御嶽山
- GPS
- --:--
- 距離
- 9.7km
- 登り
- 1,340m
- 下り
- 1,320m
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2012年08月の天気図 |
アクセス |
写真
感想
御嶽山は、長野県木曽郡木曽町・王滝村と岐阜県下呂市・高山市にまたがり、東日本火山帯の西端に位置する標高3,067 mの複合成層火山である。
ヤマケイオンラインでは以下のように紹介されている。
♪木曽のなあ、仲乗りさん、木曽の御嶽山はなんじゃらほい、夏でも寒い、よいよいよい♪
哀調を帯びた木曽節に歌い込まれた御嶽山(御岳山)は、富士山、白山とともに信仰の山として知られている。現在でも夏には白衣の御岳講の人たちが、「六根清浄」を唱えながら大勢登っており、『信濃奇勝録』にも「信州一の大山なり、嶽の形大抵浅間に類して、清高これに過ぐ、毎年六月諸人潔斎して登る、福島より十里、全く富士山に登るが如し」と書いてある。
御嶽山黒沢口の登山道沿いには、「何々覚明」と刻まれた石柱が、所狭しと林立しているのが見られるが、江戸末期から明治初めにかけて、毎年何十万人も登ったといわれる御岳講の賑わいぶりが想像される。
この御嶽山は何回もの爆発を繰り返したコニーデ型の複式火山で、1979年(昭和54年)には突然、地獄谷に新しい噴火口を現出させ、日本中をびっくりさせている。また、91年、07年にもごく小規模な噴火をしている。
最高峰は3067mの中央火口丘、剣ヶ峰で、その周りを継子岳(ままこだけ 2859m)、摩利支天山(まりしてんやま 2959m)、継母岳(ままははだけ 2867m)などのピークが外輪山となって取り囲んでいる。
また、これらの峰々の間にはエメラルド色をした、一ノ池から五ノ池まで数えられる山上湖が散在している。なかでも二ノ池は標高2905m、日本で一番高い湖として知られている。これらの池を結んでの池巡りコースも考えられる。
登山コースは信州側から3本、飛騨側から1本の計4本がある。7合目の田ノ原までバスが上がる王滝口は歩行距離も短く、日帰りも可能なので最も登山者が多い。田ノ原から荒々しい地獄谷爆烈火口を眺めながら3時間強で剣ヶ峰に立てる。
御岳山で最も古く、信仰登山のメインルートである黒沢口も6合目までバスが入る。また御岳ロープウェイ・スキー場からロープウェイを利用すれば7合目まで上がることもできる。6合目から4時間30分で剣ヶ峰。
信州側第3のコースである開田(かいだ)口は、標高差も大きく、行程も長いので、開田高原散策と合わせて下山に利用した方がよかろう。西野から登るとなると距離も標高差も大きく、6時間30分で剣ガ峰。
飛騨側唯一の登山道で、標高1900mに湧く濁河(にごりご)温泉がベースとなる飛騨口は、原生林の中の静かな山旅を楽しめる。濁河温泉から5時間30分で剣ガ峰へ。
山頂からの展望は広大で、3つのアルプスや中部、関東一円の山々を見渡すことができる。また遠く加賀の白山も望まれ、日が落ちると名古屋の街の灯が美しい。
まずは事前勉強で王滝村のサイトにアクセス
http://www.vill.otaki.nagano.jp/ontake_tozan/tozan04.html
ここで記載された内容は
ゆったりと四方に裾野を広げた大きな姿の独立峰「木曽の御嶽山」(きそのおんたけさん)。その孤高を誇る姿は雄大にして威厳を感じさせます。村人は親しみをこめて「御山」(おやま)と呼びます。
古くから信仰の山として信者の畏敬を集める「霊峰」として有名ですが、夏には多くの山岳ファンで賑わいます。数ある登山道のなかでも、王滝口は車で、7合目(標高2,180m)まで上がることができ、また剣ヶ峰へのアプローチが最短であることから、最も利用者が多いルートとして有名です。駐車場のある田の原から頂上の剣が峰(標高3,067m)までは約3時間の行程は高山(日本で14番目)でありながら日帰りも十分可能です。
独立峰ならではのダイナミックなロケーションや、 南北に3キロにもなる広い頂嶺部では山頂湖めぐりなど歩く楽しみも多彩です。
これならそんなに難しい山ではないかもしれない。標高の割には簡単に登れそうである。山登りしようと思って登る初めての山としてはいいかもしれない。
(いきなり登山始めが3000m越の山とはいささか無謀?)
一方で御嶽山は信仰の山の側面もある。同じく王滝村のサイトより
御嶽信仰の歴史は古く、初めは修験道の場として栄え、平安・鎌倉・室町の中世時代から、民間信仰が結びつき、御嶽独自の山岳信仰が生まれたとされます。この頃になると厳しい修行を重ねた道者と称する人々が集団的に登拝する風習が行われるようになりました。
こうした集団登拝は江戸時代未まで続き、1784年(天明4年)、尾張の行者・覚明(かくめい)によって三岳村(現木曽町)の黒沢口が開かれ、1794年(寛政6年)には武蔵国の行者・普寛(ふかん)によって王滝口が一般民衆に開放され、これを期に木曽周辺にとどまっていた御嶽信仰が全国的な信仰へと拡大されていきました。
しかし明治維新後、神道をわが国の宗教とする政祭一致の政策が打ち出され、神仏分離が進められるに至って、仏像をもって神体とする神社、仏像や仏具を社前に祭る神社が改められていきます。御嶽神社もまたこれに習って菩薩像や権現号の仏関連のものを除きますが、もともと御嶽の信仰は、御嶽山の山そのものであり、その象徴である御嶽神社を中心に信者が固く、広く結ばれていたこともあり、宗派を問わず、独自の講社として神仏混合の形態を実質的にとるわが国の特異な山岳信仰として存在しています。
なお、御嶽神社は山頂に奥社があり、山麓に里社、王滝村上島に三社、三岳黒沢に若宮と本社があり、毎年夏になると白衣姿で参拝する講社と呼ばれる信者たちの団体で賑わいます。
初めてということでドキドキでしたがやはりそんなに難しい山ではなかったです。むしろ往復だけではものたりずいけるところまで行ってしまいました。
信仰の山なのか白装飾の方や社や像などがいたるところにありました。
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