記録ID: 5313556
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ハイキング
近畿
文太郎さんに逢いに山陰ジオパークトレイル浜坂↔️鎧
2023年03月30日(木) [日帰り]


体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 04:11
- 距離
- 23.1km
- 登り
- 719m
- 下り
- 773m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 5:58
- 休憩
- 0:04
- 合計
- 6:02
距離 23.1km
登り 771m
下り 817m
天候 | 快晴 春霞 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 自家用車
山陰本線浜坂駅→鎧駅 始発6:10 |
コース状況/ 危険箇所等 |
鎧駅から余部まではたかのすの森遊歩道 余部灯台から三尾の林道は落石の為、車両、二輪通行止め |
その他周辺情報 | 加藤文太郎記念図書館 木曜定休 文太郎さんの道具、書籍、新聞記事、手紙等展示され詳しい来歴がわかります。 文太郎さん好きの聖地です。 |
写真
感想
コロナ規制も緩くなり、久々に文太郎さんに逢いに浜坂を訪れました。
今回のテーマは桃観トンネルを電車で体験する。
余部集落の方が駅を作るまで鎧駅まで通ったたかのすの森遊歩道を歩きご苦労をしのぶ。
山陰ジオパークの海岸美を違う角度で体験する事にしました。
図書館をスタートに浜坂駅から鎧駅迄山陰本線で移動、桃観トンネルは山陰本線で一番長く、全線開通の最後の難所です。
ボーイスカウト初代総長後藤新平さんが鉄道院総裁だった時の偉業を感じ通過しました。
https://www.yamareco.com/modules/diary/152234-detail-237786
2.5kmのたかのすの森遊歩道はとても険しく、余部集落先人のご苦労を体験出来ました。
このご苦労が、住民総出の余部駅建設に繋がり国の承認に繋がったのだと思います。
海岸線の幹線道路から望む景観と違い今回のルートから望む山陰ジオパークは天候と満開の桜🌸に恵まれ素晴らしい景観でした。
余部から浜坂はおとづれた事の無い集落で今まで見た事の無い景観を楽しませて頂きました。
文太郎愛の増したハイクになりました。
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コメント
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加藤文太郎さんは浜坂の出身ということですが、後年の活躍を思うと、この地の風土に鍛えられていた事によって成し遂げられた偉業ではないでしょうか。
丁寧なコメントありがとうございます。
私も京都行きの山陰線には沢山の思い出があります。
普通寝台列車の山陰号は何度も乗りました。
沿線の人達が乗り降りしてとても賑やかでした。
直角の椅子も疲れましたが、人が居なくなると横になって京都まで行ったものです。
小学生頃は、団体の移動手段は臨時列車が多く、しかも未だSL🚂か引っ張ってました。
トンネルに入ると窓から煙が入ってきました。
桃観トンネルは長いのですぐ閉めたんでしょうね
京都駅に着いたらホームで顔洗ってました。
後藤新平の偉業を知って通ると感慨深いものがあります。
秘境と言ったら住民の方に申し訳ありませんが、一般道と林道で秘境感はありませんが、一般の海岸道と違いレアなルートなので山陰ジオパークを違う角度から望めます。
島根半島の海岸線も見事ですが、経ヶ岬までの海岸も素晴らしいですね
後藤新平は明治時代の人物の中で尊敬できる人物の一人ですが、地方にも目を配り、さすが先見の明がありますね。
そうですね。
丹後半島などはもっと秘境感があります。
後藤新平の偉業がなかったら山陰線の全線開通はずっと遅れていたことでしょう。
ちなみに余部の鉄橋も後藤新平の鉄道院時代の建造物で視察もしています。
あの当時、あそこに鉄橋を掛ける発想がすごいです。
三江線の宇都井駅が昭和50年ですから。
余部鉄橋のDVDを買いましたがこの時代の日本は原動力がすごかったんですね。
鉄道建設の使命感に燃えていたんでしょうね。あの鉄骨で組み上げた鉄橋も偉容でしたね。残しておいて欲しかったです。
そうですね
巨大な鉄橋が出来ても、余部の集落の生活は変わらず2.5キロ離れた鎧駅まで山越えをしなきゃ行けなかった訳です。
そんな状況が、長く続いた時満を侍して集落総出で駅を作りそれを鉄道院に陳情し、列車を停めさせた経緯があります。
当時の住民パワーも凄かったんですね
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