【探索】千葉県君津市奥米の廃双子吊り橋と古道

- GPS
- 02:25
- 距離
- 9.0km
- 登り
- 562m
- 下り
- 590m
コースタイム
- 山行
- 2:26
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 2:26
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
古道歩き目的の場合は県道から入り、林道より更に少し入ったコース反対側が現実的 |
コース状況/ 危険箇所等 |
・吊り橋は実質廃橋状態。立ち入った場合身の安全は保証できません。また、長浦橋の方は共用が継続されている様です。規制標識に不備はありますが、立ち入りは道路法上の問題になる可能性もあります。清水橋は君津市の資料によると管理下にないとの事です。 ・素堀トンネルは不安になる箇所は無し。 ・コース全体としては踏み跡も良く残っているが、崩れやすい砂っぽい地面の急登も。倒木複数。 |
写真
感想
房総の素掘りトンネルでも見に行こうかなぁと、地形図だけ見て適当に当たりをつけて出発。ついでにレコがない徒歩道がどうなっているのか確かめてみたかった。
現地に着いてみると、現道の手掘りトンネルもさることながら予想外の吊り橋が出現。しかも二つ。ちゃんと素掘りトンネルもあったし、実りの多い探索だった。せっかくなのでちょっと考察してみたい。
先に余談となってしまうが、この双子吊り橋、同時に竣工し同じように危険と判断されたはずだが、対応にちぐはぐな印象を受けた。より危険度が高そうな清水橋の封鎖はおざなりで、より状態の良さそうな長浦橋の封鎖は割としっかりしていたのである。
その訳は君津市が公表している市道指定に関する資料から推察できそうだ。資料によると、長浦橋は市道大鹿倉線として共用中で、清水橋は市道指定を受けていなかった。つまり、供用中の市道である長浦橋は君津市が道路管理者であるが、市道の指定を受けていない清水橋に関しては市には権限がないのだ。どちらも「全面通行止め」の看板が一度立てられた様だが、後から気づいて放置したのだろうか。尚、国土交通省公開の橋梁点検結果とりまとめによると、長浦橋は今後廃止予定とのことだ。
また、長浦橋であっても法令で定められた「通行止め」標識の設置ではなく、「全面通行止め」の看板だけなのも不思議だ。市は管理者なのだから正式に「通行止め」にできるはずだ。通行規制時に必要な通行止(301)、期間、理由等の標識・表示もなく、法的な効力があるのか良く分からない。登山道や林道でよくある「お願い」状態なのかもしれない。(だからといって立ち入るのがよろしくないのは言うまでもない)
吊り橋本体に話を戻そう。長浦橋、清水橋共に車両の通行が想定されていた様で、どちらにも「車両の通行はご遠慮ください」との表示がされていた。しかし、清水橋の先にある隧道はどう考えても歩行者用の大きさである(軽車両ぐらいは通れるだろう)。橋に降りる市道の大鹿倉線は急峻なつづら折りの舗装路であったが、軽トラぐらいなら通れたかもしれない。現林道側に抜けられる長浦橋の上を自動車が走ったこともあったのだろうか。
過去の地形図を調べてみたところ、今回歩いた徒歩道とそこから伸びる林道東山線の県道側区間は、明治初期の迅速測図に描かれている程の古い道であることが分かった。しかし、昭和19年の地形図でも今回の隧道は描かれておらず、隧道のあった地点は通らず谷に降りている。したがって、元からあった隧道へのアクセスとして橋を掛けた訳ではなく、隧道もダム建設とセットだったのでは無いだろうか。そうすると、隧道の竣工も橋と同じ昭和30年と考えられる。また、平地の杉林は元は水田だったようで、その頃は耕作が続いていたため建設されたのだろう。
一方長浦橋に関してであるが、使われ方としては林道大鹿倉線に隣接した民家や耕作地があり、生活道路としての側面があったと思われる。林道大鹿倉線の通っている道も、元々は明治期以前よりの徒歩道であった(ただし、昭和55年の地形図では消えている)。地形図ではそうでもないが、1963年の航空写真を見ると、長浦橋は元からあった道と直線的に繋がっていた。
その後、長浦橋の役割は大鹿倉大橋に移されたと言って良いだろう。大鹿倉大橋の竣工年は調べられていないが、昭和55年(1980年)修正の地形図には無く、昭和59年(1984年)には登場している。その時点では林道大鹿倉線は少なくとも完成してはいない。橋の車両交通への能力不足や老朽化、住民の利便性向上などの考慮から架橋を先に行う決断になったのかもしれない。
以上が現状手元にある資料を参考にした考察である。あくまでも個人的な考察なので誤った箇所があってもご容赦頂きたい。
今回は結果的に古道を歩くことになったわけだが、房総らしい尾根上のハイキングであった。所々にある小ピークから降りる際は尾根筋が複数方向に伸びていることも多く、進行方向に迷うことがあった(実際に1度間違えた)。正確な地図も無い古の時代の人達がどうやって迷わず通行していたのか気になるところである。
また、菜の花が咲いていたり、紅葉が残っていたり、歩いていると結構暑かったりと、房総の暖かさを感じられた。
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