記録ID: 5172714
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ハイキング
箱根・湯河原
城山、幕山、南郷山(湯河原-真鶴)
2023年02月12日(日) [日帰り]


体力度
4
1泊以上が適当
- GPS
- 06:17
- 距離
- 18.5km
- 登り
- 1,210m
- 下り
- 1,181m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 5:44
- 休憩
- 0:31
- 合計
- 6:15
距離 18.5km
登り 1,210m
下り 1,200m
天候 | 晴れ、風少し吹く |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
| 南武線(川崎行) 10.6km 1・4・5号車 | 04:59-05:15[16分] | 220円 ◇登戸 1・2番線発 [乗換5分+待ち10分] | 小田急線各停(伊勢原行) 67.3km | 05:30-06:17[47分] | 733円 ◇伊勢原 1・2番線発 [乗換1分+待ち0分] | 小田急線各停(小田原行) ↓ | 06:18-06:53[35分] ■小田原 ◇小田原 3・4番線発 [乗換4分+待ち3分] | 東海道本線(東日本)(沼津行) 15.2km | 07:16-07:33[17分] | 330円( 普通車 ) ■湯河原 =========== 山歩き =========== ■真鶴 | 東海道本線(東日本)(前橋行) 11.9km 中後 | 13:57-14:09[12分] | 242円( 普通車 ) ◇小田原 [乗換4分+待ち18分] | 小田急線急行(新宿行) 67.3km やや後 | 14:31-14:41[10分] | 733円 ◇新松田 ≪降車不要≫ [乗換0分+待ち4分] | 小田急線快速急行(新宿行) ↓ | 14:45-15:46[61分] ◇登戸 3・4番線着 [乗換5分+待ち2分] | 南武線快速(立川行) 10.6km | 15:53-16:04[11分] | 220円 ■府中本町 4番線着 交通費合計:2478円 |
コース状況/ 危険箇所等 |
特にありません。 |
写真
湯河原駅スタート。
土肥實平と妻の銅像が駅前ロータリーに建つ。先ずは土井實平の城があった城山を目指す。「鎌倉殿の13人」で「さぁー」とか「あさー」とか言っていた土肥實平。妻はドラマに出てこなかったと思うが、頼朝が石橋山合戦に敗れて「しとどの窟」に身を隠しているときに食料を届けたそうだ。
土肥實平と妻の銅像が駅前ロータリーに建つ。先ずは土井實平の城があった城山を目指す。「鎌倉殿の13人」で「さぁー」とか「あさー」とか言っていた土肥實平。妻はドラマに出てこなかったと思うが、頼朝が石橋山合戦に敗れて「しとどの窟」に身を隠しているときに食料を届けたそうだ。
住宅地が終わり、舗装林道から直登の山道に入る。頼朝が石橋山の合戦で敗れ、逃れている時に兜を脱いで休息したとされる「兜石」がある。頼朝はこの道を「しとどの窟」に向かって歩いたのだろう。
桜台にある「土肥椙山鵐ノ窟之碑」(といすぎやましとどのいわやのひ)。
昭和17(1942)年8月23日に箱根振興會が建立している。
1942年は、6月にミッドウェイ海戦、8月にソロモン海戦の年。戦況が悪くなり出す頃だ。
昭和17(1942)年8月23日に箱根振興會が建立している。
1942年は、6月にミッドウェイ海戦、8月にソロモン海戦の年。戦況が悪くなり出す頃だ。
しとどの窟へここから坂道を降りる。この辺りは、源頼朝が隠れる前から弘法大師信仰があり山伏の行場であったとのこと。土肥實平は地元のことをよく知っていたので源頼朝をしとどの窟へ隠したのだろう。
1180年(治承4年)8月の源頼朝の行動メモ。
08/17 挙兵(三嶋大社の大祭日に山木館襲撃)
08/20-23 石橋山合戦、堀口合戦で大敗。敗走。
08/24 土肥椙山しとどの窟に隠れる
08/24 箱根権現に逃れる
08/25-27 土肥椙山しとどの窟に隠れる
