り
- 418m
コースタイム
- 山行
- 3:14
- 休憩
- 0:30
- 合計
- 3:44
天候 | 11/12晴れ 11/13曇りと霧 |
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過去天気図(気象庁) | 2022年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 タクシー
八島湿原から上諏訪:タクシー |
コース状況/ 危険箇所等 |
道は整備されているがたくさんあるので要所で確認した方が良い |
その他周辺情報 | 鷲ヶ峰ひゅって泊 |
写真
装備
個人装備 |
Tシャツ
ソフトシェル
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
日よけ帽子
着替え
靴
予備靴ひも
サンダル
ザック
ザックカバー
行動食
非常食
飲料
ライター
地図(地形図)
コンパス
笛
計画書
ヘッドランプ
予備電池
筆記用具
ファーストエイドキット
常備薬
日焼け止め
ロールペーパー
保険証
携帯
時計
サングラス
タオル
ストック
ナイフ
カメラ
チェーンスパイク
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感想
筆者のような昭和世代には、「霧ヶ峰」といえば、某三菱系電機メーカーのエアコンの商品名である。今もこの名称は使われていて代表的なエアコンブランドのようだ。しかし、霧ケ峰高原が涼しげなのは確かだが、ほかにも避暑地はたくさんあるではないか。なぜ、霧ケ峰なのだろう?と思いつつググってみると、果たして、ありました。「軽井沢」も「上高地」も「志賀(高原)」も同社のエアコンの商品名として使われていたらしい(!)。ちなみに同じ三菱系でも某重機械メーカーが製造しているのはビーバーエアコンである。こちらは、ビーバーがきれいな水に住み快適な環境(巣)づくりをすることから命名されたらしい。人に歴史ありというがモノにも歴史ありである。
端から脱線したが、今回の行き先である霧ケ峰は茅野市や諏訪市にまたがる車山や鷲ヶ岳といった山々の総称である。ことの発端はわれらがリーダーが以前から行きたがっていた鷲ヶ峰ヒュッテの予約が取れたことである。週のうち金土日しか営業せず、1日2組限定というなかなか予約の取れない宿として有名らしく、リーダーが小躍りして喜んでいたので、この日にコロナにでもなろうものならどんな災いが待っているかわからない。特に山行前一週間は慎重な行動をとり、万難を排して当日を迎えたのだった。
しかしである。想定外のことは発生するもので、筆者の乗車した中央線特急あずさは、人身事故のため大幅な遅れとなってしまった。車内アナウンスによれば「けが人の救護が終了」云々と言っていたので命に別状はなかったと思われ少し安心した。当初我々は茅野駅から車山高原までバスで行き、そこから歩いて八島湿原そばの鷲ヶ峰ヒュッテで宿泊。2日目は鷲ヶ峰登頂後、車山高原へ引き返す算段であった。しかし列車の遅れのため、明らかに茅野発のバスには間に合わない状況となってしまい、時間的にもタイトになっていたため、急遽予定を変更し、上諏訪からタクシーで「車山肩」まで行き、そこから八島湿原まで歩くことにした。
タクシーはすぐにつかまった。ビーナスラインを登っていく途中には見事な紅葉が広がっていた。30分ほどで車山肩に着き、まずは腹ごしらえをすることにした。もともと2日目はこの車山肩にある「ころぽっくひゅって」で昼食をとることをリーダーは楽しみにしていたので、そして、待つことなく食堂に入れたので、リーダーの機嫌バロメーターは太平洋高気圧並みとなり、いい感じである。ここの名物はボルシチらしい。パンが2つ付いてきて@1000円也。肉も野菜も柔らかく煮込まれていてとてもおいしかった。
さて、お腹も一杯になったので、出発することにした。その前にここの高台から周囲を見回してみると、なるほど、噂にたがわぬ好展望で、やや霞んではいたものの北アルプスから南アルプスまでぐるっと展望できた。景色を堪能したあとは、そこそこ急な下りである。そういきなり下りなのだ。雨が降ると大変そうな泥道を注意深く下る。登山靴の底に泥が付き、シークレットブーツを履いたような気分になる(実際に履いたことはないが)。前方にはこれから目指す八島湿原と鷲ヶ峰が見えている。いい天気である。札幌の繁華街ではないすすき野をしばらく下っていくと沢渡という分岐に出た。ここからさらに八島湿原を目指してやや広い砂利道が続く。しばらく行って地図を確認すると八島湿原には到達するものの予定していたのと違う道を来てしまった。そこで細い道を左折して御射山という場所(「ヒュッテみさやま」がある)を通って、八島湿原の西側の木道に到達した。