08/28-29 真鶴から安房へ船で逃げる。
--------------------
しとどの窟と箱根権現は、恐らく大観山経由だと思う。それを1泊2日で往復している。源頼朝は健脚ハイカーだ。合戦をしていたら鎧兜や刀などの武具で20kg位あるだろう。荷を持たなくても辛い山道なのに、大したものだと思う。
08/17 挙兵(三嶋大社の大祭日に山木館襲撃)
08/20-23 石橋山合戦、堀口合戦で大敗。敗走。
08/24 土肥椙山しとどの窟に隠れる
08/24 箱根権現に逃れる
08/25-27 土肥椙山しとどの窟に隠れる
08/28-29 真鶴から安房へ船で逃げる。
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しとどの窟と箱根権現は、恐らく大観山経由だと思う。それを1泊2日で往復している。源頼朝は健脚ハイカーだ。合戦をしていたら鎧兜や刀などの武具で20kg位あるだろう。荷を持たなくても辛い山道なのに、大したものだと思う。
しとどの窟を引いて縦に写す。窟の天井屋根の地面が見える。中村獅童(梶原景時)が雷雨の中を歩いたシーンが蘇る。NHK大河ドラマの美術やカメラの人たち、セットで良く再現したものだと感心する。
+12℃ 幕山頂上(626m)に到着。
神奈川県の山(分県登山ガイド) 47/54座目。
花の百名山 17/92座目。
関東百名山 34/100座目。
関東百名山(2019年) 34/100座目。
東京周辺の山350 120/350座目。
日本100低名山 26/100座目。
広い頂上で沢山の人達が昼食にしたり眺望を楽しんだりしている。
神奈川県の山(分県登山ガイド) 47/54座目。
花の百名山 17/92座目。
関東百名山 34/100座目。
関東百名山(2019年) 34/100座目。
東京周辺の山350 120/350座目。
日本100低名山 26/100座目。
広い頂上で沢山の人達が昼食にしたり眺望を楽しんだりしている。
史跡「自鑑水」(自害水・自鏡水)に到着。
以下、説明石碑を写す。
ーーーーーーー
年中枯れることなく清水を湛えたこの窪地は、昔から自鑑水と呼ばれている。
治承4年(1180年)、石橋山の合戦に敗れた源頼朝主従は地元郷土の英雄・土肥実平一族の庇護のもと、平家の追手から逃れ、この池に辿りつき、喉を潤し、水鏡で乱れた髪を結い直すと、平家を破り天下を納める自らの姿が映り、自害を思い留まり、気を強く持ち直したという。頼朝再興の礎として伝えられている。
平成19年4月 土肥会80周年記念事業建之
ーーーーーーー
小さな水溜りに見えるけど、湧水らしい。ロープアップされていて近づけず、湧いていることは確認できなかった。
以下、説明石碑を写す。
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年中枯れることなく清水を湛えたこの窪地は、昔から自鑑水と呼ばれている。
治承4年(1180年)、石橋山の合戦に敗れた源頼朝主従は地元郷土の英雄・土肥実平一族の庇護のもと、平家の追手から逃れ、この池に辿りつき、喉を潤し、水鏡で乱れた髪を結い直すと、平家を破り天下を納める自らの姿が映り、自害を思い留まり、気を強く持ち直したという。頼朝再興の礎として伝えられている。
平成19年4月 土肥会80周年記念事業建之
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小さな水溜りに見えるけど、湧水らしい。ロープアップされていて近づけず、湧いていることは確認できなかった。
真鶴の街まで降りてきたらブンタンの無人販売。さっき不知火を買って、もう100円玉が無い。ブンタンを1000円札分買うのは多いよなぁ。次回、湯河原・真鶴方面へ行く時は、100円玉をたくさん用意しよう。
感想
城山 :神奈川県の山(分県登山ガイド) 46/54座目
幕山 :神奈川県の山(分県登山ガイド) 47/54座目
南郷山:神奈川県の山(分県登山ガイド) 48/54座目
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