木道はよく整備されていて快適だった。この時期だから湿原には花はないが、静かで落ち着いた景色を楽しんだ。さくさくと木道を進むと八島湿原駐車場隣の広場があって、ここまで順調に来ることができた。
木道を歩きながらリーダーと相談したのだが、2日目の天気予報は霧のち雨。登頂の予定であった鷲ヶ峰は360度の眺望が魅力の山である。しかし、時間的に我々の脚力では日暮れまでにそんなに余裕があるわけではない。少し迷ったが、鷲ヶ岳に登ることにした。
予想通りリーダーは飛ばし始めた。ここで遅れると夕食時のビールを禁止されるかもしれない。ちょっとフクラハギが痛いなあと思いつつ、平気なふりをして登り続け、途中の展望のいいところで引き返すかどうか聞かれたときも強気にピークハントすることを主張し、ついに山頂に着いた。
山頂は素晴らしい眺めであった。北には美ヶ原、北東には浅間山とその前に広がる草紅葉、南東に八ヶ岳、南西方面には諏訪湖の向こうに南アルプスが霞んでいた。御嶽や乗鞍、北アルプスも見える。時間が遅いせいもあって山頂には我々だけだったので、この景色を独り占めした気分である。でも日暮れ前に余裕をもって宿に着きたいので、早々に山頂を後にした。気はせくが下りは慎重に。登りよりは余裕をもって下り、例の広場に戻ってきた。日暮れ前に宿に着けそうだ、と思ったが、宿への行き方がいまいちわからない、というか車道への出方が分からない。何度か八島湿原駐車場との間を往復し、疲れた足を引きずって車道を登り、ようやく鷲ヶ峰ヒュッテに到着した。
鷲ヶ峰ヒュッテは素晴らしかった。リーダーからは基本山小屋だよ、と言われていたのだが(ひょっとして騙されていたのか?)、いやいや筆者の中では、いわゆる「オーベルジュ」に近い。ヒュッテのWebサイトにはHermitage(隠者の家)と書かれている。建物は古いがとても綺麗にしてあり、ホスピタリティも料理も申し分なかった。山行に来たのに風呂に入れて浴衣で寝られて、ちょっと、いやかなり普通の小屋泊とはちがった贅沢を味わった。麓から遠い山小屋だって努力して営業しているし、それはそれで宿泊出来て感謝しているのだが、今回はそれとは違った非日常を味合わせてもらった。
着いてすぐ丁寧な説明とともに部屋に案内されたのだが、窓から見た御嶽山に沈む夕日が印象的であった。こんなに御嶽が近くに見えるとは思わなかった。部屋には丸い炬燵があって、一階には「山と渓谷」のバックナンバーがそれこそ山のようにあり、ピアノやギターが置いてあり、オープンリールデッキまであった。筆者がハイティーンのころのあこがれのオーディオ機器である。ご主人に聞くと、今でも現役だが修理を頼めるところがなかなか無いらしい。
食事はフレンチフルコースである。その日のメインは魚料理で、ボリュームもたっぷりである。オプションのチーズを頼む余力はなく、デザートまで完食すると動けないぐらい腹いっぱいになってしまった。若いころは何であんなに食べられたのだろう。今ではビールだけでお腹がパンパンになってしまうのに。学生のころは、腹を減らして飲み屋に行くとカネがいくらあっても足らないので牛友チェーン(一部の昭和のおじさんたちには懐かしい響きでしょう)で大盛りカレーをかきこんでから飲み会に参加されられたものだが。
食後はオセロゲームをやった。実に30年か40年ぶりである。木でできたシックなオセロ盤である。このほかにもおしゃれなチェスボードや面白いものがたくさんあり、自分たちの部屋のほかに図書室なるくつろぐ場所もある。星も見に行った。宿の灯りが近いせいか満天の星空という感じではないが、都会では見られない夜空を堪能した。
翌日は予報通り霧であった。ちょっと晴れ間も見えたような気もしたが、すぐに霧に覆われた。当初の予定では、車山高原まで戻る予定であったが、雨が降り出す可能性が高かったし、時間的にもそれほど余裕がなかったので。昨日行っていなかった湿原の北側を散策してからタクシーで上諏訪に出ることにした。ゆったり朝食を食べた後散策に出かけると、風は冷たかったが、冷え込んでいるというほどではなく、木道を1時間ほど歩いた。途中、鷲ヶ峰を見上げるとすっぽり霧に包まれていた。どうやら昨日の判断は正しかったようだ。
上諏訪で暖かいつけ蕎麦の昼食をとった後、長野県民御用達のスーパーつるやに寄った。長野県民御用達と書いたが、最近ではわがリーダー御用達でもあり、上諏訪に来るたびに嬉々として美味しそうなものを物色している。東京では見たことがない品物も多々あり、地元スーパーめぐりというのもなかなか面白いものだ。
今回の山行は、登山と観光の中間ぐらいのものだったかもしれない。しかし、深田久弥氏は、山には登る山と遊ぶ山があるとして、後者の代表としてこの霧ケ峰を挙げている。いい宿に泊まったし、タクシーも使ったし、ちょっと贅沢したが、十分に遊ばせてもらった。またいつか来たいものである。(完)
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